報酬(レベル1)
白い――――乳白色の、世界だ。
雲の上。穏やかな陽光に包まれた、雲の上、といった、雰囲気。天使の楽団が幻想的な調べを奏でる、神々の御前。そのような、出で立ち。
「あぁ……今度こそ、やったな」
横には、その『神』こそを体現したような、美しい少年。白い肌に白い髪の、真っ白な、少年。
彼が、今度こそ動けねえ、とでも言いたげに仰向けて、僕に拳を突き出していた。
「……ああ」
僕は応えた。言葉と、拳で。駄目だ。僕も、もう動けない。仮に、ここでもまだ終わりでなく、さらにずっと先がゴールだったとしても。
そう、清々しくも諦めて、僕も、倒れた。
もう限界にまで到達した、天上だ。これ以上の上などないのだろう。そうまで思える、美しい景色と、穏やかな光。それでもやはり見上げる場所はあり、そこにはきらきらと、凝固したような輝きが降っていた。
非現実的な、世界。そうだ。ここまでくれば、否が応にも理解せざるを得ない。
ここが確かに、夢の中だと。睡醒の狭間の、まどろみの世界だと。
「……マサラだ」
「はい?」
不意に、彼がなにごとかを呟いた。僕はそれに、首を傾げる。
「マサラと呼べ。……名を聞いたろう?」
「マサラ……」
……どこかで、聞いたことがあるような。特別な繋がりはないのだけれど、強く印象に残っている、誰かの名前。
「えっと……」
だから、それを解消したくてなにかを――特になにをも決めきらずに、なにかを問おうと、僕は――。
「しっ……少し黙れ」
彼はそんな僕の口に、人差し指をあてがった。
*
……その姿勢のまま、彼は神妙な顔を作る。作り続けている。なにかあったのだろうか? ほんとのほんとに、もうこれ以上の展開はごめんだぞ。
しかし、彼の向く先は、特定のどこか、というよりは、自身の内面、みたいな。どこかに焦点を合わせてはいない。むしろ耳をそばだてている、様子だ。
「はあん。……そうなるのか」
彼は言った。ちょっとなに言ってるのか解らない。「どうしたの?」と、問いたいけれど、いまだ僕の口に、彼の指は立てかけられたまま。もちろんそんなものは無視して口は開けるが、どうにも危険が近いという様子ではない。このままおとなしく待つとしよう。
「――だってよ?」
ややあって、彼は同意を求めるように、僕に言った。
「いや、なにが?」
「あ? ……まだなのか?」
「いや、なにが!?」
叫ぶと、ちっ、と、舌打ちが聞こえた。
鼓膜を通さない、脳内への直截的な、音質で。
*
『なんだ、クリアしたのか。……あーはい、おめっとおめっと』
「ファ!?」
ファ、が出た。そりゃ出るわ、こんなん。
脳内に、直接響いている。漫画やアニメというような創作物でよく使われる便利機能だが、実際に体験してみるとそうとしか表現できない。誰だ? 気だるげな声で僕の脳内に浸食するんじゃあないぜ!
『思ったよりも早かったな……まあ、自力じゃあねえようだし、こんなこともあらぁな』
「なんだよおまえ、いったい誰だ?」
声を上げつつも、僕はその正体に気付き始めている。
いや、誰なのかは知らない。だが、どういった存在なのかは、この、脳内に直接語りかける、その異常な異業だけで、理解し得ようというもの!
「おまえ! まさか――」
『えー、はいはい、一度目のクリアね。どうもまあ、わざわざこんなところまでご苦労さん。改めておまえに、このゲームを進むための権利をやろう』
僕の声など無視して、それはむしろ、そもそも聞こえていないように声をかぶせて、気だるげな声は続いた。なんだと? なんと言った?
