死代り 3
一言一句を噛み締める。寒さで体は震えたけれど、頭は透き通るように冴えていた。
「ノイギィ……って、神様?」
それでも、私はまだ、その意味を理解していなかった。なんだろう、それは、なんらかの比喩だろうか。とか、そんなことを思っていたように思う。
「ガラは、禁忌を犯した」
私の疑問に答えるような、ただマイペースに話を進めるだけのような、どっちともつかない言葉だった。だからただ、私は次の言葉を待つ。
「『清観の儀』が行われた祭殿の部屋。あのノイギィの彫刻。どんなだったか覚えてる?」
「どんなって……うーん。……なんだか大きい獣で、ちょっと怖かったような――」
「怖い……か。どのへんが怖かった?」
「壁そのものがだいぶ古い感じだったし、ところどころ傷があって、それに、目のところが真っ黒で――」
「そう。目がさ、深い彫みたいに真っ黒だったよね。真っ黒というか、真っ暗、なんだけど」
「真っ暗……?」
そこで照花ちゃんが、寝転がした上体を持ち上げるから、私も遅れて、同じようにした。互いに雪の上、腰を落ち着けて座っている、そんな姿勢だ。
「深く穴が開いていたってこと。で、その壁の反対側。なんの部屋だったか覚えてる?」
「覚えてるって――」
そんなことを問われても、そもそも知らない。私たちはあの祭殿に、あの日はじめて足を踏み入れたのだし――。そう思って、すぐ、思い直した。そして気付いてしまえば、うっすらとことの真相を理解し始める。雪とは別の冷たさが、少し背中を流れた。
「……隣は、あの壁の先は、男子たちが儀式を――」
「してたよね。男子と女子、儀式はノイギィの御神体を挟んで、向かい合わせに行われていたわけだ。たぶん男子側の部屋も、あの壁にノイギィの彫刻が彫られていたんだろうね。そして顔に開いた、ふたつの穴。真っ暗で、深い、穴。壁の一枚くらいなら突き抜けててもおかしくないような、深い穴」
「ちょっと待って」
私は、先を聞くのが怖くなって、いったん、止める。照花ちゃんはニケケと笑いながら、待ってくれた。その間に私は思考を巡らせたけれど、それは空を切るように無意味な情報の羅列を繰り返していて、なんらの生産性もなかった。御神体。開いた穴。隣は男子部屋。貫通。古ぼけた彫刻。壁。傷。儀式。儀式……儀式……あの、下劣で卑猥な、されど私たちが、しきたりとして仕方なくだったとはいえ能動的に行った、あの、一連の、儀式!
どうせ、ここまで気付いてしまえば、真相を知らずに話を終えることなどできやしない。そう、理解して、照花ちゃんと目を合わせた。その意図を汲み取ってか、照花ちゃんは会話を、再開する。
「あの、目を模した穴は、覗き穴。男子と女子、互いが互いを覗けるような構造に、あの部屋はなってた」
凍っていた背筋が、ぼっ、と、発熱する。順にそれは上って、頬が赤くなるのを、感じた。
「ガラは、女子部屋を覗いてた。だから、罰を受けたんだ」
照花ちゃんはまた、ニケケ、と、笑った。その笑いはいつも以上に気色悪くて、なんだか、卑猥に見えたのだった。
*
体を火照らせる熱によって、汗が少し、流れた。それは冬の寒風にさらされ、一気に体を冷やしていく。
「み、見られてたの? あの、儀式を……?」
言葉にするとなお、体が火照っていった。薄着でしかない私は、冬の風に凍えているはずなのに、体の奥底からは絶えず熱が広がっていく。それによって体外に出ていく汗は、普段かいているものよりよほど粘性が高く感じられた。嫌な感触のする、汗だった。
「『清観の儀』ってさ」
照花ちゃんは返答として、まず、そのように切り出した。
「『清らか』であること――つまり、純潔であることを、『観せる』儀式なんだよね。でもさ、それって、なんの意味があるわけ?」
照花ちゃんは疑問形を用いた。しかし、私が答えるほどの間も開けずに、次の言葉を紡ぐ。
「別にあたいら、ノイギィに娶られるわけでもないし。生贄になるわけでもないじゃん。捧げられる、ってのも、違うだろうし。ノイギィ的にさ、信者が十二歳になるまで純潔であることを確認して、どんな利益があるのさ?」
「ふ、風紀的な乱れを抑えるため、とか?」
とにかく思いついたことを答えておいた。今度は答えるだけの間があったから。なんでもいいから否定的な立場に立って、照花ちゃんの言葉が、なにかの間違いであると思いたかったのかもしれない。
「それは表向きな――というより、大人的な事情かな。でも、ノイギィとしては、性行為って、むしろ幼少からでも推奨すべきことだと思わない? 土着の神様なんだし、こんな外界との交流がない烏瓜村では、生まれた子は将来的に、基本、全員ノイギィの信者になる。なら、まだ子を身篭れない年齢からでも、セックスのやり方を学ぶ意味でも、純潔なんてとっとと散らした方がいいでしょ?」
まあ、神様が信者を本当に欲しがっているかは知らんけど。と、照花ちゃんは付け加えた。私は、そんなことを疑問形で言われてもなんとも、返す言葉がなかった。性行為とかセックスとか。そんな単語自体に触れる機会が――まあ子どもだから当然なのだけれど――ほとんどなかったし、耐性がなかったから。それだけで頭が沸騰していたのだ。
「いやまあ、ちょっと話は逸れたけど、そういうわけでさ。『清観の儀』は、そもそも、ノイギィのための儀式じゃない、ってこと。じゃあ、誰のためのものかっていうと……あの儀式はもともと、十二歳になった
おにーさんに聞いた。と、照花ちゃんはようやっとここで、それを付け加えた。なんだか儀式について、やけに詳しいとは思っていたのだ。だが、ともすれば照花ちゃんの作り話かと期待していた私は、この会話がそうではないことを突き付けられたようで、やはり、体を火照らせた。
「で、男子――というか、男性は、こっそりその様子を鑑賞する。配偶者を吟味するために。……いまでこそ男女平等にはなってきているけど、昔は圧倒的に男性優位な社会だったからね。女性は男性に選ばれて、拒否権なく娶らされて、子を産むだけ。そのために男性が品定めする場こそが、あの儀式だったんだ」
知らんけど。と、いまさらなんの救いにもならない口癖を、照花ちゃんは付け足した。ニケケ、と、笑っている。なにを笑っているのだと、少しだけ憤慨したような覚えがある。
「当時からそれが、ノイギィに捧げる儀式だっていう大義名分はあったからね。現代になって、裏の風習が失われても、儀式自体は残り続けた。そして、儀式の間もね。儀式を覗き見れる、覗き穴と一緒に」
私は、徐々に冷静になっていた。体も、いつまでも火照り続けてはいられないのだろう。寒風に耐えながら騙し続けるにも限界があるはずで、私は、少しだけ落ち着いてきていたのだ。
だから、あまりに薄情な発想に思い至る。
ああ、あんな恥ずかしい姿を見られた。けれど、それを見た者が、もうこの世にはいないというのは、唯一の救いなのだろうか。ってね。
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