視覚的不協和 3


 よく考えれば解るのだが――というか、よく考えなくても解るのだけれど、師走も近い十一月末に、街灯などもない山間の烏瓜村にて、夕方の、しかも雪が降って曇った状況で、もはや影踏みなんぞできようはずもない。いつもの待ち合わせ場所、村の中央あたりにある十五分ずれた柱時計に私と照花ちゃんが到着すると、男子ふたりは影踏みをするでもなく決闘していた。いや、それも幼稚なおままごとなのだけれど。具体的には、ケンシくんが普段持っているような長い木の枝をノクトくんも構え、まるで決闘のように立ち合っていたのだ。そして、私たちが到着するやいなや、まるでそれを合図にしていたように彼らは動き出し、互い互いに一目散、切り掛かっていった。定子ちゃんが見たら悲鳴を上げる場面である。かくいう私も小さく「あっ!」と叫んでいた。照花ちゃんは楽しそうにニケケと笑っていた。

「うおおおぉぉ――!」

「たりゃああぁぁ――!」

 などと掛け声をあげ、さも真剣そうに――木の枝なのに――斬り合う男子たち。馬鹿だ。馬鹿すぎる。男子って馬鹿すぎる。というか危なすぎる。死ぬぞ、おまえら。そう思った。

「やめろ馬鹿ども!」

 思うだけにとどまらず、私は言っていた。叫んでいた。雪玉を作っては投げつけていた。

「痛っ! やめろ邪魔すんな頼子!」

 ケンシくんが大声で抗議する。『ガラ』というあだ名の由来であるダミ声は健在だった。やや声は低くなっていたけれど、まだ声変わりもしていない様子で、印象としては七歳のころとさして変わりない。背もそんな伸びなかったし。

「ちょ……降参! 種子島やめろ!」

 種子島がなにをさしているかは当時まったく解らなかったけれども、根を上げていることは解った。ノクトくんの敗北宣言に私は種子島を中断する。彼は順当に成長していて、背も伸びて、声変わりもし始めていた。低くなった声にちょっとだけときめく私がいた。ちょっとだけ。

「あんたらせめて今日くらいはおとなしくしなさいよ!」

 私は最後にそう、叱り飛ばした。女子としてあまり誇って言いたくはないのだけれど、当時、私は一番の成長株だった。背も一番高くて、それをからかうようにみんなが怯えるようなポーズをとるから、私もおどけて姉御肌を披露していたりしていたのだ。そしてそれが少し定着し始めていた。まったくもって私のキャラじゃない。

「前祝いだよ、前祝い。儀式終わったらご馳走が待ってるんだぜ?」

 ケンシくんが言った。どうやらまだまだ話し方が子どもっぽい。いや、十二歳っていえばまだまだ子どもなのかもしれないが。

「ご馳走っても熊肉でしょ? 私あれ得意じゃないし」

 決して嫌いで食べられないとまでは言わないが、烏瓜村で食べた熊肉や鹿肉、猪肉はあまり好んで食べたい代物ではなかった。でも、ケンシくんやノクトくん、少なくとも男子には高評みたいな様子があったので、私が少数派である可能性も高い。

「頼子はそうだろうと思って、実はうちからお菓子を差し入れることになってる。チョコレートあるよ?」

 照花ちゃんが私の耳元へ吐息を近付けてそう囁いた。白い蒸気に変わる彼女の息が適度に心地よく、こそばゆかった。

「……マジか」

 私は、結局一番成長しなかった、五人の中で当時一番背丈が低いままの照花ちゃんに視線を下ろし、あふれる期待を隠しきれずニヤついて、そう言う。

「……マジだ」

 照花ちゃんも私に合わせたような言い回しで答えてくれた。周囲に知られてはならない極秘の取引を行うバイヤーのように、なにか含んだところのある笑みを浮かべる。

 ぷ……と、私たちはややあって、同時に吹き出す。互いに互いがおかしかったのだろう。あのときの息の合いようは絶妙だった。ゆえに、よく記憶に残っている。

「痛っ!」

 その後の顛末もだ。瞬間で現実に戻すその痛みは、認識が追い付くごとに冷気を感じさせ、『雪玉』という具体的な存在を想起させる。それに気付くころに、追い打ちの二打目。

「ぶ……」

 気付いてそちらへ顔を向けたのと、その二打目が見事にかちあった。ゆえに、私は間抜けな声を漏らして、少し雪を食う。

「だっはは! ぶ! だって! ぶ!」

 視界を確保すると、私を指差し、やけに楽しそうに大爆笑するケンシくん。指差すのと逆の手には、まだ雪玉が握られており、ややあってそれも放られるのだけれど、笑い過ぎて完全にコントロールが狂っていた。躱すまでもなく、それは地面へ埋もれ、雪化粧の一部へと回帰した。

