第27話 池沼の主



 マリィは魔の池沼ちしょうの最奥部の手前まで来ていた。傍らにはリューザとアルベルト、そして、そのアルベルトと同じぐらいの年齢の女性が立っていた。


 その女性はマアサと言う名で、ガルシア家に長年仕えている『治癒師』である。現当主のミュドーに長年仕えていたが、マリィが正式に次期当主に決まってからはマリィに付き従っている。


 アルベルトもマアサ同様に長年ミュドーに付き従っていたが、現在はマリィの従者になっている。彼は職業加護『スカウト』で、斥候として平時も戦時の際も情報収集を主な役割としていた。因みに、アルベルトとマアサは夫婦である。


 魔の池沼ちしょうの最奥部に辿り着く道中には様々な大きさの池が存在していた。水質は酷く濁っており、透明さは欠片もない。しかし、そんな池には『塩』の塊が滞留する部分が必ず存在する。それをガルシア家の命の元、定期的に採取している。


 しかし、道中の池には採取されていない『塩』の塊が大量に残っていた。その原因を討伐する為に、マリィ達は魔の池沼の最奥部までやって来ていた。


 ―――鶏冠蛇尾バジリスク


 数日前、ガルシア家が雇っている討伐部隊からその魔物らしき特徴の報告があがった。体長2メートル強、巨大な鶏の体と尻尾の部分に蛇の頭を有した魔物。鋭いかぎ爪の間の水掻きと鶏の羽の部分が魚のヒレの様になっており、水の中でも自在に泳ぐことが出来る。鋭いかぎ爪から放たれる一撃は大木をも抉り取り、蛇の牙からは巨象も死に至らしめる猛毒が滴っている。


 鶏冠蛇尾バジリスクは魔の池沼の主として、ガルシア家に代々伝わっている。一定の周期で現れ、魔の池沼に生息するその他の魔物達も殺気立ち、周囲は一気に危険度が増す厄介な存在である。


 これを討伐する事が守護職を任された各士族達の面目躍如である。ミュドーもリューザが生まれる前に、先代の当主と共に討伐経験がある。しかし、現役を退いたミュドーには荷が重く、今回は参加していない。


 それ故、今回の討伐遠征はマリィとリューザにとって初めてにして最大の試練である。


 魔の池沼は全体的にジメジメ湿っており、最奥部となると更に湿気が肌や衣服に張り付いて不快であった。池には沈水植物が疎らに生えており、池の周りを囲む様に木々も生い茂っている。


 マリィ達は最奥部へと通ずる道の草木を掻き分け、ひと際大きな池へと辿り着いた。


「―――マリィ」


 リューザがマリィに目配せをし、マリィは力強く頷いた。


 マリィは腰に差していた愛用のレイピアを引き抜いた。その鍔を人差し指と中指でVの字で握る『ルネサンス握り』をし、手の周りは曲線を描いた美しいヒルトで覆われている。


 マリィはレイピアを掲げながら小さく呪文を呟く。


「水よ!」


 すると、目の前の池の水面が揺れ、ブクブクと泡が吹き出してきた。マリィがその池の水を魔法で少々操り、鶏冠蛇尾バジリスクを引きずり出そうとしていた。


 一瞬、その表面の泡が無くなったと思ったら、突如として、巨大な水しぶきを上げながら、何かが飛び出してきた。


 マリィはその飛び出してきたモノを凝視した。ガルシア家の資料で見た通り、巨大な鶏の体と尻尾の部分に蛇の頭の魔物が悠然とこちらを見下ろしている。


「―――――鶏冠蛇尾バジリスクっ」


 マリィは小さく唸った。目の前の強敵に皆の緊張が高まる。


「私とリューザ兄さんで仕掛ける。アルベルトはマアサさんを護衛しながら、後方支援をお願い!」


 マリィは瞬時に皆へ指示を出す。各々頷き、マリィへ続いた。


「流水剣技・水刃!」


 マリィはレイピアを数回振るい、水属性の斬撃を放った。その斬撃の後ろに隠れる様にしてリューザが鶏冠蛇尾バジリスクへ駆けた。


 鶏冠蛇尾バジリスクは水刃が自身に向かってくるのを確認し、すぐさま回し蹴りを放ち、水の斬撃を相殺した。


 弾かれた水の影からリューザが両手で王鶏冠おうけいかんのロングソードを隙だらけの鶏冠蛇尾バジリスクの胴へと振り下ろした。しかし、尻尾部分の蛇の噛みつきによってリューザの攻撃は防がれた。


 リューザのその攻撃の間にマリィも鶏冠蛇尾バジリスクとの距離を詰めていた。


 マリィの視界に入った鶏冠蛇尾バジリスクはリューザへ回し蹴りを放っていた。


「流水剣技・曲流!」


 マリィはレイピアに流れる水の如きエンチャントを施し、その回し蹴りを弾いた。


 レイピアは本来刺突専用の武器で、鎧の隙間を攻撃するのを得意としている。剣身が細いため、斬撃等で使用すると折れやすく、攻撃力も乏しい。しかし、マリィの職業加護『魔法剣士』の恩恵により、水属性の魔法でその弱点を補っている。


