崩れ落ちる足元
ぶっちゃけ馬鹿――とは言わないまでも、さして頭はよくないだろうと踏んでいた貝常くんの言葉に、僕は若干ショックを受けつつも、その、あまりに理に適っている提案に従うことにした。
普通棟をぐるりと回りつつ、そばにあった階段を登る。屋上は、四階の上。最近では屋上を立ち入り禁止にしている学校も多いと聞くが、我が校は普通に開放されている。が、夜中でも開いているかは賭けになってくる。というより、やはり夜中は閉まっている可能性の方が高いのだろう。とはいえ、この緊急事態だ、もし閉まっていても、貝常くんに蹴破ってもらうことにしよう。
ぺたぺたと、裸足で僕らは階段を登る。いまさらながら思い付いたけれど、昇降口で内履きを履いておけばよかった。まあいいか、いまさら。
「つっても、確認したところで意味ねえよなあ。結局、大穴に囲まれてるわけだし、屋上から屋根を飛び移っていくにも、距離がありすぎるしな」
貝常くんは言う。その通りだ。
屋上から、あるいは、四階や三階などの高層階から、近場に飛び移れるような建物はない。もっとも近くで、体育館や武道場になるだろうが、そこまでだって遠すぎる。仮に火事場の馬鹿力で飛び移れたとしても、高低差で足の骨が折れるだろう。
それに、そんな冒険をする勇気などない。あの奈落の大穴。あんなところに落ちてしまっては『死』しか考えられない。
「それでも、屋上にいればヘリとかが救助に来るかもしれないしね。それに、どこにも逃げられないとしても、街がどうなっているのかも気になるし」
屋上から見渡そう。という貝常くんの頭のいい――というより普通の提案に負けないように、僕も少しは実用的な考えを述べておく。とりあえずこれで、僕の中では、この珍事件に対する貢献度はイーブンとなった。
「おっ、さすがガリ勉! あったまいいぜ!」
「ガリ勉!?」
確かにクラス内でのカースト順位は低いつもりでいたけれど、まさかそう思われていたとは! 僕は残念ながら、勉強はできないぞ! 平均くらいしか!
あっははは! と、特段に釈明も、訂正もなく、貝常くんは笑って、僕の背を叩いた。……めっちゃ痛え。
*
二階へ到達である。本来ならまっすぐ屋上へ登るはずであるが、結局、急ぐ必要性も薄い。ゆえに、一度、まだ確認できていない校舎右側を確認するのと、軽く二階も探索することとした。そもそも、僕も貝常くんも、なぜ自分がいまここにいるのかを知らない。つまり、何者かに強制的に連れられた可能性が、十二分にある。だとしたら、僕たち二人だけというのもおかしな話だ。だとしたら、他にも誰か、校舎内にいるということも考えられる。
誰かいるなら、合流して、情報交換をしたいし、なにより、こんな不思議な状況では、できるだけ多人数で行動した方が不測の事態に対処できるだろう。……と、言い訳を並べてみたが、単純に大人数の方が心強いのである。
「……やっぱり、全方位囲まれているみたいだね」
右側の窓から外を見て、僕は言った。予想通りだ。いや、この予想くらいは、たとえ馬鹿でもできるようなことだろうから、胸は張れないけれど。
諦めも、落胆もなかった。それでも僕は窓沿いに、もう少し見て回る。期待ではない。ただの、確認――。
「おい! 分美!」
「えっ……!?」
ふと、体勢が大きく崩れた。あるはずの床が、なくなったような――いや! まるで一歩先に大穴が空いていることに気付かず、そのまま普通に歩いてしまったような――!!
ぐ……と、反射的に力を込める。左手。窓の棧に添えていたそれに、力を――体重を込める。瞬間、足元を確認。穴――穴だ! 床が、抜けている!?
「くっ……そ!」
左手一本では支えきれない! 右手も棧に引っかけるが、抵抗むなしく、すぐに剥がれてしまう! こんなことなら運動部にでも入っておくのだった!
と、いう、走馬灯。僕は思い切り体勢を崩し……そのまま――!
