第三章 グレグラ火山

第11話 温泉の街『プベツイン』

 ヴァルガルディス王国の領土内、中央南部地域に悠然と聳え立つ大きな山が存在する。その山の名をグレーターリュドウグラ火山、通称『グレグラ火山』。


 『グレグラ火山』は活火山ではなく、死火山として人々に認識されている。過去を遡り、数百年噴火していない事から、有識者らがそう認定したからだ。


 ただ、山道には幾つか洞窟が存在し、そこに魔物が巣くっているので死火山とは言え、人々から恐怖の対象として見られている。しかし、他の地域同様に、魔物が溢れ出た記録は過去にない。


 そんな『グレグラ火山』の周りには幾つかの小さな森や、草原が広がっており、魔物の生息は確認されておらず人々が生活する上では良い環境が整っている。『グレグラ火山』の影響で土壌も良く肥えており、農作物の栽培に適している。そんな実り豊かな土地に目を付けた先人達は『グレグラ火山』の南側の麓に街を興した。


 それが温泉の街『プベツイン』である。街を興した当初、人々は温泉の事など一切念頭になかったが、街を整備する過程で運良く温泉を掘り当て、住民達は大きく街開発の路線変更をし、街を旅人や冒険者を癒す温泉街に仕立て上げた。それにより、当初の計画より人々が多く集まり、巨大な街となった。


 『グレグラ火山』の地熱で温められた天然の温泉は瞬く間に有名になり、大陸中にその存在が広まった。特にヴァルガルディス王国の南側に国境を有するヴァモカナ小国の城塞都市ツバルは距離的にも温泉の街『プベツイン』に近く、また城塞都市ツバルには冒険者を多く、魔物との戦いの疲れを癒しに訪れる者が沢山いた。


 そんな冒険者達や旅人を迎える為に、街には無数の宿屋が存在し、その多くの宿屋が温泉付きである。宿屋の備え付けの温泉は宿泊者には無料で提供されており、至福の時間を過ごす事が出来る。


 『まるひの宿』もその内の一軒である。建物は少し年季が入っているが、掃除が隅々まで行き届いている為か、外観は綺麗なものだ。その大きく開けた玄関先では藍色の割烹着に白いエプロンをした中年の女性が箒片手に掃き掃除をしている。


 そんな掃除に忙しい女性の傍に歩み寄る一つの人影があった。


「こんにちは。スプリングさん。今日も精が出るわねぇ」


「あら?こんにちは。ウォタッさん。買い出しの途中?」


 掃き掃除をしていた女性はスプリングと呼ばれ、スプリングは歩み寄ってきた女性をウィタッと呼んだ。ウィタッの手には買い物カゴが握られている。スプリングと同じく紅紫色の割烹着を着ているが、細かいデザインは違っていた。


「どう?スプリングさん。そちらの『まるひの宿』のお客さんの入りは?」


「えぇ、おかげ様で順調よ。ウィタッさんこそどうなの?」


「こっちもお客さんの入りは良いんだけど、内の旦那が腰痛をこじらせて、男手が不足して、大忙しよ!」


「あら、大変ねぇ」


 少し他人事の様に返事をするスプリングに構わず、ウォタッは旦那の愚痴を零し続ける。二人は暫し、他愛もない会話を交わした。


 一頻ひとしきり、愚痴を言い終えたウォタッが一呼吸おき、街の普通の女の様子から、神妙な面持ちに変わり再び喋り始めた。


「そういえば、知ってる?スプリングさん。最近この温泉の街『プベツイン』に不審者が出るって噂」


「えぇー? 知らないわ。そんな話」


 スプリングは手を口に当て、大げさに驚いた。


「何でもその男は全身黒ずくめで目深にフードを被っているらしいのよ」


「そうなの・・・・・・・・ でも、ウォタッさん。そんな恰好した人なんていっぱいいるわよ。特に冒険者はフードを被っている人も多し・・・・・・・・」


「そうなんだけど、その男は背中に十字の傷があるらしいのよ」


「へぇ~、でもそんなの確かめようが無いじゃないの?」


「だから、温泉宿を営んでいる私達に声が掛かったのよ。私達だったらお客さんが温泉に浸かるタイミングで確認できるでしょ?この街の外から来たなら、宿に泊まっているはずだし」


「確かにそうだけど、お客さんを疑いの目で見るのはちょっと気が引けちゃうわね」


「私も初めはそう感じたけど、何でもこの情報は冒険者ギルドから流れてきたらしいのよ。って事は魔物関係である可能性が高いのよ」


「えっ? ま、魔物? でも、人と魔物がどう結びつくのかしら?」


「それは私も分からないわ。でも、ちょっと意識してお客さんを見てくれないかしら? もし、噂が本当ならこの街が大変な事になるわ」


「わ、分かったわ。気をつける・・・・・・・・・」


 興奮して話していたスプリングとウォタッがその噂を話終え、少し冷静さを取り戻したと同時に、不意に横にある気配に気が付いた。


「「!!??」」


 その気配の方を振り向いたスプリングとウォタッは目を見開いて驚愕した。そこには全身黒ずくめの人物が立っていたからだ。今まさに話していた噂の男の風貌にそっくりなその人物の突然の出現に二人は動悸が激しくなるのを感じた。


