第54話 女神降臨

 僕の名を語っていることから、相手が女神であることが確信出来た。穏やかで優しげな口調もあの転生の間での女神アウローラを彷彿とさせた。


「そうです。この子の身体を使って地上に降りてきました。この子のことは、アウロー・ラビットとでもお呼びください」


 僕が言い当てたことに驚きも否定もせず、アウローラは冗談とも本気ともつかない言葉を返してきた。巨大化したシャトーラビットは、アウローラの名を取ってアウロー・ラビットと命名したらしい。


「……それで? 僕はなにか禁忌を犯したかな? 前世の失敗は繰り返さないように『普通』に生きてきたつもりだけど」

「禁忌……。そうですね……」


 逡巡するようにアウローラが呟く。事前に調べたとおり、『真なる叡智の書アルスマグナ』も禁忌に触れるわけではないようだ。


「……強いて言うならば、フォルトナの気まぐれで記憶を保持して生まれてきてしまったこと、でしょうか?」


 安堵も束の間、アウローラは信じられないことを言って退けた。


「とはいえ、それはグラス――あなたのせいではありません。ですので、今の身体には死んでいただき、新しい器を用意しましょう」


「嫌だ」


 恐ろしい女神の思考に否定の声が震えた。怒りなのか恐怖なのかは自分ではわからない。でも、絶対にそれだけは嫌だという思いが僕を強く支えた。


「今度こそ幸せな人生をお約束します。なにも心配することはありません」

「……そっちの事情に振り回されるのはもう充分だ。僕が死んだら、僕の両親はどうなる?」


 転生したことで、本来あの夫婦の元で生まれるはずだった別の命もあったはずだ。それを狂わせてまで僕を転生させたのだから、既に無関係の人間を二人も巻き込んでいる。――今の僕にとって、ルドラとナタル夫妻は紛れもないリーフの肉親で、かけがえのない人になっているのだと、やっと気づいたばかりなのに。


「あの夫妻のことでしたら、大丈夫です。最初は人間らしく悲しむことでしょう。子供が死ぬのは悲しいことですから。ですが、代わりの生命を与えておけばその悲しみも何れ癒えることでしょう」


 ゆったりとした子守歌のような声のトーンで、アウローラが持論を述べる。これが慈悲深いとされる女神の発言なのだろうか。


「……そんなのは、なんの解決にもならない。僕は僕のまま生きる。お前たちの思いどおりに命を操られてたまるものか」

「やっと見つけ出したというのに、厄介なことになりましたね。やはり、赤ん坊のうちに見つけ出して始末しておくべきでした」


 アウロー・ラビットが前足で宙を掻き、その爪を鋭く伸ばしていく。好戦的な態度に僕も操縦桿を握る手に力を込めた。


「女神の名が聞いて呆れるな。よくもそんな残酷なことを思いつくものだ」

「それは人間側の視点ですから。長い生命の輪廻の間では、通過点に過ぎません」


 アウローラの声が輪を成すように大きくなっていく。それに伴うように、アウロー・ラビットもさらにむくむくと巨大化を続け、アーケシウスを追い越し、全長五メートルほどに到った。


「思い通りにはならない」


 巨大化していくアウロー・ラビットから戦闘の気配を感じ取り、アーケシウスの右腕部の脱着ボタンを押して地面に落とす。左腕で背部のバックパックからドリルアームを取り出して装着し、距離を取った。


「ならば力尽くで言うことを聞かせるのみです、グラス!」


 アウロー・ラビットの爪が鋭く袈裟懸けに振り下ろされる。咄嗟にアーケシウスで右に飛び退き、攻撃を躱す。アウロー・ラビットの一撃は、アーケシウスが元いた場所の地面をえぐり、その衝撃で石が弾け飛び、土煙が上がった。


