長い雨の夢
布陣はこうだ。先頭、僕。真ん中、井奈さん。後ろ、知之田さん。基本的に扉運びに参加しない井奈さんを真ん中に匿い、先頭の僕と後ろの知之田さんで扉を持ち上げ、降り注ぐ石の盾とする。そう長くはもたないかもしれないし、正直三人全員を完全に落石からは守れない。特に足元。痛みで怯むことはこの夢の世界ではないかもしれないが、何度も降る石に打たれれば、いつか物理的に、足が折れたりもするだろう。そうして動けなくなることが懸念のひとつか。
ともあれ、そういう要因もあるから、できるだけ急がねばならない。どうにもこの小屋から見える範囲にはほとんど屋根のある建物等はない。せいぜい、僕がこのゲームの開始時にいたバス停の待合所のようなところに屋根がある。ので、山を下ると決まった以上、まずはあそこを目指すべきか。
あとはできるだけ早く、別の避難所を見付けて、移動する。鉄筋コンクリート造り程度の強度がある建物に辿り着ければ、ひとまず安心だろう。……というより、それすらも破壊しうる天候など想像できない。石が降っている時点でなんでもありではあろうが、それでも。
「よし、じゃあ、行こうか」
僕は意を決して、後ろの女子二人に声をかける。頷き、簡単な返答で、彼女たちも了解する。僕はひとつ、深呼吸を挟んで、外へ――大量の石が降り注ぐ外へ、踏み出した。
*
おおよそは、予想通りだった。盾として担いだ扉はなんとか石を受け止めてくれている。とうぶんは壊れることなく僕たちを守ってくれるだろう。そして、扉に近い上半身は大丈夫だが、やはり足元が危なっかしい。痛くはない。痛くはないが、徐々にダメージが蓄積していることが解る。だがこちらも、とうぶんは動けなくなるほど怪我したりはしないだろう。
だが、足元、という点において、もうひとつ問題があった。そうだ。そういえばだいぶ長いこと、石が降り続いているのだ。雨ならば、流れていくだけだったろう。雹だろうが、落下の衝撃で割れたりして、平たくなってしまったりもしてくれるものである。しかし、石は違う。石はほとんどが割れることもなく、仮に割れたとて平たくはならず、ただただ乱雑に詰み上がってしまう。それは、あまりに歩きにくく、道を舗装してしまった。僕たちが裸足だということも含めて、思った以上に、僕たちの行軍は遅々として進まなかったのである。
「くそ……思った以上に、疲れるな」
心肺機能や筋肉の酷使による、苦しみや痛みは感じない。しかし、息が上がって走りにくいし、腕に力が入らず、扉を持ち上げるのも難しくなる。痛覚というものが人間には必要だということがよく解る。どれだけ痛みを感じるかで、どれだけダメージが蓄積されているかを予想できる。それができないいま、一番怖いのは、ふと疲労の閾値を超え、急に腕が上がらなくなったりすることだ。さすがに扉の盾なしで進み続けることは難しいだろう。
「ごめんね……あたしが手伝えたらいいんだけど……」
なんとか僕がゲーム開始時にいたバスの待合所にまで到達し、休息していたとき、井奈さんが珍しく消沈した様子で、そう言った。
「仕方ないよ。井奈さんは悪くない」
僕は言う。ちなみに僕も申し訳ない気持ちを抱えていた。本来なら力があるはずの僕が、扉くらいひとりで持ち上げ、女子ふたりを守るくらいすべきだと思っていたが、やはりそれは無理そうだと痛感したから。扉自体の重さもさることながら、大量に降る石がぶつかる衝撃が地味にきつい。断続的に扉を上から押してくるようなものなのだ、考えてみれば、そりゃきついだろ、と、解る。
「ここは――こここそ、そう長くもたないね。というか、壁がないから横から普通に――わっ……」
言っているそばから、知之田さんの足元に石が落ちた。彼女は反射的に両足を持ち上げ躱したが、危うく入院着がめくれてパ――ではなく! 足を強打するところだった! 危ない危ない!
「そ、そろそろ行こうか……本当、ここも全然、安全じゃないみたいだし」
僕は言って、降ろしていた扉を少し持ち上げる。
瞬間、ふ……、と、不思議な静寂がして、空を見ると――。
石が、止んでいた。
*
え、まさか、止むの? もしかして僕、間違った? 普通に雨宿り――石宿りしてれば、晴れ間もあったのか?