マサラの指が、再度、僕に掲げられる。今回はわざわざあてがったりしない。それだけで解るだろう? という、彼の目付きで、僕はしっかと理解する。
声を上げて意思疎通ができないなら、黙りこくるしかない。この天上の『神』からの、重要であろう一言を聞き逃さないように。
『レベル1へ到達、おめでとう。これより先では、夢の持ち帰りが可能だ。……つっても、いやでも覚えてるしかねえんだけどな。あはははは』
気だるげに笑う。感情のないような、とうに捨ててしまったような、意味などない笑い。どうしてだろう? 僕はそこに、なにやら悲しさを感じた。
『じゃ、せいぜい励め、分美昇。おまえがここまでやってくるのを、俺は待っちゃいねえがな』
…………。あ、終わり? 唐突に、終わり? ぶつん、とか、通信が途切れるような音もなく、終わった、みたい? まあそういえば確かに、声の始まりにも特別な音など鳴っていなかった気がする。終わり、……なのだろう。
「……あれが、この世界の『神』?」
僕はマサラに声を向けてみた。
「知らねえ。でも、たぶんな」
マサラは言った。確かに僕は、この世界の『神』とやらに接触した。復讐は、まだとうに先としても――。
――――――――
陽光が頬を撫でるから、僕はゆっくり、目を開ける。
「……夢、なんだな――――」
覚えている。僕は、覚えている。
貝常くんが僕を助けてくれたこと。その彼が穴に飲まれ、落ちていくあの、悲鳴。表情。炭文字さんのスカート恐怖症。彼女が僕を助けて、潰れて死んだ。そこに落ちてきた、加賀殻さん。荒唐無稽に、突如、唐突に、無慈悲に落ちて死んだ、彼女のことを!
そして、マサラ。白くて白くて白い、あの少年を、僕は、覚えている。夢の世界でのデスゲームを、僕は覚えている。
嘘みたいに現実で、夢みたいに非現実的な現実を、僕は、覚えている――!
「お……え…………」
胃からなにかがこみ上げる、それを、僕は無理矢理に押し込んで、その苦しさに、涙がこぼれた。
だから逆説的に、悲哀と、辛苦が胸に広がる。そして、ふつふつと思い出す。怒り――怒りだ。
「くそ……」
頭を抱える。そのとき、僕の背筋を反射的に伸ばす、耳をつんざく悲鳴が、上がった。
ジリリリリリリリ――――!! だから、現実へ戻る。僕はすべてを覚えたまま、すべてを一度、胸に秘め置いて――とにかく、……学校へ行く準備を、始めた。
――――――――
胸になにかを閊えさせたまま、僕は、足取り重く進んだ。いつも以上の緩やかなペースで。こうなることは解っていた。だから、いつもより早く家は出た。総じて、やはり学校にはほどよくぎりぎりに、到着するだろう。
どれだけ気が重くても、すぐそばにある、我が校だ。ほんの少し進めば、その姿が見えてくる。
それは、がっしりとそこに存在し、まだまだ数十年や、あるいは百年以上をも、安定して建ち続けるのだろう。そういった頑強さで、確かにそこにある。昨夜、夢の中でとはいえ、奈落に飲まれた世界に生き残り、そうでありながら内面は、病に浸食されたようにぼろぼろに崩れていった建造物とは思えない。あの崩壊が、現実だったとは――いや、夢なのだけれど。
昇降口に、立つ。当然と歩いて、僕はここまで来た。どこにも穴など空くことなく。どこからもなにも降り注がず。いかなる身体的危険にも見舞われず、安全に、ここまで来た。
少しだけ、挙動不審に僕は歩いた。足元を注視。もしものときはすぐに、足に力を入れられるように。……もちろんそんな警戒など、ただの杞憂に終わるのだけれど。
教室に、つく。予鈴が鳴り始めていた。すぐに入らなければならない。が、ほんの少し深呼吸して、気持ちを落ち着けて、扉に、手をかける。
ざわ……という、いつもの喧騒。声こそ上げなかったものの、かつての我が隣人が、前の方の席で手を挙げた。それに僕は、嘆息だけで応える。
教室の後ろを、自身の席へ向けて、歩く。予鈴は鳴り終わった。それでもクラスの喧騒は続く。担任教師の気だるげな声が響くまで、きっと、そうしている。
それでも、どこか静寂の中のように、僕の耳にはそれら声が、小さく小さく、消音されこだまする。耳に一枚、膜が張ったような、緊張感。
「おはよう、炭文字さん」
僕は言い、席についた。彼女の隣の、その席へ。
それは、いまだ騒がしいクラス全域にまで響く音量ではなかったけれど、僕の周囲の喧騒だけは、ほんの少し、静まった。
炭文字さんが、僕を睨む。彼女の足は、いつも通りのジャージ姿だ。態度悪く足こそ上げていないものの、その座り方は、どうにも傲岸不遜で、やはり、威圧感がある。
それでも――。
「遅刻しといて、なあにが『おはよう』だよ」
「遅刻はしてないからね。ぎりぎり」
僕は言う。神経が逆立つ。だが、耳にかかった膜は、どうやら、取れた。
「はっ」
吐き捨てるように、炭文字さんは息を吐く。だからクラスは少しだけ、緊張感を増したようだった。
「……おはよう。分美」
続けて、どこかお嬢様然とした上品さで、彼女は笑う。
だから僕は、胸を撫で下ろした。どうやら今回、僕は、生き残れた、……らしい。
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