「わ、けみ……!! っとりゃあ!!」
藁をも掴むようにじたばたと、空を切っていた僕の右手を、貝常くんが掴んだ。掴んでくれた! そしてそのまま、力任せに引っ張り、安定した床へと引き戻してくれる。
間一髪。僕は、まさしく命からがら、生き延びた。
*
冷や汗……どころか、滝汗だ。うつ伏せ、僕はリノリウムの床に落ちる、自分の汗を見た。本当のリノリウムは高級天然素材だから、学校なんぞに使われていることはほとんどない。そんなトリビアを思い起こし、気を落ち着かせる。
「あ、ありがとう、貝常くん。……助かった」
「そりゃ、結構だが、そもそも、なんだあの穴」
互いに息を切らしながら言葉を交わす。言われて、記憶を想起。落ちかけたときにちらりと見ただけだけれど、確かに、考えてみたらおかしな話だ。僕らの通う学校に、あんな危険な穴など空いていなかったはずである。
いやまあ、校舎の外がすべて大穴になってしまった現状、校舎内に穴が空いているくらい許容範囲とも言えるが。
息を落ち着け、僕らは立ち上がる。件の穴へおそるおそる、近付いた。
「……穴だな」
貝常くんは言う。
「……穴だね」
僕は応える。穴という他ない。だが、妙だ。不思議なのである。
確かに穴だ。穴という他ない。直径二メートルほどの穴だ。その輪郭はまだ崩れそうにひび割れており、あまり近付かない方がいいだろう。が、それでも注意しつつ近付き、覗き込んでみると、真っ暗なのである。漆黒に、奈落である。
ここは僕らの高校の二階である。そのはずである。であれば、この穴の下は、一階に繋がっているはずだ。いくら夜中の暗がりの中とはいえ、よく目を凝らして見ても、その一階の床は見て取れない。
しかも、僕らは先に、一階をほぼ一周してきたはずだ。そのときにわざわざ天井を注視してはいなかったとはいえ、こんな大穴が一階の天井に空いていたのなら、さすがに気付くはずである。
だとしたら……どういうことだ? この穴は、ともすれば僕たちが一階を探索した後に空いたものだとでも言うのか? もしそうならば、どういうことになる?
「まあ、わっかんねえけど、気を付けようぜ。他にもどっかに穴が空いてるかもしれねえ」
貝常くんが言った。しかし、確かに考えても仕方がない。むしろ、不意に落ちてしまう前に、『こういうことが起きうる』ということに気付けて僥倖だった。
「そうだね。気を付けて、進もう」
どちらにしても進むしかない。少なくとも、屋上へ出るまでは。
*
穴の件があったので、二階の探索もほどほどに、僕らは屋上へ急ぐことにした。もちろん、十二分に足元を注意しつつ。
「なんかよお。いまさらになっておかしいよなあ。外の大穴もそうだし、さっきの穴も……」
貝常くんはいまさらなことをいまさら言った。本当にいまさらである。
が、僕にも不思議な感覚があった。確かに不思議だ。どう考えても常軌を逸している。それなのに、なぜだか『そういうもの』だと受け入れている自分がいるのである。
不思議だ。おかしい。あり得ない。記憶もなく夜中の学校にいることも、変な服装で歩いていることも、大穴も、穴も。なにより、それを疑問に思おうとも、荒唐無稽と切り捨てきれない自分の思考にも、不思議でしかない。
「考えても仕方ないよ。とりあえず、屋上へ――」
そこでちょうど、二階から三階へ到達した。
静寂の学校。だからこそ、僕はふと、違和感を覚えた。
パリッ――と、なにかが剥がれる音。崩れる音。割れ、砕け、崩壊する音――!
「貝常くんっ!」
「おうわっ!」
僕の声が先だった。僕は貝常くんが踏み外す前に手を伸ばした。穴など空いていなかった。確かに僕たちは、足元を注視して、ゆっくり歩いていたのだ。それでも――。
互いに距離を隔てて歩いていたのが仇になった。互いに互いの足元にも視線を向けられるように、二人分の視界の合計が、できる限り大きな範囲をカバーできるように、あえて距離を隔てて歩いていた。それが、仇になった!
「う、うわああああぁぁぁぁ――――!!」
いま、唐突に新たに、貝常くんの足元に空いた穴は、抵抗する隙もなく、一息に貝常くんを飲み込んでいった。
ウツボカズラに飲まれる、虫のように。やはり一階層下までとは思えない、果ても無き漆黒の穴。その、ぞっとする奥底へ――――。
「か、貝常くん――!!」
僕の叫びもろとも、共に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます