崩れ落ちる再会
ぐちゃあ――。と、粘度の高い、いやな液体の音が聞こえた。そんなもの、聞こえるはずがない。それよりもよほど鋭い、瓦礫の崩れる音が耳をつんざいている、はずなのだから。
それでも、なぜだかはっきりと、聞こえる。彼女――炭文字さんが、潰れていく、音が。
「あ……あああぁ……」
その、非現実的な光景に、言葉が出ない。叫びも、喚きも、腹の底から込み上げてはこない。その代わりに上がってくるのは、目の前に広がる血や臓物のような、人間の内容物。
「お、うええぇぇ――――!」
吐瀉である。唾液に胃液が混じった、黄色い液体だ。しかし、夕食で食べたはずの食物の残りかすなどは含まれていない。ただの、黄色い、泡立つ液体。
つん、と、鼻を衝く刺激臭。生温かい酸の匂い。そして徐々に現実味を感じさせる、鉄の匂い。
もはや生体活動を停止させた、炭文字さんの――彼女だったものの匂い。
「はっ……はぁっ……!!」
呼吸が荒い。落ち着け、落ち着け。
人間は死ぬものだ。いつか必ず死ぬ。こんな荒唐無稽な、夢のような世界でなくとも、抗いきれない理不尽で、人は簡単に死ぬ。僕は知っていたはずじゃないか。それでも、体感してみるとそんな知識なんて、瞬間にぶっ飛ぶような衝撃だった。
彼女に言ったことを思い出せ。ここでこうしていても仕方がない。同じような目に、いまここで僕が遭わないとも限らないのだ。動け! 彼女が僕を助けてくれたことを無駄にするな!
僕はなんとか自分を奮い立たせ、立ち上がった。彼女の死体を、しっかと見る。直視する。
もはや原型などない。ただただ血と肉と骨と、臓物の混合物だ。あとせいぜい目を引くのは髪の毛、くらいか。黒くて艶やかな、美しい髪の毛――だったもの。しかし、いまとなっては血や脂にまみれ、赤く――いや、どこかピンクがかって見え――?
いや、……違う! 血にまみれている。だから、炭文字さんの美しい黒髪ももはや、赤やピンクに穢れて見える。しかし、穢れてもいないのにピンクに見える繊維質のなにかが、そこに、決して少なくない割合で、混ざって――!
「う、わああああぁぁぁぁ――――!!」
驚愕。嫌悪。悲哀。それもある。だが、
ピンク色の髪。潰れた人体は、よく見ると二人分あるように、その体積が積み上がっている。血にまみれすぎて、あるいは暗闇でよく見えないが、あの入院着も、二人分重なっているようにも。
そして、そばに落ちている、血まみれの、髪飾り。星形の、女子高校生がつけるにはやや幼い、ヘアゴムの飾り!
「加賀殻さんっっ!!」
*
意味が解らない意味が解らない意味が解らない! どうして彼女がここにいて、どうして天井から降ってきた!? どうして炭文字さんの真上に落ちて、どうしてふたりして、まとめて潰れて、死んだ!!
「なんなんだよ! くそっ!!」
怒りだ。いまだに怒りが強い。僕は無意識に、近くの壁を思い切り拳で殴りつけていた。ドーパミンだかが大量に分泌されているのだろうか? その手はまったく痛くない。
貝常くんが穴に落ちて行ったときよりも、はるかに現実的な現実だ。貝常くんは、ともすれば、まだ生きている可能性もある。なぜなら、僕がその『死』を、確認していないから。
だが、彼女たちは死んだ。確実に、死んだ。第一印象や噂で誤解していた、やたら可愛いお隣さんも、僕がずっと目を引かれ、好き、とまで思えそうだった女子も、どんな因果か、いま僕の目の前で、ふたり同時に、死んだ!
「どういうつもりだよ! ふざけんなっ!!」
痛くないのをいいことに、僕は何度も、壁に拳をぶつけた。それは殴る、というより、叩き付ける、に近い乱暴さで。
そう、思った。怒りの矛先を、顔も知らぬ誰かに――存在しているかも解らぬ誰かに、叩き付ける。
こんな意味の解らない世界に変えたのは、いったい、どこのどいつだ?
「ぶっ殺してやるっ! 出て来いっ!!」
「ううるっせえな!」
僕の叫びを掻き消す別の叫びに、僕は理性を取り戻す。
見ると、いまいる三階の廊下の先に、光源のような白い姿が目視できた。
声質的には男子。しかしよく目を凝らしてみるに、顔は中性的で、やけに肌が白く、細い。華奢な女の子のようにも、見える。
そんな彼が、僕を見るなり、ちっ、と、嫌そうな顔で舌打ちをして、こう言った。
「おまえでいいや。ちょっと付き合え」
*
「……誰、だ?」
知らない顔だ。もし見たことがあるなら、人ごみですれ違っただけでも印象に残っているはず。だって、その姿はあまりに現実離れしている。
真っ白な肌。真っ白な髪。まるで神様みたいに、自ら光を放っているような白。中性的に整った顔。そしてなにより目を引く、真っ赤な瞳。
いわゆる、
「おまえが知らねえなら、おまえの知らない誰かだよ。それより、生き残りてえだろ?」
「僕は……」
口籠る。生き残りたい。少なくとも、いま、死にたくなどない。それは確かだ。しかし、目下の現実を目の当たりにして、彼女たちを犠牲にして、あるいは、彼女を失っていまさらこの世界で、生きる意味など、僕にあるのだろうか?
「復讐」
「…………!!」
その単語に、僕の全身に電流が走る。どこかで聞いたような――いや、日常的に使う単語ではないとはいえ、一般的に認知されている単語だ、そりゃどっかで聞いたことくらいはあるだろう。しかし、いつかどこかで、僕はその単語に、強く触れたような、そんな感覚を味わった。
「――してえだろ? この世界の、『神』に」
「『神』?」
神、だと? それはなんだ? 僕たちの世界の創造主のことか? 概念上の、形而上の、信仰上の、概念のことか?
それとも、
「どこの誰だか知らないけれど」
目の前の、彼も。その『神』とやらのことも。どちらもまとめて、知らないけれど。
「僕は生きる――生き残るよ。……そして、復讐してやる」
その返答に、彼は満足したのか、微笑み、手を差し伸べてきた。握手……だろうか? そう思い、僕も倣って、手を伸ばす。
「オーケイ。なら、踏み台役を頼むよ、分美
「…………?」
どうして僕の名前を知っているのだろう? そんなことにも正常に、疑問を感じたけれど、それよりも――。
どうして差し出した僕の手に、彼は、ロープをきつく縛り付けているのだろう?
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