第29話 その猫背な背中



 マリィは今の状況を冷静に対処しようと大きく深呼吸をした。


 突然の王鶏冠多頭蛇バシレウスの出現。先の鶏冠蛇尾バジリスクとの戦闘からの疲労で上手く立ち回れず、兄のリューザは蛇頭の猛毒を受け、瀕死の状態。それをマアサが必死に治癒して解毒を試みている。


 リューザと言う戦力を失ったマリィ達は一時撤退を余儀なくされ、何とか魔の池沼ちしょうの最奥部から『朱雀街しゅじゃくがいガナード』のガルシア家の屋敷まで戻ってくる事が出来た。しかし、殿しんがりを務めたアルベルトも満身創痍となり、まともに王鶏冠多頭蛇バシレウスと戦えるのはマリィのみとなっていた。


 しかも、状況は更に悪化していた。逃げきれたと思っていた王鶏冠多頭蛇バシレウスが魔の池沼ちしょうの入り口付近まで追いかけて来ていたのだ。それにより、他の魔物が魔の池沼から溢れかえり、少ないながらも街への被害が懸念され出した。


 マリィはガルシア家の討伐部隊に溢れかえった魔物の対応の命をすでに下していた。この事態にミュドーも居ても立っても居られず、討伐部隊の指揮に回っていた。マリィは父含めた討伐部隊に対して万が一、王鶏冠多頭蛇バシレウスと遭遇しても絶対に交戦せず、逃げる様にと下知していた。


(あれは魔物の常識を著しく逸脱している・・・・・・・・)


 実際の魔物との戦闘経験が乏しいマリィの目から見ても王鶏冠多頭蛇バシレウスは異常であった。鶏冠蛇尾バジリスクよりも一回り大きいはずのその巨体からは想像できない程素早く、その一撃は重い。三つ蛇頭の波状攻撃も反撃の隙を与えてくれない。


(私が対処しないと・・・・・・・・)


 マリィは固い決意と共に少し自嘲気味に笑った。脳裏には一瞬、兄であるカユードの顔が浮かんだ。


(カユード兄さんを追い出してまで、ガルシア家存続を優先したんだもん。ここでやられる訳にはいかないわ)


 幸い、王鶏冠多頭蛇バシレウスはまだ魔の池沼から出て来たと言う報告はない。マリィは他の『治癒師』の治療を受け、『魔力回復の霊薬【最上級】』を飲み、体力、魔力共に万全に近い状態まで回復していた。


 【最上級】の霊薬は非常に高価な品であるが、出し惜しみをしている余裕はない。


 マリィは再び戦場へ舞い戻った。魔の池沼の周辺では魔物と戦っている討伐部隊の姿があった。


「父上! 私はこれから王鶏冠多頭蛇バシレウスを討伐してきます!」


 マリィはミュドーを見つけ、駆け抜けながら、自信たっぷりに言い放った。


 ミュドーはその走り去るマリィの背中を見ながら奥歯を噛み締めた。マリィのさっきの言葉はただの強がりだ。それは誰の目から見ても明らかだった。


 年老いて前線を退いているミュドーには仕方の無い事ではあったが、王鶏冠多頭蛇バシレウス程の強敵との戦闘に中途半端な戦力はかえって、足手纏いになってしまう。彼はこれ程自分が無力で、全てマリィに委ねないといけない事が歯痒くて仕方なかった。


 討伐部隊の脇を駆け抜け、魔の池沼へ再び足を踏み入れたマリィはすぐにその圧倒的存在感と対峙した。王鶏冠多頭蛇バシレウスもマリィを視認し、雄叫びを上げる。


「さぁ、今度は一対一だけど、さっきの私と思ったら大間違いよ!」


 マリィは自分自身を鼓舞する様に言い放ち、レイピアの剣身に水属性の魔法を付与した。


 ギャッと小さく唸り声を上げた王鶏冠多頭蛇バシレウスは前蹴りと、三つ蛇頭の猛攻をマリィへ繰り出した。それらをマリィは防御と回避に徹して細かいカウンターで対応した。


 マリィはまるで踊り子が踊っている様に、滑らかな曲線を描きながら攻撃を避け、蛇頭を集中的に攻撃した。


 この場にはマリィ一人で、『治癒師』であるマアサは居ない。その為、蛇頭の猛毒がもっとも厄介なモノとなる。万が一それを喰らうと即、再起不能に陥る。


 それを危惧して、マリィは真っ先に蛇頭を斬り落とすつもりで攻撃している。が、王鶏冠多頭蛇バシレウスもそう易々とやらせてはくれない。


 三つ蛇頭の波状攻撃が再びマリィに襲い掛かる。一撃目を軽く宙へ飛び避け、そこへ二撃目が飛んでくる。


「流水剣技・重水刃!」


 刹那にレイピアを数振りし、水属性の飛空する斬撃を何重にも重ね、二撃目の蛇頭へとぶつける。それに直撃した二撃目の蛇頭は大きく仰け反った。


 地面に突き刺さっている一撃目の蛇頭の上に着地したマリィは即座に胴体部分を駆けあがり、仰け反っている蛇頭に連続の刺突を繰り出した。


 背後の景色が見えるくらいの数十個の風穴を開けられた二本目の蛇頭は再起不能に陥った。が、その攻撃後の隙に、王鶏冠多頭蛇バシレウスの回し蹴りがマリィに飛んでくる。


「くっ!」


 苦痛に顔が歪む。マリィは何とかその回し蹴りの爪部分をレイピアで受け止めたが、衝撃で後方まで飛ばされた。背後の木に背仲を打ち付けながらも、何とか立ち上がる。


「ハァハァハァ・・・・・・・・・」


 マリィは肩で大きく息をしている。徐にレイピアを胸の前に翳し、魔力を集中させる。


 マリィのその行動に呼応するかの様に、王鶏冠多頭蛇バシレウスは両手の魚のヒレを大きく広げると、曇天の空から王鶏冠多頭蛇バシレウスのその黄色い鶏冠とさかへ落雷が発生した。