 しかし、すぐにスプリングとウォタッはそれが早とちりである事に気づいた。その黒い衣装を身に纏った人物は明らかに女性で、綺麗で艶やかな黒髪が腰の辺りまで伸びていた。フードも被っておらず、綺麗な顔立ちをしている。


 その黒髪の美少女は『まるひの宿』の玄関から宿屋の中を見ている。スプリングは恐る恐るその美少女に話しかけた。


「『まるひの宿』へ何か用? 宿泊したいのかしら?」


「えぇ、一人頼めるかしら」


「え、えぇ。良いわよ。案内するわ。中へどうぞ! あなた名前は?」


「ツクヨ」


「宜しく、ツクヨさん。私はスプリングね」


 スプリングが自身の紹介をすると、ツキヨを部屋へと案内した。ウォタッはスプリングとの世間話が思ったよりも長引いた事に気付いて、慌てて買い出しの続きに向かったのである。





 🔶





 爽やかな風が馬車の中を吹き抜ける。少し冷気を含んだその風はツンオク寒冷地帯に別れを告げている最中だ。馬車が進む街道はとても綺麗に整備されているとは言い難く、所々が凸凹していた。辺りには緑色の短い草が生えた草原が広がっており、大地の力強さを馬車が進むごとに大いに感じ取れる。


 温泉の街『プベツイン』へ向かっているその馬車の中には一組の男女が乗っている。男はツンオク寒冷地帯に別れを告げている気候を少し暑く感じてきて、厚手の革の外套を脱いだ。男の視線は目の前の女の手とその手に握られている何かに向けられた。


 その何かは木で出来ており、豆粒程の大きさの正方形の形をしている。各面には○が書かれており、それぞれ○の数が違う。それは賭博などに使われるサイコロと呼ばれる物だ。


 その女は二つのサイコロを右掌の中で転がし、左手を右手の下に構え、その二つのサイコロを落とした。そして今度は左掌でサイコロを転がし、右手へ落とした。一定のリズムでこの動作を繰り返す。サイコロを見つめるその女の瞳からは何を考えているか推し量れない。


(また、ノイの夢想モードか・・・・・・・・・)


 アルはノイのたまにボーっとしながら、不思議な行動を取る事を『夢想モード』と呼んだ。この状態になったノイは暫く何を言っても上の空である。故に、アルはこの状態のノイを放っておく事にしている。


 不意に馬車が揺れた。凸凹の道に少し車輪が跳ねたのである。


 その拍子にノイの掌からサイコロが零れ落ち、「あっ」と小さく声を発した。サイコロはアルの足元へ転がってきて、それを拾い上げ、ノイに手渡した。


「あれ?アル君。いつの間に外套脱いだの?」


「ついさっきだよ。本当に周りが見えてないんだね」


「ハハハ、そういえばちょっと暑くなって来たね。私も脱ごうっと!」


 ノイもアル同様に厚手の革の外套を脱いだ。中には『魔法使い』用の黒のローブを着ていた。その厚手のローブの上からでも分かる豊満な胸がひょっこり顔を出した。


「温泉の街『プベツイン』まで後どのぐらいかな?アル君?」


「あと半日ぐらいあれば着く所まで来ているはずだよ。朝出発した村からその街までは丸一日掛かるって御者の人が言ってたからね」


「へぇ~、そうなんだ。じゃ、後ちょっとだね♪」


「朝出発する時その話を俺の隣で聞いていなかったか?ノイ?」


「・・・・・・・・・ハハハハ」


 アルは少し目を細めてノイを睨む。ノイはいつもの乾いた笑いで誤魔化そうとするが、アルはまったく納得していなかった。


「温泉の街『プベツイン』に着く頃には夜になっていると思うから、今の内にゆっくりしてていいよ。冒険者ギルド寄って、宿屋探さないといけないからね」


「うん。ありがとう、アル君。所で、ロフィートの街では壊れた楯を買い直さなかったけど、次の街で買うの?」


 アルは前回の水晶巨象クリスタルゴーレムでの戦闘で愛用の革楯が壊れていたのだ。今は楯は持っておらず、鉄製の両刃剣のみ装備している。


「うん、そうだね。『グレグラ火山』は火属性の魔物がメインだから、それに合った楯を温泉の街『プベツイン』で探そうかなぁって思っている。ちょっと出費がかさむから、ゆっくり温泉ばかり浸かっていられないよ」


「えぇーーー! いいじゃん!! 私はちょっとお金に余裕あるよ?」


「俺は無いの! まぁ、霊薬とか買っていたからだけど・・・・・・・・・ じゃ、ノイはゆっくりしていればいいよ。俺は入れてくれそうな冒険者パーティーに臨時で参加するよ」


「そ、それはダメーーーー!!」


「何でだよ?」


「ダメなものは、ダメ!! し、仕方ないなあぁ。このノイ様が特別に手伝ってあげよう!」


「温泉でゆっくりするんじゃなかったのか?」


「いいの!! ―――――私はアル君とゆっくりしたいの・・・・・・・・・」


「ん? わるい。最後の方聞き取れなかった」


「とにかくいいの!!」


 馬車が進むにつれて、冷気を纏った風は鳴りを潜めていった。代わりに、風の爽やかさが増していく。その心地よい風に吹かれながら、アルとノイは新しい冒険の予感を少し感じつつ、今後の予定について話し合った。


 良くも悪くも新しい出会いが待っているであろう。


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