第12話 アルフェとの出逢い
やや緊張しながら入った診察室では、人当たりの良い看護婦と眼鏡の医師が待ち構えており、僕をおむつ一枚の姿にして、体重や身長、頭囲や胸囲などを測ったり、足や手の動きなどを念入りに確かめた。
特に股関節の動きが重要なのか、足の付け根を押したり、触ったりしながら足の可動域を確かめている。身体のあちこちを調べられて思い出したが、身体の成長に伴ってのことなのか、股関節や脚がむず痒く、眠れない夜があったのを不意に思い出した。
特に異常はなかった様子で、医師は笑顔で僕を母に戻した。
母の膝に抱かれながら、なにか質問をされるのではないかと構えていたが、医師が話しかける相手は母にだけで、僕は看護師に口を開けさせられて中をほんの一瞬調べられただけだった。
「発達には問題ありませんね。歯が生えるのはもう少し先ですが、兆候は少しあるようです」
そう言いながら医師が、母の膝に抱かれた僕の前歯を指先で押す。先ほどからそれをされるたびに、歯茎がむずがゆいような感覚がして少し不快だった。喩えるなら、乳歯から永久歯に生え替わるときの、歯が抜ける前の感覚に少し似ているような気がする。
「あー、でも……ここはもうすぐかなぁ?」
僕が抵抗しないのを良いことに、医師がぐいぐいと歯茎を押してまた何かを確かめている。いい加減止めてほしい。
「うー……」
牽制の意を込めて顔を
「あっ、ごめん! 嫌だったよねぇ。ごめんねぇ」
「あー、あっ」
ちゃんと僕の意思は伝わったらしい。素直に謝罪されたので、悪い気はしなかった。
「歯茎が痒く感じることもあるでしょうから、歯固めなんかをあげるといいですよ。最近西商業区の木工職人がいい歯固めを作っているので、試してみてください」
そう言いながら、医師が丸く削り出された平らな木の加工品を見せた。穴が開いているのはどうやら持ち手になるらしい。あれを噛んだら、気持ち良さそうだ。
「あえ」
「欲しいの?」
母にはすぐに通じたようだ。不快なものは我慢するしかないと思っていたが、リーフとして生きている以上はその必要はないらしい。
――僕はどれだけのことを我慢していたんだろうな。
ふとグラス=ディメリアを名乗る前の、ストリートチルドレン『ソイル』だった頃のことを思い出す。歯が生えようが抜けようが、そんなことには構っていられなかった。最初の乳歯は多分、食料を盗んだ罰で殴られたときに折れたような気もする。
だけど、今の僕にそうした我慢や理不尽は降りかかってはこない。
――これが幸福……なのか?
自問したが、答えはでなかった。安心を得ている自覚はあるが、両親や今日の待合室の人々を見る限りこれは『普通』のことと考えた方が良いのかもしれない。
ならば、幸福とはなんなのだろうか……?
ますますわからなくなった。あの女神、フォルトナが話していた通りだ。僕は、普通も知らなければ、何が幸福なのかもわからないのだ。
診察を受けた帰りは、行きと同じように乳母車に乗って移動した。
行きと少し違ったのは、途中で母が歩を止めたことだ。
「クリフォートさん」
近所に住むというクリフォート家の名が、母の口から零れた。どうやらそこにクリフォート家の人間がいるらしい。
「ジュディで構わないわよ、ナタル」
快活そうな女性の声だった。その声に続いて、赤ん坊の泣き声がした。
「ありがとう、ジュディ。それから……」
「アルフェよ」
「初めまして、アルフェちゃん」
紹介を受けた母が、アルフェと呼んだ赤ん坊に話しかける。
「リーフもご挨拶しましょうね」
呼びかけと同時に乳母車を移動させられる。日除けが畳まれると、横に並べられた乳母車の中が良く見えた。
「あーきゅ、きゅああ?」
乳母車の中には、なにやらこっちを見て懸命に話しかけている赤ん坊がいた。薄紫色の髪に、不思議な色の瞳をしている。僕よりやや小さいところを見ると、少し後に生まれたのだろう。
「まあ、アルフェちゃん。ご挨拶してくれているのね」
「リーフよ。アルフェちゃんより少しだけお姉さんなの。よろしくね」
ここは挨拶をしておいた方がいいのだろう。そう判断して、アルフェと紹介された赤ん坊の目を見つめた。
「あーうああっ」
よろしく、という意味を込めたが、赤ん坊らしい挨拶ならば、こんなものだろう。
「あーきゃっ! きゃーきゃっ!」
その言葉がアルフェにも通じたのか、彼女は急に輝くような笑顔を見せ、ご機嫌に手足を動かし始めた。
円らな瞳――特に、金色の右目がキラキラと輝いてとても綺麗だ。
「きゃっ、きゃっ!」
僕に触ろうと手を伸ばしたアルフェの指先が、ほんの少しだけ僕の腕に触れる。触れると同時にアルフェはご機嫌な声を上げて、じたばたと手足を動かした。
「ふふふ。リーフちゃんのことが好きみたい。これからは、たくさん遊びましょうね」
なるほど、これが『普通』の赤ん坊らしい。自分よりも少し後に生まれているのならば、参考にしたところで発達の早さを怪しまれることもないだろう。
「あーうぁ」
アルフェ、の名を意識して発音すると、彼女には通じたのかぱちぱちと瞬きをして見せた。
「あーう」
まるで僕のことが分かっているかのように、アルフェが手を伸ばす。彼女に合わせて手を伸ばしてやると、小さな手が僕の手をきゅっと握った。
小さくて温かくて、それでいてどこか力強い手だった。
それが僕とアルフェの、出会いだった。
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