32 六道の辻

 ぴぃひゃら どんどん。

 お囃子の音が聞こえる。赤と白の小ぶりの提灯がずらりと並び、からころと下駄の音。

 東京かすていら。金魚すくい。りんご飴。射的にわたあめ、お面屋さん。

 賑やかな屋台がずらりと並び、けれどどこか違和感が付きまとう。

 確かに、お祭りに来たけれども。


「お姉さん。迷子?」


 狐の面をつけた子が、声をかけてきた。

 迷子? そういえば、芳枝よしえがいない。


「ほらほら、ぼんやりしちゃダメ。危ないよ?」


 するりと指先を掴まれ、引っ張られる。身体が自然について行った。

 最初はゆっくりと、だんだん小走りに。息が上がって、足がもつれそうになる。


「……待っ……」


 声を上げたとたん、指先が離れた。

 不意に、芳枝の手が離れた瞬間を思い出す。

 暗闇で、誰かに手を掴まれて、振りほどこうとしていたら、芳枝の手も離れて。

 そのまま

 少し意識がはっきりして、辺りを見渡す。小さな広場だ。中央にやぐら。周囲をぐるりと屋台が囲んでいて、合間に何本か道が見える。

 こんな場所、あっただろうか? どこに連れ出されたのだろう? それとも、これもお化け屋敷の中?


「変な道に迷い込んで、門を開けちゃだめだよ」


 人混みの向こうで、さっきの子が笑いながら言う。お面を少し横にずらしたその目元は、お面の狐と同じように赤い化粧が施されていた。目の前を誰かが横切って、すぐに姿が見えなくなる。

 でも。

 見知った顔のような気がして、私は慌てて向こうを覗き込んだ。


「え。あなた、大樹さんの……? 彼に会わなかった? 一緒に、来たんだけど……」


 ひとり、ふたりと人を掻き分けてみても、もうその場にその子は見当たらない。人の隙間に狐の面がチラチラと見えて、遠ざかる。


「待って! ねぇ!」


 追いかけようと何歩か足を踏み出した時、今度は横合いから伸びた手に掴まれる。


「迷子の時は、闇雲に動いちゃ駄目ですよ?」


 その声にどきりとして(どうしてだろう)、おそるおそる振り返った。


「……吉出、さん?」


 いつもより少しラフな格好で、吉出さんがにこりと笑う。


「あれ。僕じゃダメな感じ?」

「え。いえ。ダメとか……びっくりして」

「あの店主と仲良さそうだものね。人見さんはひどいなぁ。僕があの店を探してるって知ってるのに」

「えっ?!」


 すぅっと、弧を描いている口の線が耳の方まで伸びていくような錯覚をする。


「確かに、見つけたら教えてくれとまでは言わなかったけど。それほど興味もなさそうだったのにさ」

「あの……」


 掴まれた腕をほどこうともがいてみても、吉出さんは離してくれない。


「僕がプロデュースして、君が宣伝する。一部の常連だけが通える店だなんて、もったいないだろ? 協力しようよ」

「でも……大樹さんは……」

「やる気がないって? そうかな。じゃあ、どうして今まで続けてるの。イヤイヤ続けている店に客がつくなら、本気を出せばどれだけの利益が見込めると思う? 幸い、話題性は充分だし、なんなら、カフェに改装して――」


