崩れ落ちる夜
冷たい。……床の感触で、目を覚ます。なんだここ? なんで床に寝てるんだっけ? 僕。
とりあえず、身を起こす。起き上がる。立ち上がる。見渡してみるに、床、というより、廊下、みたいだ。そう、まるで学校の廊下。
うん? 学校の廊下?
ここって、うちの高校じゃないの? この昇降口、見覚えあるんだけど。
……うん。現実味を帯びてきた。昇降口からすぐ、トイレがあり、その先へ突き当たると、左右に廊下が続く。右手は一年生のクラス。左手には、美術室が見える。どう見ても僕の通う高校である。
はたしてどういった経緯で夜中に高校にいるのかは忘れたが、しかし、こんな出来事も明日の話題にでもしてしまおう。とりあえずなにがどうなってここにいるかは置いといて、帰るとしようか。
と、思い立って、別なことにも気付いた。あれ? なんだこの格好? 白く清潔な、ワンピース? いやいや、なんだこれ? 僕の私物ではないぞ、断じて。僕に女装の趣味なんか――というより、そういう部類の衣服でもなさそうだ。寝間着――というか、イメージ的には入院着に思える。僕は健康優良児だから、入院の経験がなく、なんとなく、イメージでしかないけれど。
さらに言うなら、衣類はそれのみ。正確には下着は履いているけれど――うん、これは僕のだな。確認し、もうひとつ、確認。上履きも履いていない。裸足だ。どおりで足裏がほどよく冷たいわけだ。
……いや、さして冷たくもない。なぜだろう? ほどよく冷たいのだろう、とは思うのだけれど、『冷たい』と、感じていない。不思議なことに。
…………。
寝惚けているのだろう。ともすれば、夢遊病でこんなところまで来てしまったのかもしれない。……だとしても見覚えのない入院着を着ているのは腑に落ちないが。
ともあれ、帰ろうか。裸足だから足元には気を付けて。
*
のだが。
「ええぇ……」
のんきにのんきな声が出た。もはや無意識の発声である。
昇降口から外へ出てみたら、出られなかった。なにを言っているか解らねーと思うが、僕もなにが起きているのか解らない。とりあえず頬をつねってみるとまったく痛くなかったので、これが夢なのだろうことは確実だ。
昇降口から先、校舎の外。そこには、校舎から一歩も出すまいとする確固たる意志があるかのように、大穴が空いていた。いや、どちらかというと、校舎のみが空に浮いたかのようだ。おそるおそる昇降口から外へ顔を出し、左右をうかがってみるに、その大穴は、校舎の壁に沿って綺麗に、続いていたのだ。
僕はゆっくりと、校舎内に戻る。いやだから、校舎の外へは一歩も出ていないのだけれど。というか、出られもしないのだけれど。
こう、冷静に考えているようだが、僕はどうやら、かなりビビっているらしい。数歩後ずさると、へなへなと床に腰を降ろしてしまった。まあ、正常な反応といえばそうなのだろうけれど。
パリ――、と、どこかで、なにかが鳴った。こう、メッキが剥がれたような、粘土細工が欠けたような……。
「ウィーッス。なんだ、
ビクリと身を震わせ、僕はその声に、振り向いた。
うわあ。他人を見るとよく解るわ。この入院着、男子が着るにはややきついものがあるだろ。特に彼のような、体格のいい男子が着ると。
「貝常、くん」
そう、我がクラスのヤンキーなり損ない、貝常統矢くんである。
*
……まったくもって、気まずい。そもそも僕は社交的な方ではないのだ。そのうえ、相手があの、貝常くん。体育会系で、声がでかい、僕の苦手な人種。
「わっけ解んねえよなあ。外にゃ出られねえし、変な服着てるし。ああ! こんなん女子とかに見られたら終わりだぜ!」
と、思うなら声を控えろ、声を。おそらく言うほど気にしてはいないのだろうけれど、悪いが僕は気にしているぞ。
こんなん、女子――は、ともかく、加賀殻さんに見られたら恥ずかしくて死ねる。
「貝常くんも、学校にいる理由や、この、変な服の理由も知らないんだよね?」
「知らねーっての。ケータイもねえし。はよ帰って寝てえぜ」
そう言って、貝常くんはでかでかとあくびをした。ぼりぼりと肩を掻きながら。
とりあえず、どこからも外へ出られないのか、僕らは校舎の一階をぐるりと回ることにした。要所要所で窓から外を確認。現在、全体の四分の一ほどを確認できていると思うが、やはり奈落のような大穴は校舎に沿って綺麗に続いていた。
「にしても、炭文字は怖えよなあ。分美、ひと月あいつの隣とか、やばくね?」
ふと、貝常くんはそんなことを言った。言われて、思い出す。そうだ。あの席替えは、今日あった出来事だ。そう思い出すと、少しずつ最後の記憶が繋がってくる。
ええと、僕は今日、学業を滞りなく終えて、帰宅はしたはずだ。それから、夕食は――食べた。今日は父が珍しく早く帰ってきていて、両親と僕、三人揃っての夕食だった。それから、風呂に入って、その後は自室で過ごしていた。……だとしたら、ここに来たのは――あるいは、連れられたのは、いったい、いつだ?
