長い雨の夜
――――、、、、、、、、、、、、、、、、――――
雨、だ。
「雨、か」
まず感じたのは、『濡れていない』だった。いや、雨の音が先か。そのうえで、『濡れていない』だ。つまるところが、ここは屋内だということ。
「……というにも、やや貧相、かな」
だった。硬いベッドから身を起こす。それから確認するに、それはベッドではなく、木製のベンチだった。……バスの待合所か? そんなふうに、簡素なベンチに、簡素な屋根があるだけ。その木製の屋根も、風化によりガタがきていて、雨漏り……というか、いくらか屋根が剥げている。そこから雨が滴っているが、幸いにも、ベンチには水滴が落ちていない。それゆえに僕は微塵も濡れていないのだろう。
とはいえ。
「まあ、こんな雨の中じゃ、濡れない方がおかしいか」
どうせ夢である。起きたら濡れてなどいないはずだ。そのはずだ。この歳になって――いや、まあ、それはいい。大丈夫なはずだ。
ともあれ、一目、服装も確認。うむ、やはりゲームだ。清潔な白い、ワンピースまがいの入院着。変わらずの裸足。その両足を、地面につける。そばの小石に強く力を込め、踏み抜くが、痛みもない。完全に夢の中だ。夢の中の、ゲームの時間だ。
場所は――どこだろう? 正直、今回は場所が解らない。山道……のようだけれど、ということは、山なのか? 確かに僕たちの住む地域には山もそれなりにあるけれど。
これも、ゲームの――完全に判然とはしない――規則性だけれど、どうやらゲームの舞台は、僕たちの高校がある地域、その周辺ばかりだ。まあ、少なくとも僕の参加したゲームでは、の話だし、そうなるとつまり、たかだか三回のゲームの統計でしかないのだけれど。
そして、今回が四回目。……少なくとも、記憶に残っているのは。
「とにかく、動くか」
統計やら、過去のことを『いま』気にしても仕方がない。
ゲームは始まっているのだ。
雨の縁に立って、少しだけ躊躇する。……して、僕はしとしとと降り続ける雨の中に、身を投じた。
*
さて。とりあえずと雨の中に身を投じたものの、僕はすぐに足を止めた。まだ数歩だ。ここで迷うなら屋根のあるベンチに戻ればいいのだけれど、しかし、一度濡れてしまうとどうでもよくなる。雨の冷たさも、特別に感じはしないけれど、雨が冷たい、ということは解る。それでも、風邪などひくはずもない。頭を冷やすぶんには損はしないだろう。僕は考え事をするのだから。
どうやら、山の中腹だ。標高もさほど高くはないだろう。数十分も歩けば、登頂も可能な位置に、僕はいる。逆に、麓まで降るにも、数十分の短さで到達できるはずだ。
で、あれば、僕はどちらを目指すべきだ? 山を登るのか、降るのか。どちらの方が近いということもない、と、思う。だから、距離的にも、時間的にも、どちらの選択にも優劣はない。だとすれば、ゴールや、なんらかのクリア条件が達成されるのは、この山を登ったときか、降ったときか、を、考えなければならない。
……どちらかというと、やはり、登った方がクリアになりそうな気もする。経験上、体の痛みは感じないが、体力は別だ。そう考えれば、山を登るのは骨が折れる。つまり逆説的に、より困難な登頂を目指す方がクリア条件と成り得やすい……気がする。
まあ、どうせ考えても答えは出ないのだし、最終的には指運で選ぶしかないのだから――――。
「うんん……?」
思って、登りの道を見上げる。その先、雨と宵闇と、曇り空で視界が悪い、ずっと先に、なにかが見えた。
*
天球の十分の一ほどを占領する、巨大な水色の満月。だが、遠近感の問題でその数十パーセントが山に隠れている。が、それはどうでもいい。
そんなものよりもよほど近くに、もっと現実的な建物が見て取れた。いや、とはいえ山小屋――どころか物置レベルの簡素な小屋だ。しかも、だいぶ風化して寂れている。だがそれでも、雨を凌ぐには十分だろう。