 私はようやく吉出さんの手を振りほどくと、少し後退った。


「ようやく少し前向きになってくれそうなところなんですよ? カフェなんて、多分、一番頷かない」


 少しだけ眉を上げて、吉出さんは私が下がった分、一歩詰めた。


「……ふぅん。人見さんも、彼の過去知ってるんだ」

「最近です。知ったのは……」

「じゃあ、わかるだろ? 過去の話、お爺さんの話、うまく使えばって」

「そう、かもしれないけど……本人が納得しないものを無理やり、というのは、違う気がします」

「じゃあ、人見さんが納得させてよ。君だって彼の味を食べ続けたいから通ってるんだろ? そのくらいなら、待つからさ」


 必要以上のもう一歩を詰められて、伸ばされる手を避ける。

 大樹さんの料理を食べたこともないはずの彼が、どうしてそこまでこだわるのか、私には理解できなかった。


「お爺さんの時から、な、何度も断られてるんですよね? どうしてあの店をそんなに……お金だけの問題じゃないんですか?」

「金? 必須ではないけど、あって困るものじゃないしね。『想い出の味』は僕らにも特別なんだよ。いいかげん、彼女には独占を止めてもらいたいのさ」

「彼女……? 独占……?」

「君にはどちらでもいい話だよ。大事なのは、彼が今後も料理を続けること。そうだろう?」


 そう。私も大樹さんに続けてほしい。でも。

 伸ばされる吉出さんの手は取りたくない。


「どうして逃げるの? 案内してあげるよ。彼の元へ」

「いいです。自分で探します」

「君がひとりで戻るのは、難しいと思うけど」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「仕方ないなぁ。意外と頑固? まあ、じゃあ頑張ってみて。僕はいつでも手を貸すから」


 思ったよりはあっさりと立ち止まって、吉出さんはひらひらと手を振った。彼に背を向けて、人の流れに身を滑り込ませる。

 櫓の周りにあったかがり火台から、ぼっと音を立てて炎が上がった。気づけば周囲は薄暗い。提灯の明かりも、だんだん目立つようになってきた。

 急がないと、どんどん見つけづらくなってしまう。焦る気持ちに呼応して、足は自然と早くなった。


 広場はそう広くない。すぐに一周終えて、枝道へと視線は向かう。はぐれて、みんなで探しているのかも。明かりの少なくなる道の先は不安だけれど、公園を出てしまえば自分がどこにいるのかもわかるかもしれない。

 先に確認したスマホは圏外だった。妙な話だけど、なんとなくそんな予感はしていたので、落ち込むほどではなかった。

 悩む時間が惜しいと、足を踏み出す。広場を出ると、とたんに人は少なくなって寂しいくらいだ。道なりにどんどん進んで――辿り着いたのは先ほどの広場だった。


「……あれ?」


 脇道は無かったと思ったのだけど。別の道を選んでみる。真直ぐ進んでいる気がするのに、やはり広場へと戻ってしまう。どの道もそうなのか……広場に辿り着くたび不安が募る。

 鼻緒が擦れて、痛み始めた足を気力だけで前に進めた。

 広場を半周ほど行ったところの小さな獣道。見落としそうなその道に、半ば無意識で入り込む。機械的に順番に道を試していたので、できたことかもしれない。

 土がむき出しで、小石も多く歩きにくい。

 提灯の明かりも木々に遮られ、薄暗い中を、道を見失わないよう目を凝らして歩く。

 やがて、その道は初めて広場じゃない場所に辿り着いた。


「……神社?」


 左右に立つ、何かの動物の像。朱塗りの柱に木製の門。左右には低木の茂みが続き、中に行くには門をくぐるしかなさそうだった。茂みの奥を覗いてみても、すでに暗く、見通せない。

 どうしよう……人の気配はないし……

 管理施設か何かなら、迷ったと道を聞けるのだけど。

 ノックをしてみても返事はなく、軽く押してみても、その門はびくともしなかった。

 しかたなく戻ろうとして、茂みに沿って草が踏み固められているのに気付いた。管理の人が通るのだろうか。どうせ無駄足ならと、進んでみる。

 人の声も、虫の声も、風の音さえしない中をただ進めば、やがて先ほどと同じような場所に出た。違うと判ったのは、像の形と、門に施された装飾が少し違っていたからだ。

 けれど、この門もさっきの門と同じで開く気配はない。

 まだ先にも進めそうだけど……


 迷っていると、背後から足音が聞こえてきた。

 うつむきがちにゆっくりと歩いてくるおじさん。私は少し駆け寄った。


「あの! この門出ると、どこに出ますか? ちょっと迷っちゃったみたいで」


 おじさんは、ちらりと私を見たけれど、答えることはなく、そのまま門へと進んでいく。

 門の前で立ち止まれば、ギ、と軋む音がした。

 きつく閉じていた門が、おじさんは触れてもいないのに徐々に開いていく。


「あ、あの! 一緒に出ても……いいですか?」


 おじさんはしばらくこちらをじっと見ていたけれど、やがてゆっくりと手を差し出した。

 手を繋げということ? 何か、ルールがあるの?

 戸惑っているうちに、門は開ききり、おじさんが一歩踏み出して行く。


「あ、待って。えっと、よろしくお願いします!」


 私は慌てて、おじさんに駆け寄ると、差し伸べられた手に自分の手を伸ばすのだった。




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