かなり強引に小屋を出ることを提案した手前、僕は冷や汗をかいた。
が――――。
ひゅん――。と、鋭く風を切る音がして、そんな冷や汗は、止まる。一瞬、僕は世界が止まったようにすら、感じた。
大量の石が積み上がった地面に、それは突き刺さった。いったいどこから――どれだけの高さから飛来したのか、解らない、雨のような、雹のような、石のような、そのどれとも圧倒的に違う、凶器。
「無理っ! 走って!」
井奈さんが僕の手を引いた。僕は持ち上げていた扉を、乱暴に落とす。
「知之田さんっ!」
まだ凍ったままの彼女の手を、僕が掴む。井奈さんに掴まれた手と、反対の手で。つまり、両手に花である。
こんな殺伐とした状況が、僕の人生初の、そしてきっと最後の、両手に花の機会となってしまった。それでも、経験できただけマシなのだろうか。そんな、現実逃避的なことを少し、思った。
これは夢だ。現実ではないのだから、現実逃避もいいだろう。そしてどちらにしたところで逃避するしかない、こんな――――。
「危ないっ!」
井奈さんが、さらに強く、僕の手を引く。付随して、知之田さんの手も引かれ、僕たちはもつれあいながら、倒れた。
空を見る。ああ――これはもう、どうしようもない。ひとつ、ふたつ、みっつ――。数えるのも馬鹿らしいくらい、それは、雨粒ほどに途方もなくたくさんの、
それでも、僕は最後の力を振り絞って、彼女たちに重なる。もつれて倒れ込んだ彼女たちの、盾になる。……そんな、男子高校生ひとり程度の盾なんて、ないも同然なのだろうけれど。
ひゅん! ひゅん! ひゅん!
耳をつんざく風を切る音は、人体を刺し貫く。その、どこか柔らかく粘性のある音。それすらも切り裂くように、しっかと僕の鼓膜を、震わせていた。
――――――――
目覚めて僕はまず、耳を塞いだ。黒板を爪で引っ掻く音――というほど不快ではないけれど、夢でなければむごったらしく死んでいたはずということも含めて、あの、風を切る音は、どうやら僕の心に、トラウマを植え付けたらしい。
「足……あるよな」
当然である。夢の中で足が吹き飛ぼうと、目覚めれば変わらず、そこにある。そんなことは当然だ。
しかし、僕の精神はまだ勘違いをしているようで、吹き飛ばされた――あれは、たぶん右足か? その右足の感覚がない……というか、痺れていた。おそるおそる持ち上げ、ベッドから降ろす。床に、つけて、立ち上がる。
「おっとと……」
瞬間よろけるが、うん。まあ、大丈夫だ。何度か足踏みをすれば、普段通りに回帰した。ようやっと完全に夢から醒めた、のだろう。
「……準備、するか」
呟いて、学校へ行く準備を、始めた。
外は今日も、しとしとと雨が、降っている。
*
傘をさして、ゆっくりと登校する。俯いて。
これだけ歩幅を小さく、気を配って歩いても、傘程度では足が濡れる。わずかにではあれど、確実に。雨粒は靴を濡らし、乾きを奪う。徐々に、濡れていない部分が減っていく。全体がしっとりと雨を受け止めて、ようやく、僕は自分が立ち止まっていることに気付いた。
こんなことで、復讐などできるのか? このゲームをやり遂げて、このゲームを仕組んだやつに――あの声の主に、復讐することなど。
「はあ……」
思わず、ため息が零れる。だから、そんな隙を、「隙ありぃ!」、と、突かれた。僕は反射的に転ばないように「うわお!」とか言いながら、バランスを取る。傘を手放して、取り落としてしまった。小雨だが、わずかな時間で全身が、湿気を帯びていく。
「おっはよ~、分美っち」
井奈さんである。井奈言。僕の今月の隣人。その人だ。
「……おはよう。井奈さん」
少しだけ躊躇って、挨拶を交わす。彼女は、昨夜のことを覚えていない。だから、僕はいつも通りに彼女と接しなければならない。
「なぁんか暗いな~。この天気で、気分まで落ち込んじゃってるんじゃない?」
少しだけ前屈みになって、上目遣い。どこか含むところのある笑みを作って、彼女はそう、明るく問うてきた。
……うん。いつまでも引きずっていても仕方がない。切り替えよう。僕はそう自分に言い聞かせ、気を取り直す。
「まあね。僕は雨が嫌いなんだ」
昨夜のことで、少し嫌いになった。だからこれは、嘘じゃない。
「そかそか」
と、井奈さんは納得して、歩き出す。向かう先は当然、同じだ。こうやって話をするような間柄になったのだから、わざわざ距離を取って歩くこともないだろう。だから僕は傘を拾って、彼女のあとを、追った。
「大丈夫だよ、分美っち」
僕が追いつく前に、彼女はそう言って、振り向く。
「今日は槍なんて、降らないから」
目を、見開く。全身の毛穴が開くのが、解った。
おいおまえ。いま、なんて言った?
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