長い雨と会話
雨こそ凌げるものの、山小屋は本当にぼろかった。壁も、屋根も一部、壊れている。が、ブルーシートで補強してあるようで、どうやら雨漏りなどはしていない。……ほとんど。うん。わずかに漏れている。強風にあおられれば壁の隙間からも雨風が入るし、やはり天井からも、わずかにだが雨漏りをしている。もしこのまま天気が荒れ続けたら、いつか建物ごと倒壊しそうなぼろさである。
と、いうより、雨がひどい。もはや梅雨も本番ということなのだろうか。いや、これじゃもう、台風だ。いきなりどうした、夢だからか?
……うん? 夢だから?
「それで?」
「へ?」
我に返る。見ると、やや前傾気味にわくわくと、どこか目を輝かせて井奈さんがこちらを見ていた。
「村坂くん。それからどうしたの?」
「ああ……」
そういえばそうだったか。僕は相変わらずかつての隣人、いちおうは友人と呼ぶべき村坂応次のくだらない話をしていたようだ。
「……なんの話だっけ?」
忘れた。というか、あいつの話なんて差し障りがなさ過ぎて、無意識に口から垂れ流れてくるだけなのだ。誰も見てないリビングのテレビ番組みたいな存在なのである、あいつは。
僕が言うと「がくっ!」、と、リアクション強めに井奈さんは擬音を叫んでずっこけた。それから、きっ、と、睨むようにさらに前傾して、「もうっ!」、と、目を細める。
「中学の英語の授業でしょ! 村坂くんが先生にあてられて問題に答えるとき、四択問題から一番の『apple』を選んで「一番!」って答えたら、「英語で答えてください」って言われて「ワンッ!」って答えて教室大爆笑! その後!」
村坂役と先生役で声を変えて、表情も作りながらジェスチャつきで、忙しなく井奈さんは語った。楽しいやつだな。
「そんな犬みたいな言い方はしてなかったけど、あいつも」
「そりゃどうでもええねん」
似非関西弁である。
「……べつに、その後もなにも、それで終わりだよ。先生としては選択肢の『apple』という単語を言わせたかったみたいだけれど、あいつは選択肢番号を英語で言って、珍しいことに笑いを起こした事件だったな……あれ?」
すべてを話し終えて、僕は首を捻った。
「どったの?」
だから井奈さんが僕と同じ方向に、同じ角度だけ、首を捻る。
「いや、よく考えたら、……いまのは僕の実体験だった」
そうだ。村坂の話ではない。これは、僕の話である。記憶違いだ。
「ずこー!」
井奈さんがずっこけた。
「ぶっ……!」
後ろでなんか聞こえた。
「…………」
振り返ると、相も変わらずそこには知之田さんがいて、さっきのまんまの、背筋を伸ばした正座の姿勢で、平然と無表情を貫いていた。……目が合った。……逸らされた……?
*
そんな事件を彼女が見逃すはずもなく。
「あー! 笑った! 笑った! 笑ったしょ! ほえみん!」
指を差して騒ぐ始末である。行儀が悪い。
「笑ってない」
知之田さんははっきり言い切った。
「嘘だぁ! 「ぶっ!」って言ったもん! 「ぶっ!」って!w」
井奈さんは自らの両頬を両手で潰して、ブサイクになった。それがおかしかったみたいに、語調もなんか笑っている。
「そんな顔はしていない」
「「ぶっ!」は言ったよね? 「ぶっ!」ふふ……www あははは……!」
堪えきれずに、井奈さんは腹を抱えて笑い出した。もしも気のせいではなくて、本当に知之田さんが笑ったなら、それはそれで大変な事件だけれど、だからって井奈さんの反応は可哀そうだ。まったく笑い過ぎである。
「ちょっと井奈さん笑い過ぎ。笑ってないって言ってるんだからさ」
「あひゃひゃひゃひゃ……! 笑い過ぎで、笑ってないとか……! あひゃ……!」
だめだこりゃ。もはや笑いのゾーンに入っている。なにを言っても笑い続けるやつだ、これ。
「ごめん、知之田さん。井奈さんも悪気はないと思うから」
「分美くんが謝ることじゃない。あと、そいつにはきっと、悪気がある」
怒り……かどうかは計りかねるが、いつも通りの無表情だから凄味はある。そんな顔面で、知之田さんは、床をばんばん叩く井奈さんを睨み下ろした。この女、ひとりふたりくらいなら殺していそうだ。……まさか、彼女こそゲームのクリア者ではないだろうか?
