崩れ落ちる階段
走る。……とまでいかなくとも、僕たちは、駆け足で三階を進んだ。
「エリア3での崩壊率は、およそ25パーセントだ。気ぃ付けろ」
そうこうしているうちにも天井が崩れ落ち、片足を新たな崩壊に飲まれそうになりつつも、彼は冷静に、僕へ説明する。
「ほ、崩壊率って?」
もう動き過ぎで足が痛いはずだ。などという程度に、もはや疑問など持つまい。しかし、いきなり知らん単語を持ち出されれば問い質すしかないだろう。ちなみにエリア3も知らん。たぶん三階のことなのだろうけれど。
僕の言葉に、はあ、と、彼はため息をついた。
「校舎が崩れる確率だよ。文脈から読み取れ、アホ」
「アホ!?」
誰がアホやねん。いや確かに頭がいいとは言わないけれど、決してアホじゃないぞ、僕は。むしろ一般的でない単語をいきなり使う方がアホだろう。やーい、アホ!
僕は心の中だけで彼を罵倒した。
「どうやら上階に行くほど、崩壊率が上がっている。それすわなち、目的地は上階にこそある、ってことだ。エリア4ではおおよそ50パーセント。エリア5――つまり屋上は、まだ到達者が少なかったからか、詳細に数値を出せるほどじゃなかった。ゆえに未知数だが、70~80くらいはあるだろう」
その言葉に、僕は違和感を覚える。
「え、屋上行ったの? もう?」
「そりゃ行くさ。上階が目的地の可能性が高いっつってるだろ」
「いや、だとしたら、君はもう目的地に到着したってことじゃん。どうして再度降りてきたの?」
その問いに、彼は舌打ちして、少しだけ言葉を探しているようだった。
「ロープを探してたんだよ。それと、協力者もな」
くい。と、僕の腕に縛り付けたロープを、彼は一度、引いた。
*
彼は廊下の真ん中、それに続く僕は、廊下の端を駆けていた。
「おい、真ん中を走れ」
ちらりとこちらを振り向いた彼が、僕にそう言った。また、軽く舌打ちをして。
「え、でも、もしものとき窓の棧に掴まれるし、それに、真ん中を走ったら左右に忙しなく目を向けないと安全確認できないから、危険かなって」
そこまで具体的に危機感を抱いていたわけではないけれども、しゃべっているうちに思い付いた理由を並べてみた。そうするとどういうことか、その理由は実に的を得ている気がした。
「真ん中を走れ。足元は気にすんな。少し先の床を見ろ。あと、壁を頼りにすんな。飲み込まれんぞ」
「はあ? どういう――」
ふわ……と、急に横から風を、感じて――。
「こういう、ことだよ!」
「うわわ……!」
左の壁。僕が頼りにしていた窓際の壁が、不意に、崩壊した!
そちらにやや体重を預けていた僕は、そのまま穴に――窓際だからその先は、校舎の外に落ちるだけのはずなのに、なぜだかどこまでも漆黒に闇が続く、横穴に、飲み込まれ――
「た、助かった……」
そうだったところを、彼に引っ張られ、床にへたり込んだ。正確には、彼が僕に縛り付けたロープを引いて、助けてくれたのだ。
「壁に頼っても無駄だって解ったろ? こうなると真ん中を走る方が、逃げ道が左右に二択あって、生存率が上がる。足元が崩れたって、蹴り跳べば自力でも抜け出せんだよ。とにかく集中しろ。足元の崩壊は、足に伝わる感覚だけで把握しろ。問題は、その崩壊から抜け出す先だ。もしいま足元が崩れたら、どこへ跳び、逃げるのか? その先に天井の崩壊はないか? 気ぃ抜くな。これは完全初見殺しの死にゲーだ」
「死にゲー……」
僕は彼の言葉を反芻する。生き残る。復讐する。そう、決めた。だったら、そうだ。いっそゲームだと割り切ろう。貝常くんも、炭文字さんも、そして、加賀殻さんも。死んでしまった者たちへの追悼は、このゲームを、生き残ってからだ!
