第六話 時宿り

時宿り 1


 さあ、では、長々と語った私のお話も、これで最後である。『清観きよみの儀』から六年後の、十八歳。世間一般では高校三年生という、人生の分岐点と呼んでも決して過言ではない大切な時期。それは隔絶され、学校という制度自体がない、烏瓜村に生まれた私にも、平等に訪れていた。まあもちろん、進学やら就職やら、そんな一般的な選択に追われていたわけではない。ある意味ではもっと切実に切羽詰まった状況であった、し、あるいはあまりに局所的で周囲からは取るに足らない物語であったのかもしれない。だが、これだけは言える。これは、私個人としてはしごく重要なターニングポイントだった。季節は、またも、冬。あの忌まわしき儀式――あるいは事件から、六年と少し。その、年の瀬だった。あのころ、やけにたくさんの人間が死んだ。それは私の知る限り、どれも殺人などという凶悪なものではなく、事故や、老衰によるものだった。それでも、人が死ぬことには大きな意味が伴ってくる。それが介在しない人間など、この世のどこにもいないのだ。その渦中で、私という取るに足らない個人の、人生観が変わった。気付いてみれば簡単な話で――それは全世界に拡大しても通ずる真実なのだけれど。少なくとも現代――この、二十一世紀。世界には死者より、それを見送る、生者の方が多いのである。


        *


 学校はない。と、言ったけれど、烏瓜村には、かつて学校があった。よくよく話を聞いてみると、それは、公的な機関ではなく、私塾のようなものだった。私たちの世代でいう、私のお兄ちゃんが子どもたちに勉強を教えていたのと、ほとんど同じだったのだろうと思う。どうやら先生役だった老人がお亡くなりになり、後を継ぐ者がおらず、『廃校』となったようだ。それから数年して、お兄ちゃんが――後を継いだわけではないけれど、似たようなことを始めたのだとか。その昔の先生役であった老人が住み、また、教え子たちが集まっていた屋敷が、当時では学校と呼ばれたり、呼ばれなかったりしていた。とにかく機能としては学校らしさを、幾分か保ってはいたのだろうと、それくらいのものである。

「だる……」

 そんな学校の残り香みたいな屋敷の一室にて、私は机に突っ伏した。このころには自覚的に『ダサい』と理解していたジャンパーを、まだ着続けて。まったく進んでいない課題を押し潰すように、体重をもたげたのだ。

「よりちゃん、全然進んでないじゃん」

 定子さだこちゃんが向かいの席で言った。やけに姿勢正しく腰をしゃんと伸ばして、私とは対照的にすらすらと鉛筆を走らせていた。あのころ、きっと誰もが勉強を楽しんではいなかったはずなのに、なぜだか勉強することが遊びのようなものになっていた。いや、義務でもあったのだけれど。しかして、定子ちゃんに限っては義務ではない。なれば、彼女はきっと、私たちに合わせてくれていたのだろう。真面目な性格の定子ちゃんに、勉強が合っていた、というのもあったのだろうけれど。

「そりゃ進まないよ。なんでんかんでんだもん」

「ちんぷんかんぷん?」

「それ」

 ふ……と、鼻で息を吐く、小さな音が聞こえた。机に突っ伏して、彼女の顔を見れていなくても解る。それは、困ったようにはにかむ、定子ちゃんの癖だった。

「じゃ、ここまでやって、よりちゃん。できなかったところは、わたしがやるから」

 そう、優しく言って、定子ちゃんは、私の課題にチェックをつけた。

「んー……」

 それで、私はしぶしぶ肯定した。正直、彼女のその助力に甘えていたところはある。だらけてれば定子ちゃんがそう言ってくれると信頼していたから。だけれど、言われてみると罪悪感が芽生えるし、それにより、自分でやろうというやる気も出てくる。……やる気が出てこようと、解けない問いは解けないのだけれど。


        *


 あのころ、どうして私たちが勉強していたか――というより、勉強をすることが必要だったかというと、学校に通っていたからだ。いや、なんだかこれは、正確じゃない。学校に所属していたから。かな。いわゆる、通信制の高校に所属していて、月毎に課題が与えられ、それをこなすことで高校卒業という箔を手に入れることができた。それを、目指していたのである。

 とはいえ、どうしてそうまでして、高卒資格が欲しかったかというと、なんのことはない、照花てるかちゃんが村を出て、街の大学に通おうとかとち狂ったことを言い始めたからだ。それに私が付き合っていた形であり、それにさらに、定子ちゃんが付き合ってくれていた、と、そういうことである。二重に『付き合って』という表現を用いたのは、私は、照花ちゃんと一緒に街の大学に行くつもりだったけれど、定子ちゃんは村に残る、という違いを表してみた。つまり、私と照花ちゃんは村を出るつもりで、定子ちゃんは残る。だけれども、勉強に限っては、定子ちゃんも一緒にしていた、と、そういうことである。

 ともあれ、そういった理由で、私はずっとサボってきた勉強に、とうとう着手しなければならない境遇になってしまった、というわけだった。


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