「おおい、分美。聞いてんのか?」
「うん? ああ、ごめん。……炭文字さんだっけ? まあ、やっぱりちょっと怖かったけど、意外と授業中は普通に静かだったし、休み時間に変に絡まれることもなかったから、思っていたよりは平和だけれど……」
意外と素直なことに、あれから炭文字さんはスカートの下に履いていたジャージを脱いでいた。それゆえにか、机に脚を乗っけるような態度の悪さもなく、いやむしろ、どことなくそれ以降、借りてきた猫みたいに落ち着きがなかったようにも思える。机に俯き、なんだかもじもじしていたようにも。……あまり見ると怒られそうだったから、僕は意識して、あまり彼女を見ないように気を付けていたけれど。
「まあ、もしなんかあったら俺に言えや! 炭文字にガツンと言ってやるぜ!」
貝常くんは白い歯を剥き出し、親指を立てて言った。ありがたい申し出だけれど、彼に彼女をどうこうできるとは思えない。
「ああ、ありがとう」
もちろんそんなことは言えないので、僕はなおざりな感謝を伝えておいた。
*
僕らの高校は、四階建て、長方形の普通棟が二棟あり、それらが二か所の連絡通路で繋がれている。そして、それとは別に体育館と武道場が、それぞれ少し離れて建っている。この体育館と武道場へは、連絡通路が繋がっていない。ゆえに、体育授業や部活動にてこれらに用事があるときは、一度外履きへ履き替え移動するのである。
で、その、体育館と武道場である。それが現在、問題なのである。
「あっちも生き残ってんだな。つっても、大穴があるから行けねえけど」
貝常くんが言った。言葉通りである。
昇降口がある普通棟をA、連絡通路に繋がれたもうひとつの普通棟をBとして、僕らは普通棟Bへやってきた。そして、そのBの裏側に、体育館と武道場は、大穴に飲まれることなく、しっかとそこに『生き残っていた』のである。
が、そちらの状況も、普通棟と変わらずだ。建物自体は生き残っている。つまり、大穴に落ちることなく存在している。しかし、その間の空間は相変わらずの大穴だ。連絡通路で繋がれた普通棟ABと違って、連絡通路がない体育館や武道場へは、どうやら行くことはできないらしい。ちなみに、普通棟ABとその連絡通路は生き残っているが、その間の空間は綺麗に大穴だ。
これで、普通棟の周囲に関してはほとんど確認できたと言える。昇降口から左手の法則で回ってきたから、昇降口側、左側、そして、昇降口の反対側を確認。そのどれもが大穴に阻まれ、外への道を消し去っている。ことここに至れば、まだ未確認の昇降口右側も期待薄だろう。
こうなると、ほぼ完全に、この普通棟に隔離されたことになる。つまり、どこへも逃げられない。正直、慣れ親しんだ学校だから、危機感が薄かったけれど、こうなってくると結構ヤバい状況だ。
「とりあえず、このままぐるっと、昇降口まで回ってみて、確認してみるしかないよね、いちおう」
僕は言った。これからどうすべきか、その思案をしながら。背中に冷や汗を感じながら。
「……そりゃそうなんだけどよ。……それより屋上まで登って見渡せば早かったんじゃね?」
貝常くんはふと、そんなことを言った。
……うん。おっしゃる通りで。
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