 迸る程の雷を纏ったその鶏冠とさかから一直線に雷魔法がマリィ目掛けて放たれた。


 レイピアを翳したままのマリィは微動だにしない。そして、遂にその雷魔法が直撃した。


 土煙が上がり、微かに人影が見えたかと思ったら、それがズルリと地面へ消えた。そこにマリィの姿はなかった。


「流水剣技・斜鏡」


 それはマリィが作り出した幻影であった。本体は既に王鶏冠多頭蛇バシレウスの背後へ回っていた。


「からの―――――流水剣技・瀑布!」


 マリィは全魔力を込めて、大滝の激流の如き無限の突きを放った。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ」


 喉から血が飛び散る程、力の限り叫んだ。幻影でのおとりなど何度も取れる戦法ではない。ここで決めねば勝機はないとマリィは感じた。


「ハァハァハァ・・・・・・・・・・」


 魔力が尽き、無限の突きを終えたマリィは再び肩で息をした。手応えはあった。しかし、未知に近い魔物故、止めを刺しきれているか不安であった。


 激しい攻撃によって舞った土煙が収まろうとしている。そこには巨影が浮かび上がり、静かに佇んでいる。


(お願い、倒れて・・・・・・・・・)


 もうマリィには祈る事しか出来なかった。まだ体力は多少残っているものの、魔力はほぼゼロである。


 土埃が完全に霧散し、王鶏冠多頭蛇バシレウスの全体が露わになった。悠然とマリィを見下ろしているかに見えたが、次の瞬間、前のめりに倒れ込んだ。


 それに安堵したマリィはその場で尻もちをついてしまった。それ程までに激戦であった。


 肩の揺れが収まりだし、少し落ち着きを取り戻して来たマリィは立ち上がろうとした瞬間、殺気を感じて飛び退いた。


 さっきまでマリィが座っていた地面には特大の剣が刺さっている。マリィはその柄を掴んでいる見慣れぬ男を睨みつけた。


 その男は灰色の外套を着こなし、白く輝く頭髪が特徴的で、その鋭い切れ長の目は真っ直ぐマリィを見据えている。


「流石だなあ、ガルシア家次期当主『マリィ・ガルシア』―――――希代の天才初代当主『ゴウド・ガルシア』の再来!」


「―――貴方誰?」


「俺の事なんてどうでもいい。でもまさか、あんなデカい鶏ヤローを倒すなんてなぁ・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・」


 マリィは訝しげに男を睨み続けている。


「だんまりか、なら、俺のことはサツキと呼んでくれ。そしてここで死んでくれ!」


 その言葉と共にサツキがマリィへ跳躍し、その特大剣を振り下ろした。マリィはその大振りな攻撃を難なく躱したが、瞬時にサツキは特大剣の柄を軸にして体を捻り、回し蹴りをマリィの横腹に喰らわせた。


「―――――ッ、カハッ!」


 マリィは堪らず、大口を開け苦痛に顔を歪め、そのまま地面へ転がった。


「本来なら、さっきのデカい鶏ヤローも、ましてやそれを倒したお前を倒せる程の実力は俺にはねぇが、今のお前なら赤子の手を捻るより楽勝だな!」


 ゆっくりマリィの元へ歩み寄ってくるサツキ。更にゆっくりとその特大剣を振り降し、マリィは何とか死力を尽くして飛び退く。が、追撃の拳が鳩尾に刺さる。


 そこからはサツキはまるで小動物を無邪気に弄ぶ子供の様にマリィを殴り、蹴とばした。


「ハハハッ、楽しいなぁ。 世間から持て囃されている天才を足蹴にするのはよぉ! アーハハハハ」


 天を仰ぎ、高笑いするサツキの声は既にマリィには聞こえていなかった。死を覚悟した者が最後に思い出すのは大切な人達だ。


 マリィはガルシア家に生まれてから今までの事が走馬灯の様に駆け抜けた。


 何時も自分の事を溺愛してくれる大好きな父。


 幼い頃に亡くなった、朧げに覚えている母の笑顔。


 いつも仏頂面で、厳しいけど、その裏に優しさが隠れている不器用なリューザ兄さん。


 ―――そして、最後の思い浮かべるのは最低な別れ方をしたカユード兄さん。


(お兄ちゃん、こんな恩知らずな妹でごめんなさい。ちゃんとありがとうって言いたかった。―――最後にいつもみたいに頭を撫でて欲しかったなぁ・・・・・・・・・・ありがとう、ごめんね)


 薄れゆく意識の中、見慣れた背中がそこにはあった。いつも自信無さ気で前かがみな小さな背中。リューザ兄さんの厳しい稽古から怯えながらも庇ってくれた大好きな背中。

 マリィはそれが最後に創造神『イル・サンサーナ』が見せる幻だと思った、更に、幻聴まで聞こえてくる。あぁ、お迎えが近いのかと思った。


「――――――リィ! マリィ! 大丈夫か?」


 しかし、目の前には会いたくて、会いたくて仕方なかった人が確かにそこにいた。


「よく一人で頑張ったな。もう大丈夫だ!」


 血豆だらけの掌がマリィの頭に触れる。その感触をマリィは嫌と言う程覚えている。


「あぁぁ、お、お兄ちゃん・・・・・・・・・・」


 マリィは全身の痛みなど忘れ、その弱った双眸の両端からボロボロ涙を零した。


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