 マリィは軽くて手に馴染み、自身の水属性魔法とも相性の良いレイピアを好んで使っている。相性の良い武器とはメリット、デメリット抜きにして、優先されやすいのだ。


 宙に浮いているリューザは体を捻り、王鶏冠おうけいかんのロングソードを掴んでいる蛇頭に重めの蹴りを食らわした。その衝撃で蛇頭は堪らず、王鶏冠おうけいかんのロングソードを離した。そのままリューザは地面へ着地した。


 追撃とばかりに、鶏冠蛇尾バジリスクは回し蹴りと蛇頭の噛みつき攻撃を同時に、マリィとリューザへ放った。


「流水剣技・止水」


 水面に一切の揺れが生じていないかの如く、マリィは微動だにしていない。寸前、鶏冠蛇尾バジリスクの回し蹴りがマリィの目の前まで迫っていた。


「武水麗!」


 マリィは回し蹴りを寸前の所で体を最小限翻し避けた。そして、避け際、水属性が付与されたレイピアで鶏冠蛇尾バジリスクの足を斬りつけた。


「ギャウッ」


 小さく悲鳴を上げた鶏冠蛇尾バジリスクの隙をリューザは見逃さなかった。この男の対応力は尋常ではなかった。


 鶏冠蛇尾バジリスクは胴体の鶏の部分と尻尾の蛇頭の部分でキッチリ司令塔が分けられている。つまり、同時に別々の行動が取れるのだ。マリィを攻撃した胴体部分とは別に蛇頭がリューザに迫っていた。

 リューザはマリィの攻撃のタイミングのギリギリまで蛇頭の噛みつきを見極め、マリィが反撃に転じたと同時に、その噛みつき攻撃を避けつつ、上空へ跳躍した。


 蛇頭は胴体とは別に行動出来るが、胴体がダメージを追えば、無意識化で反応してしまう。リューザはその隙を突き、王鶏冠おうけいかんのロングソードで蛇頭を一刀両断した。


 ズルリと蛇頭が胴部分から落ち、その断面からは大量の血が滴り落ちている。最早、尻尾部分は再起不能だ。


「流石、リューザ兄さん!」


 マリィは少し頬を緩ませ、横目でリューザを見た。リューザも横目でマリィを見た。


「さぁ、マリィ。本体部分も止めを刺すぞ!」


 リューザもマリィを鼓舞し、王鶏冠おうけいかんのロングソードの剣尖を鶏冠蛇尾バジリスクを向けた。


 鶏冠蛇尾バジリスクは尻尾を切断された事に怒り心頭で、両手のヒレ部分をバタつかせ、大いに暴れている。

 そこへ最後のダメ押しの為に、アルベルトが動いた。


「投擲術・乱心武風!」


 アルベルトが魔法で作った大量のナイフを鶏冠蛇尾バジリスク目掛けて投げた。職業加護『スカウト』も魔力を保有している。が、個人差もあるが微々たるモノだ。アルベルトは他の『スカウト』よりは比較的多く魔力を有していた。


 鶏冠蛇尾バジリスクはそのナイフを回し蹴りの乱発により、防ぎきった。しかし、その後大きな隙が生まれ、リューザとマリィの追撃に反応出来なかった。


「「はぁぁぁぁぁ」」


 リューザとマリィは同時に鶏冠蛇尾バジリスクへ飛び、クロスの形でお互い交差し、鶏冠蛇尾バジリスクの胸を深く斬りつけた。


 鶏冠蛇尾バジリスクはそのまま前のめりに倒れ、息も絶え絶えである。最後の止めの為にリューザが近づく。すると、


「まだ終わりじゃないぜ」


 その小さな呟きはマリィ達には聞こえなかった。しかし、鶏冠蛇尾バジリスクの近くにいたリューザは即、その異変に気が付いた。


 鶏冠蛇尾バジリスクに注射器の様なものが刺さっていたのだ。そして、その中身がゆっくりと鶏冠蛇尾バジリスクの体内へ入っていくのが見えた。


 嫌な予感がしたリューザは即座に鶏冠蛇尾バジリスクの頭を叩き切ろうと剣を振り下ろそうとしたが、その瞬間、鶏冠蛇尾バジリスクの体が突然眩しく輝き出した。


 リューザはその光に押される様に後ずさりし、マリィも目を開けていられなかった。ようやくその光が収まり、瞼を開けるとそこには信じられない光景が飛び込んできた。


 先ほど見ていた鶏冠蛇尾バジリスクよりも一回りも大きい鶏冠蛇尾バジリスクがそこにいた。尻尾部分は中腹辺りから三つ又に分かれ、蛇頭が三つに増えていた。鶏の鶏冠とさか部分は以前の赤色から黄色に変わって、輝いていた。


「コギャアアアアァァァァ」


 その咆哮は暴風と化し、マリィ達を襲った。


「何? どういう事?」


 この状況に困惑するマリィ。次の瞬間、リューザはとんでもない事を口にした。


「―――――王鶏冠多頭蛇バシレウスっ」


 鶏冠蛇尾バジリスクが数十年周期で魔の池沼に出現するのに対して、王鶏冠多頭蛇バシレウスは数百年に一度現れるかどうかと言った魔物達の王に値する。その強さは尋常ではなく、希代の天才であったガルシア家初代当主が討伐した記録以降、一切の出現が確認されていない。


 バシレウスとは『王の意』と言う意味があり、その黄色に輝く鶏冠とさかはまさしく王冠を被った王様そのものであった。


「いいねぇ、地獄の始まりだ!」


 何処からともなく絶望をいざなう声が聞こえた。

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