39 カフェ『Gen』
タウン誌に小さく載ったnew openのお知らせ。
郊外の、山の中腹に海まで望めるカフェが出来たようだ。店主がひとりで切り盛りする、小さなカフェ。車が無ければ行くのは少々困難だが、プレオープンでリスやキツネも訪れたと、ネットでは話題になっている。
何より面白かったのは、カフェなのにおでんが食べられること。作りきりで、無くなればお終いだけれど、ランチメニューにも載っている。
デザートは種類は少なめだけれど、週替わりで楽しませてくれ、その味は店主の経歴からもお墨付きだ。本格的なケーキセット、気軽に食べられるトライフル。昔懐かしいフルーツポンチを現代風にアレンジしたもの。メニューに載る写真を眺めるだけでも楽しくなってくる。
黒縁眼鏡におさげの女性が、カウンターの少し高い椅子で足をぶらつかせながら頬杖をついていた。アイスティーのグラスの水滴を眺めているようだが、気持ちはここにない。存分に紹介記事を書こうと、あれこれ頭の中でこねくり回しているようだ。
カラン、と氷が涼やかな音を立てる。
「マスター、『想い出の味』のことも書いていい?」
「おや? こっちでは『マスター』なのかい?」
隣に座る、赤い浴衣の少女がその姿に似合わない、はすっぱな態度で尋ねた。
「そうですよぉ。だって、シンプルな縦襟のシャツにソムリエエプロン姿なんて、マスター以外に何と呼べと! 前の和風な感じと全然違うんですもん! オタク心に火がついちゃいます!」
話題の中心の店主はその少しきつい目つきを伏せて、苦笑している。
「好きに呼んでくれ。ネットの記事だったか?」
「まあ、ブログに毛が生えたみたいなもんですよ。だから、そこまでの反響はないと思うんですケド……」
「ちゃんとできないものもあるって書いてくれるならいいぞ」
「そこは、細心の注意を払いまっす!」
嬉々としてまた自分の世界に入って行く女性を、カウンターの少し向こうでコーヒーを啜ってる男性が鼻で笑った。
「もっと影響力あるところを使ったほうがいいんじゃ? 人見さん、受けてくれないの?」
「そういう訳じゃないが。地元局の夕方の番組には売り込んでくれるらしい。まあ、あんまり大々的にやられたくもないんだが。手に余る」
「忙しくなったら、手伝いますよ。ウェイトレスくらいなら、なんとか!」
「そうだねぇ。あたしゃ無理そうだから、あんた責任もって手伝えばいいじゃないか」
「は? 俺はちゃんとここまでやっただろ?」
男は両手を広げて、満足気に店内を見渡す。
「それはやって当たり前の仕事だろ。あんたは詫びも礼もしてないじゃないか。お役御免なら、もう一度吸い取ってやろうかね?」
歯を剥く少女を女性がまあまあと宥める。
「もめごとは、外でやってくれよ」
ぴしゃりと冷たい声に、少女も男もぷいと顔を背けてそれぞれの飲み物を口にした。
「そうだ。お嬢さん、ついでに座敷童のいる店って書けよ。労せず幸を掴みたい輩がぞろぞろ来るぞ」
少女は嫌そうに顔を歪める。
「あ、それは私の読者だと、書かなくてもそのうち噂になるかなって」
「やだよ。姿は消しとかなくちゃならないのかい? 面倒だねぇ」
カウンターの向こうで、店主が小さく笑った。
「おっと、そろそろ行かないと。人見さんによろしく。いつもの、置いとく」
「よろしくはしてやらないが、もらっとく。毎度」
男はちょっと肩をすくめて出ていった。
カウンターの上にはコーヒー代とタクシーチケットが数枚。
「嬢ちゃんは、そろそろ来るかね?」
「今週は少し残業が続きそうだってさ」
「週の半分はここから通ってんだろ? 一緒になっちまえばいいのに」
「ここが順調にいったらな」
「座敷童にでも声をかけようかねぇ」
「姐さんが来るんだから、充分だろ」
「ちょいと! あたしゃ座敷童じゃないよ! どいつもこいつも!」
店主とおさげの女性が笑っていると、ドアベルがカランと響いた。
「わー! 見て、見て! やっぱり、夜景も見えるじゃない!」
はしゃぎながら入ってくるカップルに、店主はレモン水を用意する。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ。全席禁煙になっておりますので、お煙草はご遠慮願います」
「はい! ほらぁ、人気になる前に来てよかったでしょ?」
賑やかな客の登場に、赤い浴衣の少女はすうっと姿を消した。
「……あんまり人気になっちゃうと、姐さんも居づらくなっちゃいますかね」
おさげの女性がぽつりと呟くと、店主はコーヒーカップを洗いながら、笑った。
「居づらいなら、来なきゃいい。だが、こっちまで勝手についてきたくらいだからな。追い出しても居座りそうだ」
「閉店後も賑やかそうですね」
女性が苦笑すると、店主は作業着姿の大柄な男性と、どこかの隠居のような着物姿の男性が、集まってきた鳥やリスを前にコーヒーを傾けているオープンスペースを見やって肩をすくめる。
「山だからな。今まで見なかった客も来るようになったな」
「儲けはあるんですか?」
「どうにかして払う客しか相手にしない。秋には小桑酒が飲めそうだ」
「
ちょっと意地悪な顔をして聞く彼女に、店主は何とも言えない顔をした。
「視えないから、怖くないって。動物は好きだし、
「肝が据わってますね」
「受け流し方が半端ない。そういうものなんでしょ? って、それだけで納得しちまう。無理してるのかとも思ったけど……そうでもないらしい。あるがままに受け入れるのは、彼女の特性なのかもな」
「わー。ゴチソウサマデスー」
にやにや笑いに、店主は声を詰まらせて、そのまま黙り込んだ。
カップルもいなくなると、紹介記事の礼だと、タクシーチケットを一枚おさげの女性にサービスして、店主は閉店作業を始める。
外の看板の電気を落とすと、タクシーが一台やってきた。風が吹いて、開店祝いのスタンドの花を揺らす。
ドアが開いても、後ろに乗っていた女性はなかなか降りてこなかった。
チケットがあるはずなのにと、店主は訝しんでいる。
ようやく降りてきた彼女は、笑顔で彼に駆け寄った。
「今終わったとこ? お客さん、どうだった?」
「ぽつぽつだな。何話してたんだ?」
Uターンするタクシーを見送りながら店主が言う。
「新装開店したから、お薦めよろしくお願いしますって」
「そんなに宣伝しなくとも」
「初動が大事よ? きっと、上手くいくから」
「そこそこでいい」
「欲張りましょうよ。最初くらいは。自慢したいもの」
ゆっくりと近づいた二人だったけど、店主は途中でぴたりと動きを止めた。
「……なに?」
「……いや、ギャラリーが……」
「見えるから、気になるんじゃない? 目をつぶっちゃえばいいの!」
けろりと言って、彼女から彼にキスをした。
背後には狐と狸が数匹。
空では星が、目下では夜景の明かりが、まるで祝福するように瞬いた。
* おばけ居酒屋の裏メニュー おわり *
(おまけでもう1話あります!)
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※-gen
命を与えること、子孫をつくること、繁殖に関係することや、家族、部族に関係することを表す。
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