「まあ、それでもどうにもならねえこともある。だから、頼んぜ? 俺が死にかけたら、おまえが俺を助けろ」
そのためのものだ、と、言わんばかりに彼は、自身にも縛り付けてあるロープを、腕を上げて示した。
*
あの、崩壊が完全に浸食した階段から、別なる階段へ、到達した。そこは幸いなことに、ほとんど穴の空いていない、理想的な形で残っていた。……『ほとんどない』とはいえ、いくつか穴の空いている状態を『理想的』というのも、なんとも僕の常識もとち狂ってきていると言わざるを得ないが。
「階段は要注意だ。廊下より狭え上に、もとより登って行かなきゃならねえから、どうしたって足に負担がかかる。足元が崩れそうなら無理せず、後ろへ跳べ」
「解った」
これまでよりも神妙な言葉に、僕も神妙に応える。すると彼は、ずっと持っていたらしいロープの束を僕に渡してきた。
「ロープをピンと張って持ってろ。気ぃ抜くな。もしものときは引っ張り上げてくれよ?」
「ああ、解った」
そう言って、まずは彼だけが階段を登った。いざというときは後ろへ跳ぶ。その都合上、並んで登るとぶつかる可能性がある。ゆえに、ひとりずつだ。
慎重に、急がず、慌てず、一歩ずつ、登る。まずは折り返し地点の踊り場まで、彼が登りきった。
次いで、僕。彼が登りきったときのロープの長さを維持しつつ、慎重に、登る。さきほどまで忙しく駆けていたから気にならなかったが、こう慎重に神経を尖らせていると、周囲の静寂が鮮明に浮かび上がり、それがやけに緊張感を高めた。
――――――――。
こうして僕たちはなんとか、四階――エリア4へ進んだのだった。
*
そしてそのまま、屋上へ。屋上までの階段もそのまま行って問題なさそうである。今度は、ひとつの穴すら見つからない。こうなってみると、穴など空かないのではないか、とも錯覚してしまいそうだが、ちらりと四階の廊下を見てみると、どこもかしこも穴だらけの、瓦礫だらけ。さらには横穴も多く散見される、地獄絵図だった。もうこれ以上穴が増えないのだとしても、その道を進む勇気は、僕にはない。
ならば、この階段がきっと、最後のチャンスだ。僕たちが屋上へ到達し、このゲームをクリアし、復讐を果たすための。
「……おい、おまえ先に行け」
「ファ!?」
ふとした彼の提案に、変な声が出た。
「なに? え? なんで? 君が先に行くんじゃないの?」
「あ? ビビってんのか?」
「ぜ、全然!?」
なぜだか虚勢が出た。まったく理由は解らないけれど、似たようなやり取りをいつだったか、したことある気がする。
「べつに俺が先でもいいんだけどよ。たぶん、先に行く方が生存率は上がるぞ? 前のやつとまったく同じ道を進んだって崩壊するときはするしな。そのへんはどこが安全とか危険とかじゃなくて、完全なランダム、な、気がするし」
彼も確実には理解していないのだろう。やや語尾を尻すぼみに、言った。
「『階段は無理なら後ろへ跳べ』、つったろ。だったら、いざってときは後ろから引っ張ってもらえる先陣が安全だ。さっきは俺が先に行かせてもらったからな、次はおまえが、安全な先頭を行け」
「……そういうことなら」
遠慮なく。と、僕は言うが、なぜだろう? 彼の言葉はどうにも、信用できない。理屈が曖昧だからだろうか? まあしかし、実際先手と後手、どちらが安全かはともかく、さきほどと順序を交代するのは公平な気が、した。
どこか腑に落ちない気持ちのまま、僕は階段を、登る。
*
折り返しの踊り場までは、互いに問題なく登った。一度、僕のすぐ横に天井が崩れ落ちてきたけれど、特段回避に身をよじるまでもなくそれは、僕に害を与えないあたりに落ちたのだった。
いやまあ、それでも一歩横を進んでいたら死んでいたかもしれない肉薄ではあったのだけれど。それを『問題なく』、と、評することができるあたり、僕も肝が据わってきたというところだろうか?
それはともかく、見上げる。踊り場から先、最後の、階段だ。
その先には見慣れてもいない、屋上への扉。昼休みには昼食を食べに、多くの生徒が訪れるらしいのだが、僕はほとんど利用したことがない。ゆえに、見慣れてなどいないのだ。
だが、それでも、何度か見たことはある。あれは、間違いなく、我が校の屋上へ出る、扉! それだけで少し、僕は感慨にふけった。
「気ぃ抜くなよ」
やはり神妙に、彼は言った。
「ああ……」
僕も神妙に応え、一歩目を――。
「うおうおうおおぉ――!!」
唐突に、いきなりの、崩壊だ! 気を抜くな。という彼の言葉を、僕はもう、簡単に聞き流していた! まさか一歩目からなんて――だけどそんなもの、言い訳にもならない!
人は穴に落ちたら――死んだら、終わりだ! どんな言い訳をしても、取り返しなど、つかないのに!
「跳べっ!」
くい、と、腕に巻かれたロープが引かれる。
そして条件反射に、僕は跳んだ。いや、でも、跳ぶったって! 足元はもう、崩れて――!!
「お、おおおおぉぉ?」
不思議だ。不思議と、崩れた足場を僕は、踏み、跳び、後ろへ後退した。ロープに引かれたというのも、もちろん要因だろう。しかし、確かに足に力は籠り、床を、地面を蹴って、自ら跳んだ、気が、した。
気付くと、僕は踊り場の壁に、身を預けていた。生き、残った。と、認識して、すぐに壁から離れる。そうだ。壁も決して、安全ではない。
「オーケイ。上出来だ」
彼の賛辞が、するりと耳から入り、そして出て行く。
こうしてなんとか、僕たちは屋上へ、到達した。
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