「…………」

 私は黙って、その場にしゃがみ込んだ。地に手をつき、雪を集める。ケンシくんはそんな私の行動を見ているのかいないのか、ただただ爆笑を継続していた。

 私は雪玉を作る。そしてそれを両手で持ち上げ、のそりのそりと彼へ近付いた。そばにいたノクトくんは一目散に距離を取ったけれど、ケンシくんは背を向けて爆笑していたので、どうやら気付いていなかったようである。

「……覚悟はできてるんだよね? ケンシくん」

「あははは……え?」

 たいして成長しなかった彼の体の、その半分くらいはありそうな大玉を、私は高身長の高みから、思い切り振り下ろした。


        *


 それから、ごくごく自然な流れで雪合戦は始まっていた。特段にチーム分けはしていなかったのに、これまた自然と、男女で分かれてペアを組む形となる。私は照花ちゃんに雪玉を投げつける気などなかったし、ケンシくんはノクトくんの作った雪玉を勝手に拝借していたし、まあ、なるべくしてなったチーム分けと言える。

「はっはっは! ノクトの雪玉作りのスピードに勝てるかあ!?」

 とか、やつはその雪玉を無駄に消費しながら――基本的にコントロールが悪い。というより、最初の不意打ちはともかく、動く的にはそうそう当てられはしないものだ――やけに楽しそうにとりあえずガムシャラに投げつけてきていた。

「おい! 僕の雪玉を取るなよ!」

 ノクトくんが叫ぶ。まさにもっともである。そして彼は仕返しとばかりに、暗黙でチームとなっていたケンシくんに謀反、彼の背に、その服の中に、雪玉を突っ込んだ。

「ひょええぇえ……!?」

 会心の一撃。ケンシくんはまるで全身に火がついたのをもみ消すように雪原を転がった。

「はい、頼子」

 端的に照花ちゃんが、こっそり作成していた超大玉――私がさきほどケンシくんに振り落としたものと同等か、それ以上のサイズ――を、私に差し出す。

「ありがと、照花ちゃん!」

 遠慮なく私はそれを抱えて、いまだ転がるケンシくんのもとへ――。

「あっ――!」

 お約束だった。そういや私って、別に運動神経はよくなかったな。と、走馬灯のようにふと、思った。

「――――!!」

 ずっこけた私はケンシくんに覆いかぶさり、ついでに抱えていた超大玉も自ら――ケンシくんをも巻き込んで、シャワーのように浴びてしまう。決してそこまで雪量が多かったわけではないだろうが、それなりの重さと、はしゃぎ過ぎた疲労で、長く立ち上がる気力が起きなかった。

 上がった息で、ケンシくんを撫でる。その逆も同様に。たまたま覆いかぶさった体勢が、そうなっていた。互いに顔を引っ付け合うような、そんな。

 あ、ケンシくんも男の子だな。って、当たり前のことを思った。好意も嫌悪も特になかったけれど。ああ、七歳のころとは違って、ちゃんと男の子だな。みたいな印象だった。

「ど、ど、ど、……どけよ!」

 息が上がって、赤くなった顔で、ケンシくんは言った。

「あ、うん。ごめん」

 私は言って、立ち上がった。ケンシくんも立ち上がり、互いに雪を払う。

「あ――」

 ケンシくんがなにかを言いかけた。

「頼子」

 が、それを遮って、別の声が響く。お兄ちゃんの声だった。

「そろそろ準備せなあかんで」

 手招きされる。空はすっかり闇に包まれていた。私は白い息をひとつ、見上げて。一度、ケンシくんを見る。目を逸らされた、けど、手を振っておいて。

「あとでね」

 と、別れを告げた。


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