38.2話

「戻りました、グランマ。森の奥から兵士がひとり、血だらけの姿で走って来ております。追っている者は見当たりませんが、森は少し……、良くない感じがしました」


 斥候に出たエルフの子が戻り、報告を行う。

 森が良くない、とあいまいな言い方になったのは、彼女自身にもわからないがどこか森がおかしいと感じたからだ。

 オーリエールは双眼鏡を取り出し、言われた方角を注視する。


「どれ……、ありゃあアンデ候の紋章だね」

「伝令でしょうか」


 セミナリアが相槌をはさむ。

 援軍の傭兵団がこの方面から来ていることを知っているアンデ侯爵が、わざわざ伝令を飛ばす理由。


「……セミナリア、フレンツ。予定変更の準備をさせな。その間に話を聞くよ、連れておいで」

「承りました、ただちに」

「やれやれ、仕方ない。食糧足りっかなぁ~?」


 それは、なんらかの作戦変更を伝えるためであろうと推測する。

 もっと言えば、予定を変更しなくてはまずいような事態が起きたのではないか、と。

 撤退戦の支援か、援軍参加地点の変更か、あるいは別方向の敵との交戦指示か。


「……ふむ」


 カナは静かに目をつむる。

 人のようにしか見えないが、カナは“魂喰鬼パンニャ”である。


「……じ、自分は、アンデ候の使いの者です。……オーリエール傭兵団の方々ですね」


「状況は、……よくないようだね」


「……はい。あえなくトゥロネの街は陥落しました。その件で侯爵閣下より連絡が……」


 近くの声を聞き流し、カナの意識は周辺へと向けられる。

 生命の気配を探して。


『……クローゲン』

『ああ、おるな。隠形か。手練れよのう』


 これは種族としての“魂喰鬼パンニャ”の特性を生命探知として応用した特殊な技術だ。

 いかに上手く隠れようとも生きている人間である限り生命の反応を隠すことは難しい。

 この特殊感覚によって、かなりの人数が森に潜んでいるとカナは察知した。


「お話の最中に失礼します、オーリエール団長。どこかの部隊らしき集団が周囲に展開していますね」


 話に割り込んだカナの話をうけて、すぐさまオーリエールが表情を変えて反応する。


「――確かだね?」

「えっ?」


 一方で、伝令の兵は驚いて後ろを振り向く。

 何の変哲もないただの森、にしか見えない。

 しかし、カナの感覚ではこの周辺だけでも百を優に超える数を認識している。


「ええ。あちらも気配を消しながら近づいていたと見えます。かなりの手練れでしょう、斥候が気づけなかったのも無理はありません」


 まだ名を聞いていない先のエルフの少女のことをカナは知らなかったが、斥候として起用されているのだからその分野には長けていると見ていいだろう。

 加えて森はエルフが得意な地、その感覚や力を普段以上に発揮できる環境だ。

 森に隠れる動物や魔物を狩ることで生きてきた種族に気づかせないのだから、相当な手練れと見るべきだろう。


「やれやれ、嫌な予感が当たったね」

「あ、あの……」


 不穏な話を聞かされた伝令の兵は血の気が引いたようにおどおどと言葉をこぼす。


「アンタ、つけられてたんだよ。援軍の場所を確定させるためにね」

「そ、そんな……、申し訳……」

「謝罪はいいからさっさと切り替えな。死にたくはないだろ? それに、相手はこっちのおおよその位置がわかっていたからこそ待ち伏せてるのさ」


 すでにトゥロネの街は陥落したと報告があった。

 ならば街を守っていたアンデ侯の軍は敗退したということになり、援軍どころの話ではない。

 そしてこの地の森に部隊が潜んでいるということは、援軍に来た者らを罠にはめる気だったのだろう。

 この地で戦う意味はすでになく、雇われた傭兵としては撤退してアンデ候からの新たな指示を仰ぐほかないのである。


「よし、すぐに動くよ。全隊反転、ド・アンデ城まで急いで撤退しな! 城までの道はわかるね? 先頭はカナ、アンタが指揮して突破させな!」

「わかりました、団長は?」


 カナが馬に乗りながら聞き返すと、オーリエールは口元と同時に眉を吊り上げて答えた。


「――殿しんがりさ」

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