崩れ落ちる夢
片足が空に浮き、最後のひと跳びを。後ろ足にありったけの力を込めて、その段になって、いろいろと思い出した。
なんか、こんな映画なかったっけ? ある有名映画の冒頭で、屋根から屋根に跳び移る、みたいな。意識の、意志の、イメージの力で現実を実現させる。跳べる。跳べる。そう、思い込んで跳ぶ。その結果は――――。
「あ、あ、あ、あ。……ああああぁぁ――!!」
無意識に、下を見るな、と、自分に言い聞かせていた。のに、無意識に、下を向いてしまっていた。
怖っ! 怖すぎる! 真上から見るとヤバすぎる! なんだよあの大穴! これだけの月明かりに照らされようと、まったく底が知れない! 見えない!
アホ過ぎだろ! 誰だよ、跳ぼうとか言い出したやつ! つーか跳ぶ決心をした僕、アホ過ぎだろ! やーい、アホ!!
こんな距離、跳べるわけない! なにが身体能力の向上だ! 全然向上してねえ! 体が――体が沈んでく! もう、落ち始めている! 届かない! 届くか、こんなもん!
悟った。落ちる。普通に考えて、届かない。そう、確信した。
だから、もう少しだけ、思い出した。どうして
「おまえでいいや、ちょっと付き合え」
彼はそう、僕を誘った。
「ロープを探してたんだよ。それと、協力者もな」
屋上に一度行って、
「踏み台役を頼むよ」
そう、彼は言ったのだ。『踏み台役』。――踏み台役だ!
それを思い出す。それに気付く。それとときを同じくして、タイミングよく、僕の腕に縛り付けられたロープが、ぐい、と、引かれた。
*
彼の元へ、わずかに、引っ張られる。だからといって、どうなる? その程度の推力で、屋根上まで届くとでも――違う!
「ぶげうっ!」
痛っ――た、く……ない! が、その頬を潰す感触は確かに、十二分な威力をダイレクトに、僕に認識させた。
蹴り、落とされる感覚。直前で思い至った。だから、覚悟をしていた。目を閉じない覚悟を。最後まで、なにが起きるか見続けて、抗い続ける覚悟を。
生き残る、覚悟を!
「さんきゅ……! アサヒ!」
上出来だ! そう言いたげに、彼は少しだけ僕を――勢いよく蹴り落とされる僕を、見た。しかし、それは見捨てるでもなく、ただただ、称賛を向けるように。
そして、僕が落ちていくからこそ――という要因を刺し引いても、彼は、さらに高く、跳躍した。『踏み台役』、だ。そして、身体能力の、向上!
崩壊し始めた床の瓦礫をとっさに蹴り跳び、落下から逃れる。それだけの脚力が現在、この夢の世界で得られているというのなら、落下中の誰かを蹴り、同じく落下中の自分自身を再度、跳躍させることも可能だろう。もし、それが可能であるなら、一度の跳躍ではよほど到達できない距離の先にも、僕たちは跳び渡れるかもしれない。
その通りに、彼は僕を利用した。まさしく、『踏み台役』として。
では、利用された僕は用済みか? このまま蹴り落とされ、奈落の大穴に飲まれるしかないのか?
否。答えは、否である。
「お、と、とと……」
ぎりぎりだ。ぎりぎりに、彼は見事、武道場の屋根上に着地した。僕はもはや、大穴までの高さの、その半分くらいまで落ちている。この低さから、灰色の月を背景に、彼の着地を視認した。すでに上昇の勢いはなく、ただ落下するのみ。それでも、彼の手に、まだロープは縛り付けられたままだ!
もし、彼が僕を使い捨てるつもりなら、この段階でまだ、腕にロープを縛り付けているはずがない。跳躍中か、跳躍直前に、腕への結びつけは解くはずである。でなければ、僕の落下の勢いに引かれ、彼も大穴へ引き込まれる可能性も、あったのだから。
ぐい。と、僕の体は大穴へ飲まれる寸前で、重力への反発を見せた。腕が引き千切れるほどの勢いだ。しかし、この夢の世界ではどうやら、痛みなど、ない!
「踏ん張れよ! アサヒ!」
改めて、僕の名を気安く呼び捨て、彼は思い切りロープを、引いた。
*
夜を、泳いでいるみたいだった。あれだけ大きく、近い月になら、届きそうなほどの。
これも身体能力の強化、というやつだろうか? 彼は、あの華奢な体からは思いもよらない力強さで一息に引き上げ、僕を、夜の海に瞬間、放ってくれたのだ。
という、素晴らしい体験もひととき。
「う、うわああああぁぁぁぁ――――!!」
月にも触れられそうな高みから、また、落下する。今度こそ、今度こそ叩き付けられる! 見事に武道場の屋根上に向かって落下している! だからこそ、蓋然的に今度こそ、落ちて、潰れて、死ぬ!
