第一章 うっかり者と堅実

第1話 ロフィートの街

 数ある大陸の中で最大の大きさを誇る『ニル大陸』。多くの人々がそこで暮し、その大陸内には数多の国々が存在し、数えきれない程の街や村がある。


 そんなニル大陸の北東に位置するヴァルガルディス王国。王国の西側にはロールズ砂漠が広がり、東にはツンオク寒冷地帯が広がる。砂漠は熱く、酷く乾燥しており、人々が住むには適した環境とは言い難い。故に、ヴァルガルディス王国は砂漠に国境を面しているが決して領地として治めている訳ではない。加えて、そこには魔物も生息しており、それらの脅威から国を守る為にある程度の管理体制を整えているに留まっている。


 一方、ヴァルガルディス王国の中央南部にあるグレーターリュドウグラ火山、通称『グレグラ火山』を超え、東に広がるのは寒さ厳しい不毛の地ツンオク寒冷地帯。ヴァルガルディス王国の極東の国境には人間を寄せ付けない恐ろしい山々、フクロスト山脈が聳え立つ。その山脈の東から吹く北風がこのツンオク地帯を寒冷地にし、作物が育ちにくい不毛の地へと変えた。


 フクロスト山脈の東側は更に寒さ厳しい土地であり、人間が到底立ち入れるような場所ではない為、正確な情報は人々には入ってきていないが、完全なる不毛地帯であることが予想できる。


 それに比べ、ツンオク寒冷地帯はまだ比較的マシだと言える。フクロスト山脈から吹く北風に晒されてはいるが、季節と場所によっては雪が解け、暖かい時期もある。それに寒さに強い作物もあり、人々はそれらを栽培しながらこの地で生活をしている。寒さに強い種の羊も飼い、それなりの生活水準を保てている。


 そんなツンオク寒冷地帯の内の1つの街、ロフィート。フクロスト山脈に近く、1年の殆どが雪に覆われているが、人々が此処に街を興したのには理由がある。それが魔物の存在だ。


 フクロスト山脈は人を寄せ付けない環境であるが、魔物は例外である。このツンオク寒冷地帯には寒さに強い魔物が多く生息している。その為、人々はロフィートの街を魔物との闘いの最前線地にしているのである。それ故に、多くの冒険者がこの地に滞在しており、ロフィートの街はツンオク寒冷地帯ではもっとも大きな街として栄えている。


 そんなロフィートの街に冒険者が集まる瓜々亭うりうりていがある。酒場であり食事と暖を取る事ができる瓜々亭は沢山の冒険者で賑わっている。因みに、寒桑瓜かんくわうりという寒い土地でも育つ瓜がこの店の名前の由来である。故に、寒桑瓜かんくわうりを用いたメニューが豊富だ。


 その瓜々亭の中の隅の方のテーブルに腰かけて食事をする1組の男女がいる。テーブルにはこの地で育てられた羊肉と寒桑瓜とジャガイモが入った羊乳を使った暖かいスープと、西部や中央地域から仕入れている麦を粉にした物とこの地で取れる亜寒豆を一緒に練って作った豆パンがある。亜寒豆が少し灰色気味なので、その豆パンも少し灰色をしている。このツンオク寒冷地帯は当然麦の栽培は出来ず、パンの原料である麦粉も、麦から作る酒、エールも全て西部と中央地域に依存している。


 男は青年と言うよりはまだ少年と言った方がしっくり来る風貌ではあるが、革鎧をベースに人体の急所を隠すように鉄製のプレートが装着された物を着ている。女の方も少女と呼ぶべき風貌で首元とそれぞれの袖に羊の毛が施された厚手の黒を基調としたローブを着ており、テーブルには少女の物と思われる、ローブと御揃いのとんがり帽子が置かれている。


 喧騒な店内で、そのテーブルの話声が聞こえてくる。少年は何やら紙を見つめながら忙しく口を動かしている。対する少女はテーブルに頬杖を付き、右手の人差し指で一定のリズムを取っていた。


「―――イ、おい、ノイ! 聞いてるのか?」


「はっ、えっ? な、何? アル君?」


 少年は少女の事をノイと呼び、ノイは少年の事をアルと呼んだ。これがこの二人の名だ。アルは少し呆れた表情で話しを続ける。


「‥‥‥‥はぁ、明日の氷棘鼠アイスヘッジホッグ討伐依頼の詳細を説明しているんだけど、聞いてなかったの?」


「あぁ‥‥‥‥ ごめん、聞いてなかった。ハハハ‥‥‥‥」


 アルとノイは冒険者であり、明日の冒険者家業の打ち合わせをしているところであった。アルの職業が『戦士』で、ノイの職業が『魔法使い』である。


「また、店内で演奏している楽者の音楽を聴いていたの? よくこんな五月蠅い店内で聞えるよねぇ‥‥‥‥」


「ハハハ‥‥‥‥」


 アルの呆れた口調に、乾いた笑いで返すノイ。店内は他の冒険者で賑わっている。殆どの者がその日の仕事を終え、暖を取る為と疲れを癒す為に、酒場に集まり、麦酒のエールや寒冷地帯でも比較的育ちやすい芋類を蒸留したアルコール度数の高いウォッカ等を浴びる様に飲んでいた。


 殆どの冒険者達は屈強な肉体をしており、腕や太腿は丸太の様に太く、胴回りも大木を思わせる。顔立ちも皆無骨で眉毛が剛毛で太く、髭もたっぷりと蓄えている。まさに、寒い地域で生きる男達といった風貌である。


 ノイはアルに現実に引き戻され、少し眉を顰める。何故なら店で騒いでいる男冒険者は殆どの者が厚切りの羊肉をただ焼いた物を食べながら酒を呷っていたからだ。それだけなら、ノイも気にしないのだが、このツンオク寒冷地帯でも栽培できる亜寒ニンニクが大量にその羊肉に使用されているからだ。


 亜寒ニンニクは一般的なニンニクと大して差は無いが、温暖な地域では栽培出来ず、ツンオク寒冷地帯の様な寒い地域でしか栽培出来ない。主に肉料理と一緒に調理される事が多く、少し臭みのある羊肉の臭み消しとして使われ、滋養強壮に良いとも言われており、過酷な環境で仕事をしているこの地方の冒険者などに好んで食べられている。ただ、かなり独特の匂いを放っており、一部の者はそれが嫌いなのである。ノイもその内の一人である。


「うぅぅ‥‥‥‥ 臭いよぉ。 何度嗅いでもなれないよぉ‥‥‥‥ アル君は食べないでよね」


 ノイが心底嫌そうな顔でアルを見つめる。アルとしても、ノイに嫌われてまで亜寒ニンニクを食べたいとは思っていない。


(俺はこの男臭い冒険者の雰囲気に慣れたが、やっぱり女の子であるノイにはキツイのかな? まぁ、ノイの感覚が鋭敏すぎる気もするけど‥‥‥‥)


 アルはそんな事を思いながら話題を戻す。元々食事をしながら明日の討伐計画のおさらいをする予定であった。ただ、ノイの集中力が長続きしなかったのだ。


「とりあえず、明日の予定だけど。日の出と共に出発し、日の入りまでには戻る。それは今までと一緒だからいいよね? ノイ?」


「うん。こんな寒空の下で野宿なんて出来ないからね。それだけで凍え死んじゃうよ‥‥‥‥」


「次に、討伐対象の氷棘鼠アイスヘッジホッグだけど、冒険者ギルドから貰った地図によれば、ロフィートの街から北東の森に生息地が観測されたらしい。ギルドが共有している情報だから皆そこに集まると思うから、俺達はそこから少し北側に行って、探してみようと思う」


「うん。それでいいよ。私あんまりそういった計画立てるの得意じゃないし‥‥‥‥」


「‥‥‥‥だからって、任せっきりにされるのも困るんだが‥‥‥‥」


「ハハハ‥‥‥‥」


 相変わらずノイはアルの呆れ口調を乾いた笑いで返す。アルもそういったノイを諦めている部分はあるが、納得出来ない部分もあった。心情的には複雑なのである。


「それにしても、アル君。冒険者ギルドも突然大量の氷棘鼠アイスヘッジホッグ討伐依頼を出したけど、何かあったのかなぁ?」


 露骨に話題を逸らすノイに、アルは内心溜息を吐きながら答える。


「分からない。けど、氷棘鼠アイスヘッジホッグの背中にあるアイスニードルを大量に納品してほしいみたいだから西部地域の砂漠で何か大きな問題でも発生したのかもしれない‥‥‥‥」


