第9話 求められる振る舞い
赤ん坊というものは、こんなにも時間を持て余すものなのだろうか。
とにかく暇だと思えるほどに、リーフとしてのこの命は平和な時代の平和な場所に生まれついたようだ。
あまりにも暇なので、なにか字を読みたいが仰向けにしかなれないので本を読むのは難しいだろう。せめて天井に何かを貼ってくれると暇つぶしになるのだが……と思って眺めていたせいか、ある日ルドラが天井から吊す玩具を取り付け始めた。
糸と小枝のようなものを組み合わせたものに、カラフルな布の動物を模したぬいぐるみがぶら下がっている。室内を漂う風でそれはくるくると動きを変え、不規則に動いた。
この複雑な動きを数式にしてみるのも一興だろう。いい暇つぶしにはなりそうな気がした。
「……どうだ? 楽しいか?」
どう計算式を組み立てたものかと眺めていると、僕が興味深く見ていると思ったのか、ルドラが顔を覗き込んできた。質問に答える代わりに、目を合わせて笑ってみることにした。
「見ろ、ナタル! リーフが笑ったぞ!」
上手く笑えたらしく、ルドラの目が大きく見開かれ、大きな声を上げた。
「すごいわ、リーフ。ママにも笑ってくれるかしら?」
すぐにナタルが駆けつけて、僕に微笑みかける。僕はその表情を真似るように顔の筋肉に働きかけて、笑いの形を作ってみた。
「まあ! リーフ!」
驚きと喜びの入り混じった甲高い声を上げた母が、僕をベッドから持ち上げて抱き締める。
天井の玩具の動きから計算式を考えていたが、どうやらこの様子ではまた後にした方が良さそうだ。頭の中で考えていたことを放棄して母の腕に身体を委ねると、すぐに眠気が襲ってきた。
目が覚めたのは、真夜中のことだった。
暗くてなにも見えないが、二人の寝息がどこからか聞こえてくる。おむつが不快だが、こんな夜中に起こすのも迷惑だろうと、黙って耐えることにした。
だが、冷たさとむず痒さのようなものが臀部を伝ってじわじわと広がってくる。さすがにじっとしているのは苦痛だったので、もじもじと身体を動かしていると、気づいた母がすぐに新しいものに交換してくれた。
「……ごめんね、気づかなくて」
気をつかったつもりだったが、両親は二人とも起き出して面倒を見てくれる。ルドラが温めたミルクを用意して持ってきたので、少しだけ飲んだ。
もう少し飲みたい気持ちもあるが、夜も遅いので早く切り上げた方が良さそうだ。三匙ほど飲んで舌先を出すと、父が顔を近づけて話しかけてきた。
「食が細いようだな。リーフ、もう少し飲んだらどうだ?」
見抜かれたように思ったが、もういらないというポーズを示すために唇を引き結ぶ。
「ルドラ、そのくらいにしておきましょう。無理強いしては吐いてしまうわ」
まだ納得がいかない様子の父を、母が穏やかに制し、父の腕から僕を抱き上げた。
「リーフ、お腹が空いたらすぐに起こしてね」
優しく言われると、胸にあたたかな光が点ったような感覚がある。返事代わりに「あー」と声を出して微笑み返した。
「……本当に大人しい子。赤ちゃんって、もっと泣いたりするものじゃなかったかしら……?」
いわゆる普通の赤ん坊がどういうものかわからないが、もしかすると『らしく』ないのかもしれない。どうすべきなのだろうかと思っていると、父が明るい声で母の不安を払拭してみせた。
「お前に似て聡明なのだろう。見たまえ、我々の話に耳を傾けているようだ」
「ふふふ。本当ね」
同意を示した母が、僕の頬を手の甲で撫でながら穏やかに微笑む。
「ねえ、リーフ。大人しいのはとても助かるけれど、今日みたいにおむつが濡れたときや、お腹が空いたときは我慢しなくて教えてほしいわ。出来るかしら?」
「ふぇっ」
返事をしたつもりだったが、情けない音が漏れただけだった。
「ははは。凄いな、リーフ。ママのお願いがちゃんとわかるのか?」
声を出すのは諦め、ゆっくりと瞬きを試みるが伝わりそうにない。やはり、赤ん坊のうちは微笑んでいるのが一番なようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます