第40話 アルモガバルス
自軍の左側を守るべく前に出たカナは、次々と段階的に押し寄せる敵の列に感心していた。
綺麗に列を整えながらも蛮勇は捨てておらず、高らかな吠え声とともに屈強な戦士たちが激しい勢いで襲い掛かってくる。
練度と野生を同時に表しているその姿は、噂に聞いた傭兵そのものであった。
『こふふ。なるべく生かして帰すが役目か。ひとりで立ち向かえという意味ではないと思うがのう』
逃げる仲間を背に、カナが迫る敵傭兵たちの前に立つ。
進むでも引くでもなく、ただそこに立っている。
『役目、というだけではなくて。……僕はこの傭兵団の人たちを気に入っているんだ。分け隔てなく接してくれて、……その感情に良し悪しはあっても、そこに打算や悪意はないから居心地が良いんだ。ロロにも外の世界を楽しんで貰えてるようだし』
カナは想いを絞り出すように考えながら、クロの問いに答えた。
『だから、なるべく恩返しをしないとね』
思わぬカナの答えを聞き、クロが感慨深そうに頷く。
『左様か左様か。……引き付ければいいというなら、直に喰ろうて人目を引くというのも手ではある』
そして少しいたずらっぽい口調で、“作戦”を提案した。
もちろんこれはクロの冗談だ。
『ふふ。それもアリだろうけど』
『無論、後先を考えなければ、だがの』
確かに、直にかぶりつくという“食事”を行えば注目をあつめるに不足ない出来事だろう。
だが、それは果たして良い手なのだろうか。
『……でも敵はこの先にもいるから。……それと』
衝撃的な光景ではあろうが、その場しか影響のない手法であるし、殺し殺されには慣れっこの歴戦の兵には通じにくい。
戦場においては、人を喰らうものがいるということはセミナリアも言っていた。
例え種族が同じであっても、状況次第ではそれはありえることなのだと。
仮にやらざるを得ないにしても効果的なタイミングがあるはずで、今はまだその時ではないだろう。
『生は美味しくないからね』
だから、カナも冗談で答えて、小さく微笑んだ。
『こふふ。ひとまずは勢いを削げればよし、じゃな』
『僕は先頭を任されているから。後ろは他の方々にお願いしましょう』
逃走において重要なのは、当たり前ながら退路の確保である。
故に、先頭を往くものが躓き立ち止まるわけにはいかない。
この先が平穏であればカナをそこへ配置するのは戦力の無駄ということになるのだろう。
安全のための行為が往々にして無駄に思えるのは道理ではある。
事実、平穏だったときは無駄であったのだから。
だが、無駄を惜しんで危機に対処できないのであれば、それは備えを怠った愚か者でしかない。
敵がいないと思っていました、などという言う訳を敵が聞いてくれるはずもないのだ。
カナとクロの会話の合間にも敵傭兵は近づいている。
もう少しで接敵、となったところで、隊長らしき髭の男が眼を見開いて叫んだ。
「いいか、聴け! その耳で、体で! 聴け、鉄の目覚めを聴け!」
激しく武器を打ち鳴らし、“
そして一斉に、全力の疾走をもって突撃をはじめた。
俊敏に動ける軽装を主軸としたこの傭兵団は、早さと規律を兼ね備えている。
まるで蛮族の群れのようでありながら、その動きは見事に整然としたものだ。
武装も少し変わっていて、肉切り包丁のような短剣を構え、ファルカタを構え、奥には槍を構えるものまで控えている。
『……ピルム?』
クローゲンのつぶやきに質問を返す暇はなかった。
「腰抜けども、どうしたぁ? マンマのミルクでも飲みたくなったかぁ!」
「俺も飲みてえなぁ!」
「戦わずに逃げ出すのかぁ? 臆病者のガキどもよぉ!」
「お嬢さーん、遊びましょうやぁ!」
口汚く吠えながらバルダード傭兵団がなだれ込む。
ひとり立ちふさがる華奢な少女をみてもその動きに変わりはない。
むしろ舌なめずりをして勢いが強まったぐらいだ。
そう、最初の接触が起きるまでは――。
血しぶきとともに首が舞う。
同時にふたつ。
カナの正面にいた男たちが倒れ、次の首が舞う。