 そう言ったアルは少し怪訝な表情を見せる。


 一部の魔物の素材は武器に転用することが出来る。氷棘鼠アイスヘッジホッグの場合、背内に大量の氷属性を宿した棘が無数に生えている。それをやじりに流用したり、鍛冶師が鉄製の剣とそのアイスニードルを加工して氷属性を付与した氷剣などを作ったりすることが出来る。これらは西部地域の砂漠に生息する多くの魔物に有用で、王都の方で常に一定の在庫が確保されている。


 しかしこの度、冒険者ギルドを通じて、大量の氷棘鼠アイスヘッジホッグのアイスニードルの納品の依頼がこのロフィートの街へと舞い込んだのだ。些細な事でも、普段と違う事が起きるという事は良くない兆しでもある。


 因みに、基本的に不毛地帯であるツンオク寒冷地帯はこう言った理由でも街を興す理由に成り得るのである。


「まぁ、氷棘鼠アイスヘッジホッグ自体は討伐経験もあるし、特に困る事も無いと思うけど、油断は禁物だからねぇ? ノイ?」


「分かっているよ! ハハハ‥‥‥‥」


「ノイは何処か抜けてる所があるから心配なんだよなぁ‥‥‥‥」


「ん? 何か言った? アル君?」


「何でもないよ」


 アルは小声でノイの事を心配するが本人には届いていなかった。二人は残りの食事を食べ終え、宿屋へと戻って行った。宿屋に戻ると、それぞれの部屋に入り、早目に就寝した。明日は朝早いのである。







 🔶







 翌日の早朝。朝日がまだフクロスト山脈に隠れている頃合い。寒さ厳しい早朝は誰しもがベッドから出たくないと言う悪魔の囁きに苛まれている。宿屋のそれぞれの部屋から出てきたアルとノイは宿屋の玄関先で合流した。


 アルは昨日と一緒で鉄製プレートが装着されて革鎧を着ており、メリノ種の羊の革で出来たブーツと外套を羽織っている。メリノ種の羊の皮は寒さに強く、保温性に優れている。また、メリノ種の羊はこの地方で放牧されている為、ロフィートの街では比較的安価で手に入れる事が出来る。頭には羊毛とそのメリノ種の羊の革を用いた帽子を被っている。


 ノイも昨日と一緒のローブにアルと一緒のメリノ種の羊の革の外套を羽織っている。メリノ種の羊の革製ブーツを履き、頭にはローブと御揃いの黒のとんがり帽子を被っているが、その裏地は羊毛で覆われており、保温性に優れている。


 アルは左腰に鞘に納めた鉄製の剣を帯刀しており、背中には革楯を背負っている。その革楯は細長くアルが少し腰を落とし屈めば肩からくるぶしまで覆い隠せる程の長さがある。


 ノイは特殊な樹木で出来た杖を背負っている。その先端にはエメラルドグリーンをした宝珠が埋め込まれており、主に風属性の魔法発動の補助を行える。


「ノイ。昨日も言ったけど、氷棘鼠アイスヘッジホッグ自体は討伐した事があるけど、今回行く場所は初めての所だからくれぐれも油断しないようにね?」


「分かってる、分かってるって! 大体、アル君に任しとけば万事オーケーなんだから!」


(頼りにされてるのは嬉しいけど、何でノイが自慢げに語るのか‥‥‥‥)


 ノイが自慢げに胸を反らして語る。厚着の上からでも分かる豊満な胸が服の形を変える。それを見たアルは心の中で嘆息する。しかし、男の性か、少し胸に目線が行ってしまう。


「さて、アル君。出発しようか?」


「そうだな、早速行くとしよう」


「よーし、ガンガン行くぞーーー!」


「目的地までは少し距離があるから体力は温存しておいてくれよ、ノイ」


 少しはしゃいでいるノイをアルは窘めつつ、二人は目的地に向かって歩を進める。

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