「……行ってみるか」
どちらにしてもどちらかといえば、目指す先は登頂だ。そして、その小屋もわずかではあれど現在地より山頂側にある。ついでに中を確認する程度のモチベーションで向かえば損にはならないだろう。
このゲーム、複数人で攻略に臨むに越したことはない。まったくもって夢のごとく、理不尽な超常現象があっけなく起きる。あまり現実の知識や経験が役には立たないが、それでも、知恵を出し合い攻略法を見付けることは有用だ。一人でできる試行錯誤にも限界があるのだから。
あるいは、単純な人手としても。特に現状、多人数が必要になるほど大きな腕力を必要としたゲームには当たっていないが、あの、崩落の夢のように、いざとなれば二人以上でのコンビネーションを用い得る場面もあるかもしれない。それに、やはり誰かとともにいられるというのは安心もするし、心強いものだ。
おそらく最後の理由が一番、心の占有率が高かった。その理論武装のためにいろいろと理屈を並べてみたけれど、しかして、屁理屈だろうと理屈付けられるのならば、とりあえずそれに縋っておいてもいいだろう。どうせ、なにが起きるか解らない。こんな理不尽な夢の中では、他に縋れるものなど、あまりないのだから。
*
し・く・じ・っ・た・! どう考えても間違った! THE・失態!
「あひゃひゃ! なにその格好! ウケる~!」
「笑うな! 君も同じ格好だろうが!」
「あたしは女子だし! 分美っちは変! www! ちょっとキツいわ、その格好!w」
「言われなくても解ってるよ! 誰も好きこのんでこんなもん着てないわっ!」
僕は罵られていた。いや、いじられていた。現実世界での新しい隣人、井奈言さんに。雨だけではない嫌な湿度が、全身の汗腺から分泌されていくのがかなり体感的に解る。
ちらりと覗き見るだけのつもりだった。いや、事実、そうしたのだ。まさかたったそれだけのことでウザ絡みされるとは思わなかった。陽キャ怖え!
ともあれそういういきさつで、その山小屋に引っ張り込まれた。「ずぶ濡れでなにやってんのさ!?」。とか言うあたり、やはり彼女はここが夢だとは気付いていない様子であった。いや、夢であってもずぶ濡れになるのはできれば避けたいだろうけれど。それでもゲームの攻略を目指すならその程度、些末なことであるはずである。
……うん? ずぶ濡れ? ……そんな強く雨、降ってたっけ?
僕は井奈さんから目を逸らすように、小屋の入口を見た。壊れた扉の向こう、外。確かに雨脚は強くなっている。
いや、どころか、豪雨だ。いつの間にか嵐のように、空間を埋め尽くす雨は視界をも塞いでいる。これだけの豪雨であれば確かに、いくら夢の中とはいえ外に出るのは億劫になる。
「どったん? 分美っち。……もしかして怒った?」
トーンを落とした声が、少し近くで聞こえた。だからいったん、雨のことは置いておく。
「いや、……こりゃとうぶん帰れないな、と、思ってさ」
そう言っておく。おそらく彼女はゲームを知らない。なればここでの会話も、出来事も、目覚めたら忘れるだろう。それでも、念のため僕の方から夢を示唆することは、控えておく。
「ねー。だから止むまで、も少しお話ししようよ。お隣三人組が揃い踏み! これもなにかの縁だしさあ!」
楽しそうに、井奈さんは言った。
そうなのだ。仮に井奈さんがゲームクリアの経験がなかったとしても、
「私のことはお構いなく。どうぞおふたりでご歓談を」
この異常事態の中、槍のような篠突く雨の中でも、凛とした無表情で背筋を伸ばし正座する、もうひとりの僕の隣人。
知之田微笑さんも、ここにはいるのだから。
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