おばけ居酒屋の裏メニュー

ながる

1 想い出の味

 北の地方都市の繁華街、ビルの谷間に忘れられたように建つ一軒の居酒屋。

 木造平屋建て。暖簾も赤ちょうちんもボロボロ。闇にぼんやりと溶け込む佇まいは、まさにお化け屋敷だった。

 店のあるじは少々強面のじじいで、節くれだった指先でお玉をつまんでいる。

 一番人気の、出汁の染みたおでん鍋の上でぴたりと動作を止めた姿は、よくできた蝋人形のようでもあった。


 さて。

 今、彼の視線の先には、一匹のキタキツネがいる。

 丸椅子に器用に腰掛け、ほかほかと湯気を上げる飴色の大根を前に、恍惚とした表情でよだれを垂らしている。先の白い、ふっさりとした尻尾は期待にゆらりゆらりと揺れていた。


「……なあ、おまえさん」

「待って。食べてから」


 子供特有の高い声に、自分の目がおかしくなったのだろうかと源三は目をこする。

 昔から、人じゃないものが人に交じっているのをよく見ていた。店を始めてからも、金さえ払ってくれるのなら客だと、知らぬふりを続けてきた。

 それでも、よろよろと入ってきた子ぎつねが、土のついた百円玉を差し出して、「だいこん……」と注文するのは、源三が初めて遭遇する出来事だった。

 けったいなことに耐性はあるつもりでいたけれど、彼もずいぶん動揺していたに違いない。うっかり普通に注文を受けてしまって、ようやく少し我に返ったのだ。他に客がいなかったのは幸いだったのだろう。


 子ぎつねは器用に箸を使って、大根を四つ割りにした。皿の端に添えたもすくって、ちょこんと乗せる。とがった口に大根が吸い込まれていくと、はふはふと息を弾ませ、やがて眼を閉じ俯いた。両手は頬に添えられ、ぴぴぴと震える三角の耳。源三は、思わず手を伸ばして撫で繰り回してやりたくなった。


「お…………ぃしーーーい!」

「ありがとよ」


 知らず、頬が緩む。誰かが幸せそうに食べる姿を見るのが好きで、源三はこの仕事を始めたのだ。だから、客が来ようが来まいが毎日店を開ける。四方をビルで囲まれてしまった今では、何人かの常連のために開けているようなものだった。子供たちも継ぐ気はないし、そろそろ畳み時かな、などとぼんやりと思っている。

 子ぎつねは、残りの大根も綺麗に口に運び、皿に残った汁まで飲み干してしまうと、名残惜しそうにそれを置いた。少し、背筋が正される。


「ごちそうさまでした! ……姐さんの言ったとおりだった。ぽかぽかあったかなお味」

「あねさん?」


 源三の脳裏に赤い着物がちらりとぎる。


「誰かの紹介かい?」


 コクリと頷いた茶色い毛玉は、そろそろと上目づかいで源三を見上げた。


「源さん、になれば『想い出の味』を食べさせてもらえるって、本当?」


 少々面食らって、源三はわざとらしく腕を組んだ。

 どこから聞いてきたものか、いや、この話の流れなら『姐さん』とやらからなのだろうが、妖怪たちかれらがそれを求める理由が見えなくて、慎重に言葉を選ぶ。人じゃないものの想い出の味など、想像もつかない。


「……常連にだって、出せるモンと出せないモンがある。お前さんの食いたいもんがどこの誰が作ったものかも判らないようじゃ、作りようがないんだがな……」


 常連にしか出さないのではなく、常連になる程度には親しくならないと、それを作った人とコンタクトが取れないことが多いのだ。相性もあるのか、本人がどれだけ通っても無理な場合もあるし、本人の希望とは別にあちらから押しかけてくることもある。

