第39話 同業

 大気が伝える。木々が伝える。大地が伝える。

 ――世界が、感覚を伝って語りかけている。

 人にとってはほんのわずかな、されど異才にとってはそれなりのヒントをもって。


 口を開かぬまま身振りだけで転進の指揮をとり、静かに先頭を往くカナ。

 その静かな空気に溶け込んだまま、クローゲンが口を開く。

 

『カナ、方角を少し変えよ』

『うん、それが良さそうだね』


 多くは語らない。

 すでにふたりとも察知していることだからだ。

 それの内容を伝えるべく、カナが現世で声をあげる。


「前方の森に敵が伏せています。徐々に森から離れるよう撤退しますよ」


 周囲に緊張が走る。

 撤退する方向に伏兵がいるというのは言うまでもなく危機ということだ。

 一歩間違えれば致命的な惨事になりかねない。

 カナの言葉を聞き、内容に質問してきたのはイブであった。


「カナちゃん、森から大きく離れなくていいのですか?」


 イブにしては珍しくおとなしめの口調だが、普段からころころと口調も一人称も多種多様に変化するのがイブなのだから不思議はない。

 不思議しかないとも言えるが、普段のふざけた口調とは裏腹にその才能は特別なもので、錬金術師として傭兵団が扱う医療品類を作り出している。


「ええ、森からまっすぐに離れる角度で進んでしまうとアンデ侯の領地からも離れてしまいます。それでは雇用主の城の防衛に行けませんからね。敵がどこまで追ってくるかはわかりませんが、食糧もそう余裕がないと聞いています」


「街中での防衛任務の予定だったしにゃー。片道分に余裕はあっても往復分の水食糧となると不足はしゃーなし。補給部隊のみなさんはアンデの街で物資集めしてるから、戦闘役のこっちの部隊が持てる量だけだと、もれなくひもじい思いが待ってるぜぃ? ぜぃぜぃ?」


 ころりと口調を変えていつもの調子に変化したイブ。

 その行為に意味があるのかないのか、ただの口癖の範疇なのか、あるいは本人にすらわからないのか。

 もちろんカナにもわかることではなかった。


「カナ姉様、イブを食べても?」

「やめてよして触らないで、イブちゃん美味しいよ!」

「美味しいんかい。誘ってるんかい」


 呆れた声で口をはさんだのはシードワーフの美少女、マイ。

 オーリエール傭兵団の部隊長を務める実力者で、シードワーフならではの高い技術力をもつ技師でもある。


「そりゃあイブちゃんが美味しくないなんてありえないぜぃ! てか、食べるとか冗談は良くないのだぜぃ、ロロちゃんさんや。イブちゃんだから幅広く受けきれるけどなぁ!」

「ふふ、冗談です。って言ってみたかったんです。御本にありますから、そういうの」

「なあに、誤解されない程度に相手を選んでじゃれつくがいいさ若人よ! イブちゃんも若人じゃけどなぁ!」

「話が進まんからイブは放置するとして、方針はわかったぞ」


 やたらハイテンションなイブを置き、マイがこくりと頷いた。

 その空気に同調するように、ミルカが口を開く。


「……えと、この辺りを奥に行くと魔物の領域だったはずです。食糧の残量を考えてもなるべく来た道を戻るのが良いと、俺も思います」

「補足ありがとうです、ミルカ」


 と、カナにこりと微笑むと、ミルカが少し照れくさそうにうつむいた。

 この童顔で控えめな雰囲気の少年はカナ直属の部下であり、カナの弟子ともなっている。

 ミルカが元々扱っていた両手剣は荷物の片隅に眠らせて、今では新しく手に入れた刀を腰に差していた。


「ですが、イブの意見も正しくはあります。なので、タイミングを見計らって一気に離れましょう。確実とは言えませんが、敵がそこで諦めるようにしてみます。合図は僕が。連絡は……」


「それは私が」


 話を遮って、声が後ろからかけられる。

 大人しそうな雰囲気の栗色の髪の少女であった。

 優しげな顔は子供らしさを残すが身体の方は大人びている。


「おや、貴女は……、治療隊の副隊長さん」

「あー、ええと。エレニーさん、でしたか?」


 あまり面識のないカナとともに、馬の上でくつろぐロロが、少し自信なさげに口を開いた。


「覚えていてくださって嬉しいです、ロロさん。……危険は承知ですが、これでも治療隊を預かる者ですが、私などが最前線にいてもお役に立てません」


 少し考えてから、カナが頭をひとつ縦に振る。


「わかりました、エレニーさん。では後ろに下がって作戦を周知しておいてください」

「はい、カナさん。それではご武運を。……ミルくん、気を付けてね」

「は、はい。エレ姉さん。……生きて帰りましょう!」

「ええ、お互いに」


 ミルカに微笑みかけてから、エレニーが後方へと下がっていく。


「ええと、ミルカのお姉さんなのです?」

「ああ、いえ。小さなころからお世話になっていたので」


 ふむ、と一息ついて、カナはすぐに戦時の思考へと切り替えた。


 先頭となるこのあたりの位置は、実はあまり戦闘要員が多くない。

 というのも隊がそのまま逆さになって撤退する都合で、治療隊や輸送隊などの戦いに向かない部隊がこの位置にいるためだ。

 緊急時なので隊列を入れ替えている暇などないのだが、そのままでは戦力として問題がある。

 そこで最後尾の護衛を務めていたマイの部隊のほかに、後ほど合流予定のギリアンが精鋭を連れて守りにつくことになった。


「マイ、細かい指揮はよろしくですよ。僕は動き回ると思いますので」

「うむうむ、任せろ」


 カナの言葉をさえぎって、マイが静かに、しかし力強く答えた。

 独特のプレートメイルを着込み、大盾をふたつ背負いながらも、マイは軽快な足取りで先頭を走る。

 率いるのはマイリーズ隊でも精鋭のメンバー10名だ。


 こうして周囲に指示を出したところで、空気が変わった。


「……来ましたね」


 カナがつぶやいた。

 傭兵団もその空気を察したように表情を硬くする。


「ロロ、お願いできるかな」

「かしこまりました、カナ姉様」


 一方、ゆうゆうとして空気を読まない者もいた。

 歩かせている馬の背に寝転びながら本を読んでいたロロは、カナの言葉に答えて身体を起こし、ゆらりと片手を振るう。

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