「まったく……いつまで床叩いてんのさ。ばんばんうるさいって」
と、僕は耳障りな音を止めるために、うずくまる井奈さんへ歩み寄った。
「うん?」
と、彼女は顔を上げる。まだだらしないが、どうやら笑いのピークは越えたらしい。まなじりに涙は溜めているけれど。
「いや……さすがに床とか叩いてないけど……?」
少しだけ、ぞっとした。彼女も自身の笑い声がなくなって、この音に気付いたようだ。
壊れた扉から、外を見る。
雨は、雹に変わっていた。
*
おかしい。これはいくらなんでもおかしい。六月だぞ、いまは。
「すごっ、雹になってる」
井奈さんも驚愕していた。しかし、僕とは感情が異なっているようである。どちらかというと、わくわくしている様子だ。
「いや、雹とかおかしいだろ。六月だぞ」
おまえ授業中「暑い」とか言ってただろ。僕も暑かった記憶があるし。もう初夏というべき時期に突入しているのだ。
「ま、山だし、夜だし、気温も低いからねぇ。雹くらい降るべや」
べや? それはなに弁だ? ……いや、それはどうでもいい。
しかし、言われてみればそんな気もしてくる。確かに標高が高ければ気温も下がるし、富士山の頂上なんて年中雪積もってるしな。……ここがどれくらいの標高で、いまこのあたりがどれくらい気温が下がっているのかも、どうにも夢の中は感覚が鈍くて判断が難しいが。
ともあれ、笑い疲れを癒すように、井奈さんはひとつ、大きな伸びをした。ぐっ、と、大きく後ろに体を反らすので、強調された胸部が僕の目のやり場を制限する。
……そういえば、女子の場合はどうなっているのだろう。いや、これはよく考えたら重要な問題だ。つまり、女子の場合、この入院着の下がどうなっているか――端的に、下着の有無について。
この数回のゲーム参加ではあるけれど、服装については毎度、この簡素な入院着もどきだった。他の参加者も、僕が出会った限りではみんなそうだ。
しかし、下着は別だ。これについてはさすがに他人のものは確認できていないが、僕個人に関して言えば、毎回眠るときにつけていた下着を着用している。ここだけは自らの所有物――というか、着用物である。
もしこれが、女子にも適応されていたなら、だいぶまずくないか? 僕も詳しくは知らないけれど、女子は睡眠時、下半身はともかく、上半身の下着――つまるところがブラジャーをつけていないのでは? それがもし、そのままこのゲーム世界に反映されているとしたら――。
いや、考えるな、僕。目覚めればすべてがなかったことになるとはいえ、いまは人の死がかかわる、デスゲームの最中だぞ。痛みも感じない、目覚めれば生き返る。だからといってあの『死ぬ』体験はきついものがある。いや、自分のことならまだいい。記憶が定着するようになったおかげである意味、慣れてもきた。しかし、他人が死ぬことにはまだ慣れない。……いや、慣れるべきものでもないのだけれど。
ともあれ、考えてはいけない。いま井奈さんが、もしかしたらノーブラで、そのうえ高校二年生の発達した胸部を強調するように伸びをしていることなど、考えている場合ではないのである。落ち着け。ここは紳士として、目を逸らしておくべきであろう。さりげなく。彼女のそんな些細な挙動など気にも留めていないような素振りで。
ちらりと、瞬間だけ彼女の胸部を確認してから、僕は外を眺めた。うむ。一瞬だったけれど、たぶん大丈夫だ。大丈夫なはずだ。大丈夫であってくれ。これからゲームのたびに女子の胸部を気にしていてはゲームクリアなどできやしないぞ。
努めて僕は、ぼうっと、外を眺めた。雹が降る、異常な景色を。
そうだ。確かに山なら、初夏にも雹くらい降るかもしれない。これくらいならまだ日常だ。しかし、ここは夢の中である。夢の中で、異常なことが平然と起きる、ゲームの最中である。だとしたら、
だがだとしたら、これはいったい、どういうゲームだ?
山の中。雨が降って、豪雨となり、雹にまで――。天候が、徐々に悪化している……?もしこのまま悪化し続けたらどうなる? 悪天候の最大級となれば……。
ドン! と、いきなりの轟音。いったいなんだ? 僕は逸らしていた目線を、戻す。井奈さんのおっ――じゃなくて、彼女の方へ、目を――。
「痛ったあ……なんだよぉ……」
額を押さえる、井奈さん。その胸部など、もはや気にしている状況では、なかった。
「井奈さん!」
僕は彼女へ駆け寄る。額は、死角だ。だから本人である井奈さんよりも先に、僕は一目で、気付いた。
「大丈夫!?」
強打され、血を流したその患部を、よく見る。流血は、たいしたこともない。しかし、腫れて、青く変色し、こぶにもなっている。女の子の顔面にできていい怪我ではない。
彼女を慮りながらも、ちらりとその、足元を見る。……雹だ。しかもごっついサイズの。僕程度の華奢な手で作った握り拳よりも、一回りほど大きい。こんなものが、降っているのか? いや、それが降っていることを受け入れるとしても、ここは山小屋の中――屋内だぞ?
だが、すぐに可能性にはいきあたった。そして、その対象を、見上げる。
……やはり、天井に穴が空いている。いつかの、校舎の崩壊のような、異次元の穴などではない。しごく現実的な、物理的に空けられた、穴。
大きな雹が降り注ぎ、何度も屋根を小突き回して、結果、破壊されてできた、穴だ!
「あ~、うん。大丈夫大丈夫。……あはは」
井奈さんは言うが、顔もそのこぶ同様、青ざめている。大丈夫、と、言うのは、その患部を見ていないからだ。そしてここは夢の中。『痛い』と気付くことはできても、そのダメージと比して、痛みを感じることがないから、たいした怪我じゃないと判断しているのだろう。
しかし、繰り返しゲームを経験した僕は知っている。痛みがなくとも、そのダメージは蓄積しているのだ。血を流し過ぎたり、身体の損傷を重ねれば――そのダメージが閾値を超えたら、僕たちは、死ぬ。……これが夢で、目覚めれば――クリア者以外は――記憶を失い、傷ひとつも残らず生き返るとしても、目の前でクラスメイトが死ぬところなんて見たくはない。
「……ここを出よう。どこか、もっと安全な場所を探さなきゃ」
僕は意を決して、言った。どうやらこのゲームの内容が解りかけてきたのだ。
「ん……」
井奈さんは迷うように一度、鼻を鳴らす。
「うん。このままじゃここ、いつか雹で壊れちゃうかもだしね」
よろりと立ち上がり、彼女は言う。
そんな彼女に手を貸しつつ、僕は考えた。こちらにもたれかかってきて、押しつけられている胸部のこと――ではなく! ここを出て、山を登るか、下るかだ。
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