「……くっ」


 視界を土煙で塞がれ、噴射式推進装置バーニアで距離を取ろうとしたが遅かった。


「うあっ!」


 土煙に紛れてアウロー・ラビットが急接近する。映像盤いっぱいにその禍々しい目が迫ると同時に、アウロー・ラビットの強烈な体当たりを食らい、機体は吹き飛ばされた。


「……っ、は……っ」


 操縦槽でしたたかに背中を打ち付け、一瞬息が止まる。悲鳴を上げる間すらなく、喘いだ吐息からは血の匂いがした。


「これは失礼。目測を誤りました」


 巨大化しても、シャトーラビットの特徴である俊敏性が失われていないのは厄介だな。


「次は確実に仕留めます」


 アーケシウスを起き上がらせながら、アウロー・ラビットを仰ぐ。アーケシウスの三メートルに対して、アウロー・ラビットは約五メートルの巨体だ。大きさが違いすぎるので、まともに戦っても勝ち目はない。


 僕が勝てるとすれば、この不利な状況を逆手に取り、相手の隙を突くしかない。唯一の武器であるドリルでアウロー・ラビットの心臓を突き刺す――それ以外になさそうだ。


 幸いアウロー・ラビットは、視点の高さを優先しているのか二本足で立っているので、急所は狙いやすい。だが、ただ単に噴射式推進装置バーニアを使って接近するだけでは、あの爪に叩き落とされてしまうな。


「なにかあるはずだ。なにか……」


 歯を食いしばり、映像盤の隅々まで視線を巡らせる。利用できるものはなんでも利用して、隙を生み出さなければ。まだ僕とアーケシウスが動けるうちに。


「……賭けに出るか」


 今居る位置から少し下がった場所に、砂漠化している荒れ地が見えた。あの場所に誘い込めば、隙を生み出せる可能性が高い。


「集中しろ、リーフ」


 自分に言い聞かせながら足踏板を踏み込み、砂地へと一気に駆ける。


「逃げても無駄ですよ」


 案の定、アウロー・ラビットが僕を追いかけてきた。だが、今度は急接近ではなく、悠々とした足取りだ。捕食される立場のシャトーラビットが巨大化して追ってくるなんて、悪い冗談かなにかのようだな。だが、これでアウローラが自身の優位を信じて疑っていないことがよくわかった。


 砂地の中央に入り込んだところで、機体が緩く沈み始める。思ったよりも砂が深いのは嬉しい誤算だった。


「ここを最期の場とするのですね。わかりました」


 アウロー・ラビットを通じてアウローラが微笑んでいるのがわかる。僕は噴射式推進装置バーニアのボタンに手をかけ、その時を待った。


「一撃で終わらせましょう」


 アウロー・ラビットが先ほどと同じく右腕を振り翳す。その鋭い爪が獰猛に伸び、アーケシウスに狙いが定められた。


 ――今だ!!


 アウロー・ラビットの一撃が振り下ろされるその瞬間、機体を僅かに右に逸らし、同時に噴射式推進装置バーニアの出力を上げた。砂が舞い、視界が砂で煙る中、僕は全力でアーケシウスをアウロー・ラビットに体当たりさせた。


「グラス!!」


 アウローラが叫ぶが、構わずにドリルを心臓目がけて突き刺す。


「ギィイイイイイッ!!」


 アウロー・ラビットが悲鳴を上げ、胸からは大量の血が溢れる。シャトーラビットの特徴である白い毛を見る間に染めていくその量からは、致命傷を与えた手ごたえを感じた。


だが――


「……よくもやりましたね……」


 アウロー・ラビットの血に濡れたような真紅の目が見開かれ、アウローラのぞっとするような声が響く。


「……ドリルがっ」


 同時に胸を突き刺していたドリルが空転を始め、それ以上動かせなくなった。鮮血に濡れた白い毛がざわざわとざわめくように揺れはじめ、傷の周りが金色に輝き出す。次の瞬間から、信じられないことが起きた。