 亡者からレシピを聞き出しているとも言いにくいので、自然と裏メニュー的になってしまっているだけなのだ。


「わかってます。その上で、になったら、他の人に作った料理を少しおすそ分けしてもらえないかなって……」

「他人に作ったものを?」


 興味本位なのか、食通なのか。よくわからない申し出に、源三は首を傾げる。


「あ。あの、あの、お代は、ちゃんと、頑張って、その……」


 急にあわあわとうつむいて、両手をちょんちょんと合わせたりする仕草に、姐さんとやらの魂胆が見えてきて、源三は苦笑した。

 ひょいと振り返り、棚の中からラップのかかった小皿をひとつ取り出す。

 弱った様子だった子ぎつねが、人間のお金を手に入れるのは容易ではないに違いない。最近は小銭さえも持ち歩かない者も多いのだから、あの百円だって貴重だったはずだ。

 ラップを外して、小皿を子ぎつねの前に置いてやる。


「よくわからねえが、そういうものでいいのか? 昨日の残りもんで、ちと固くなり始めてるかもしれないが」


 子ぎつねはまるまるとした瞳をさらに零れんばかりに見開いて、それを見つめた。

 ごくりと唾を飲み込むのどが上下する。


「……あの、僕、もうお代……」

「それはもう客に出せるようなもんじゃねえからな。俺が食おうと思ってたんだ」


 子ぎつねはそろりと壊れ物を掴むようにそれを持ち上げて、しばらくじっと観察していた。

 半殺しのもち米。粒の残っているあんこ。粒と粒の間、あんことお餅の間、金色に輝くほの暖かいそれがおはぎを包み込んで、内側から輝いて見える。

 意を決したように、子ぎつねは目を瞑ってそれにかぶりついた。一口、二口、止まらないというように、あっという間に全部を口の中に入れてしまったかと思うと、身体を縮こめてふるふると細かく震えだした。


「お……おい?」


 あんまり急いでのどでも詰まらせたかと、源三は慌てて子ぎつねを覗き込んだ。最初に出したごつい湯呑に入った茶が丁度いい具合に冷めている。それをぐいと差し出した、瞬間。ぽんっと音がした気がして、源三はちょいとのけ反った。

 今の今まで子ぎつねが座っていた場所に、小学校高学年くらいの男の子がいた。きらきらした瞳で源三を見上げてくるその子の頭には、茶色い三角耳がふたぁつ。ぶんぶんと振られている先の白い尻尾も健在だ。


「すごい……すごいよ! 源さん! ありがとう!」


 都会よりも青い空。もくもくと背を伸ばしていく白い雲。ぎらぎらと照りつける太陽は、しかし不快ではなく、冒険心をかき立てる。玄関を出る前に無理やり被せられた麦わら帽子は、すぐに背中で跳ねていた。

 清流に足を浸し、虫網で小魚を掬っては、石で囲って作った小さな生簀に放す。山に行けば、拾い集めたガラクタお宝を隠した“秘密基地”。緑のプラスチックの虫かごにはトンボやクワガタを満載させて。真っ黒になるまで遊んで帰ると、テーブルの上にいつでもおはぎが乗っていた。

 『またおはぎぃ〜?』ポテチやケーキが食べたいと駄々をこねた。

 それでも。

 頬を膨らませながら一口齧れば、その柔らかな甘さが身体に沁みわたる。結局二つ目にも手を伸ばして、みんなに笑われた。

 ふるさとの味。婆ちゃんの味。

 突然倒れて亡くなった婆ちゃん。

 どうしてか、他の人が作ったおはぎは味が違って感じるんだ。


 誰かの『想い出』。懐かしくも、倖せな。それを、こんなにはっきりと。


「……お前さん……その、姿……」

「僕らは人の想いとか、感情のゆらぎみたいなのを糧にこちらにしがみついてるの。最近は色々やりづらくなって、力を衰えさせたものが多いけど。昔はよく狐や狸に化かされた、なんて話を聞いたでしょう? 幽霊だって急に目の前に現れたり、足や手を掴んだりして驚かすでしょう? あれは楽しんでるんじゃなくて、手っ取り早いご飯っていうか、おやつっていうか……」


 キラキラした目で、少年は小首を傾げた。


「みんな色々やり方を変えてる。変えられた者が残ってる。その中でも『源さんの“想い出の一品”』は特別だって。普通の料理にも心がこもってるけど、『想い出』の詰まったそれは、もう、カクベツだって! 本当だった! 変化へんげできるくらいに力が戻るなんて!」


 へぇ、と源三の口からは間抜けな相槌しか出てこない。


「この格好なら、僕もお手伝いできるよね? 僕たち、頑張ってお客連れてくるから、だから、やめないで! ね。お願い!」


 言うだけ言うと、狐の少年はぴょいと椅子から飛び降りた。


「あ。おい、お前さん、その姿のままじゃ……」


 源三の声など聞こえないかのように外に飛び出した少年は、瞬く間に狐の姿に戻って、きらめくネオンの闇に溶けていった。

 伸ばした腕の行先を見失って、源三はぽりぽりとごま塩頭をかく。

 彼の言うお客とは、さて人間だろうかあやかしだろうか?

 道楽みたいなもんだしなぁ。

 呟くその口元は、諦めたようにほんのりと両端を持ち上げていた。




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