ころりころりと首が転がる。
その奥には静かにたたずむ美しい少女が。
そこでようやく、立ち塞がる少女の異様さに彼らが気づいた。
その一瞬のひるみに乗じてさらにみっつ。
「うんうん、左右別々に動かせると便利ですね」
などと、カナが独り言をつぶやく。
はじめてその武器を扱ったかのような口ぶりで楽しげな表情を浮かべている。
それでも勢いに任せた敵傭兵が集団で切りかかるが――。
そうした攻撃をカナは刀で受けることすらなく、タイミングを合わせた瞬時の踏み込みと、同時の斬撃により切り飛ばした。
襲い掛かったものすべてが、流れに合わせて倒れ伏す。
くるりと、まるで、舞をみているかのような美しさをもって。
派手な動きもなく、ただ静かに舞い、立ち塞がる少女に切り伏せられていく光景。
その異様な光景は、敵であるバルダード傭兵団にも衝撃を与えた。
「なんだ、あのガキ……」
「あれが噂の“金狼”か……?」
「バカ、そこの女は金髪じゃないぞ」
「異才サマの登場か……」
「オイオイオイ。こりゃあ、久々にやべえのと出会っちまったな」
思わず足を止めて口々にざわめき出す。
しかし、そうした流れを彼らは許さない。
「鳴らせ!」
一瞬の静寂のなか、先ほどの隊長格の男が高らかな声をあげる。
「鳴らせ! 鉄を鳴らせ! かまうな、突っ込め!」
そういうと、男は笛を鳴らした。
「?」
笛の合図の意味はすぐにわかった。
敵傭兵団はカナを避けながら左右に分かれる。
「おや? おやおや?」
敵の動きは明白だった。
立ちふさがるカナを強敵とみて、すぐにその後ろの獲物へと狙いを戻したのだ。
『対策もなしにカナなんぞ相手にしても被害が出るだけじゃしのう。……遊兵化させて、本来の目的に向かうが正しいな』
『それはそうだろうけど。……なるほど、さすがはベテランの傭兵団。戦いがうまい』
すべて引き付けることはかなわないにしても思った以上に敵の対応が早い。
多少は時間を稼ぐつもりだったのだが、カナの当ては外れてしまった。
「っと」
空気の動きに呼応して、カナが身体をわずかにずらす。
直後に、鋭い速度で放たれた投げ槍がカナの横を飛んでいった。
射線の元は敵後方に位置する投げ槍の部隊。
威嚇やけん制だったのだろう、すぐにその部隊も左右に走り行軍に混ざった。
『ピルムか! 懐かしい! 初撃が重い方とはのう! なかなかの牙よ、あの威力ならば鎧も盾も貫くぞ』
『ピルムって何? いやまあ何でもいいけど』
1000年も前の古代ミルディアス帝国の兵装などカナが知る由もなく。
逆に1000年の間にその槍の呼び名は変化し、ロメディア西部においてはアズコナと呼ばれていることをクローゲンが知る由もない。
『とりあえず、この威力は味方が危ないね』
即座に方針を転換し、カナがさっそく右側を抜けようとする敵傭兵団に切りかかった。
『仕方がない。右を狩りつつまた先頭に合流かな』
右側に分かれた敵が向かうのはオーリエール傭兵団の先頭側。
左側はオーリエール傭兵団の後続に向かう方角だ。
そこを担当するのは、カナではない。
「……おや」
ひとり、気になる動きをする者がカナの視界に入った。
馬に乗った敵傭兵が大きく離れて駆けていく。
「あっちは僕らが逃げるべき方角。……伝令?」
カナとの位置は大分離れている。
できることならば伝令を倒したいところではあるが……。
生憎と近辺に水場はなく、カナが扱える鬼道を行使するのは難しい。
すぐに思考に結論をだし、切りつけた敵を踏み台にして、カナが跳躍する。
急ぎ自軍の先頭へと戻るため。
『速度と位置からして僕と接触する前から駆けている。……、より後方からの作戦指示?』
『と、見るのが妥当よな。こっちが方向を少しずつ変えていることへの対応かのう。……つまりは』
『伏兵がいる。探知の範囲よりも先の位置に』
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