「な、なんだ……」


 金色の光がアウロー・ラビットの傷口を覆い、中から盛り上がってくる肉にドリルが押し出されはじめる。驚愕に動けずにいる僕を、アウロー・ラビットの後ろ脚が蹴飛ばした。


「……っ、あぁあああっ!」


 本能的な危険を感じ、噴射式推進装置バーニアを発動させ、宙で停止する。心理的な衝撃と身体的な衝撃の両方を与えられ、頭の中が混乱している。


「……どういうことだ……」


 のろのろと立ち上がったアウロー・ラビットの胸の傷は既に完治している。傷どころか、鮮血に濡れたあの白い毛も元通りに戻っていた。


「簡単なことです。光の魔素マナは再生を司る元素……。そして、光の魔素マナの源は我ら女神です」


 優美な声で答えるアウローラには、余裕が戻っている。


「……まさか不死身なのか」


 時間稼ぎに質問を重ね、その間に必死に考え続けた。


「そうではありません。ですが、人間のことわりでは神を滅ぼすことはできません」


 言い終わる前に、アウロー・ラビットが一跳びでアーケシウスの正面に距離を詰める。間髪入れずに鋭い爪が操縦槽の倉口ハッチえぐった。


「ああっ!」


 扉が飛ばされ、外気が吹き込んでくる。衝撃で僕の身体も操縦槽の中に投げ出された。


「さあ、大人しく出て来なさい」

「……断る……っ」


 起き上がろうと手をついた瞬間に痛みが走る。なにかと思えば、先ほどの衝撃でダークライトを入れていた瓶が割れ、中の結晶が飛び出していた。


 僕は咄嗟にダークライトの結晶を握りしめ、操縦席に戻ると、アーケシウスを少しずつ後退させた。


「……考えろ。考えるんだ……」

「少し猶予を与えましょう。その間にどうすべきが最善か考えることです」


 僕の呟きが聞こえたのか否か、アウローラが優しい声で最後通告を出した。その声によって、僕の脳裏にアウローラのある言葉が思い返された。


 ――この子の身体を使って地上に降りてきました。


「そうか、『神おろし』!」


 アウローラは、天界からエーテルを送って、このアウロー・ラビットを操っているに過ぎない。反物質の結晶であるダークライトは、エーテルを吸収する力がある。巨大化したアウロー・ラビットを維持するにはかなりのエーテルを消費するだろう。それが漏れ出してしまうような事態になれば、巨大化を維持できなくなるはずだ。


 幸いダークライトはこの手の中にある。衝撃で結晶は半分に割れてしまった。だが、好都合だ。


「決めたよ、女神……」


 僕はアーケシウスのドリルで足許を穿ち、機体の脚部を埋め、アウローラビットを見上げた。


「どうやら頭を強く打ちすぎたようですね。そのような子供じみた真似――」


 アウロー・ラビットが地面に埋まったアーケシウスに合わせてか、四つ脚で突進を始める。


「僕は本気だ……。アーケシウス、頼むよ」


 足踏板を踏む足に力を込め、アーケシウスの重心を低く保つ。左腕と右腕のドリルアームを広く構え、アウロー・ラビットを受け止める体勢を取った。


「……っ、あっ、ああああっ!」


 アウロー・ラビットがアーケシウスと激突する。強い衝撃だが、噴射式推進装置バーニアで機体に推進力を与えることで、どうにか受け止めることに成功した。


「はあぁああああっ!」


 間髪入れずに操縦槽から飛び出し、アウロー・ラビットの頭に飛び乗る。


「グラス、何を!」


 ダークライトの破片を握りしめた僕は、それをアウロー・ラビットの脳天に突き刺した。


「あぁあああああっ!」


 手に破片が食い込むが構わない。渾身の力を込めた次の瞬間。


「や、やめ――」


 アウローラの声が途中で途切れ、アウロー・ラビットから金色の光が溢れて炸裂する。


「!!」


 僕は漏れ出したその金色の光の渦に巻き込まれ、アウロー・ラビットの巨体から吹き飛び、地面に落ちた。


 目の前でアウロー・ラビットの身体が見る間に萎んでいく。その光景を、僕はただ呆然と見ていた。

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