「踏ん張れ!」
誰かの――いや、彼の、声だろう。解らんけど! とにかく!
僕は、その言葉の意味を把握する前に、言葉通りに、反射的に、足に力を、込めた!!
「あ、あ、あ、……あああぁ――?」
――っけなかった。じゃなくて、あっけなかった。
もはや、痛みがないことには驚くまい。ここはそういう世界だ。だが、足が折れていたり、動けないようなダメージを負ったということもなさそうだ。足を踏みしめる。そして、尻餅をつく。だが、足へのダメージからではなく、気が抜けただけだと、なぜか把握できた。
「……生きてる」
僕は、そのまま後ろへ倒れた。落ちるように巨大な灰の月が、煌々と威勢よく、輝きを振り撒いている。
「ああ、……生きてたな」
そう言って、彼も仰向けに、倒れる。その表情を見てはいなかったけれど、なんだか声は、弾んでいるように聞こえた。
心臓が、激しく上下する。呼吸による、胸の上下。それよりもよほど、心臓がいま、僕の左胸を揺らしている。それが、目に見えるように顕著だった。
倒れたまま、首を仰向ける。ここは、武道場の屋根上、その隅の方だ。そして、ゴールらしい光の柱は、屋根上の中心辺りにある。それを、少し、見た。ここまでくれば大丈夫だろうが、まだ、少し動かなくては。
「先に行くぞ。落ち着いたら来い」
それが解っているからだろう、彼はいち早く立ち上がり、先に行ってしまった。
だが、僕もあまり長く、こうしているわけにもいかない。ワンテンポだけ遅れて、すぐに身を起こす。
……そういえば、僕はずっとひとつ、聞かなきゃならないことがあったのだった。彼を振り向き、僕は、問う。
「そういえば、君の名前――」
「おい! 走れ!」
「え?」
僕の足元が、崩れ始めた。
*
「わわわ、わっ!」
驚愕。しながらも、冷静に、僕は腰を降ろしたまま、後退する。
崩れている。……崩れていく!
武道場の屋根上――いや、おそらくそれより下層すべても、崩壊していく。一部に穴が空くのではなく、端から順に、徐々に!
僕はなんとか立ち上がり、屋根上の中央、光の柱に向かう。
「急げ! まだ終わりじゃねえ!」
言って、彼は光の柱へ、
その姿に瞬間、驚くが、すぐに、視認する。
光の柱の中に、
「くそがっ!」
罵声を上げ、無心で走る! 急げ! きっともう、崩壊は止まらない!
走りにくい屋根上の傾斜を、無我夢中に。途中何度も転びそうになったが、それでも、なんとか到達した。これで、生き残れ――。
「……おいおい、マジかよっ!」
崩壊は、まだ続いていた。梯子のその最底辺、そこから順に、上へ! まだまだ、
「とにかく登れ!」
いくらか上で、彼の声。言われるまでもない!
そして、言われる以前からとうに、全力で、僕は登り始めている。
「はあっ……はあっ……!」
足の痛みは、ない。あるいは、腕にも、体のどこにも、痛みも、肉体的な不調もない。しかし、体力は別みたいだ。息が切れ、呼吸が荒ぶる。足を踏み外しそうなほどに迫ってくる崩壊に、焦りが募る。
高く、高く。登って行く。……いったい、どれだけの高度だ? 屋根上からさらに上。全身全霊に、勢いよく、ずっと、登っている。迫りくる崩壊を常々確認するため、どうしても下を向いてしまう。その度に肝が冷える。その、いままで経験したことのない、高度に!
「ここだ! ここが、ゴールだ!」
彼がどこかへ辿り着いたらしい。その声に安堵し、瞬間、足を踏み外す!
「うおお……!」
「もう少しだ! 手を貸せ!」
驚いている余裕もない。僕は遮二無二、登る。もう少しで、彼の手に、手が届く!
いまさらながら、汗が滲む。手にも、足にも。どちらも、梯子から滑り落ちそうに、僕の邪魔をする!
もう、足元は見下ろさない。とにかく急げ! 登れ! 進め! 手を伸ばせ――――!!
「わああああぁぁ――!!」
両足が同時に、空を切った。
「おおおおぉぉ――!!」
だが、両手は彼の手を、掴んだ。
苦悶の表情で、引き上げられる。力が足りないのか、ゆっくり、ゆっくり、と。もう、梯子は微塵も残らず、消えてなくなった。雲の上のように見える、柔らかい光の空間には、崩壊は及ばない。正真正銘、そこが、ゴールなのだろう。
そこへ、少しずつ、引き上げられる。彼の汗と、僕の汗が混じって、いまにも滑り落ちそうに――。
「「はあ……はあ……」」
……僕は、なんとか雲の上のゴールに、引き上げられた。
僕たちは、どうにかこのゲームを、クリアした……の、だろう。
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