35.1話

「子爵家に伝わる由緒正しき戦術の本で勉強したからね、天才なのさ。この前、闇のオークションで頑張って競り落としただけはあったよ」

(つっこみどころ多すぎだろ……。俺が口を滑らせてクビになったらどうしてくれるんだ)


 ラルジャーレの自慢なのかギャグなのかわからない話を聞かされて、副官がうんざりとしていたのは責められないことだろう。

 ひとりで勝手にしゃべっていてくれないだろうかと考えていたときに、いいタイミングで伝令の兵から変化の知らせが入った。


「閣下! 前方の奥に敵らしき集団が布陣しております!」


「おっと、いいタイミングで獲物がかかったかな。わが軍を察知するとは敵もやるではないか。だが、不運だったな! ここに私がいるということが!」

「閣下、ご指示を」


「指示も何もまずぶつからんと戦いにならんだろう」


「前進、ということでよろしいでしょうか」

「悪くはないがその言い方は少々平凡だな」

「はぁ……」

「いいかい、こう言うんだ。――我が兵よ、賽の目は微笑んだ! いまこそ川を渡れ!」


 ラルジャーレの命令が言葉のまま伝えられ、すぐに現場の者たちに行き渡る。


「川? そんなもんどこにあるんだ?」

「よくわからないな。賽の目ってなんだよ、何すればいいんだろ?」

「うかつに動くと怒られるしな。よその隊の様子をみながら、はっきりするまで待機しておけ」


 当然ながら、ラルジャーレの意図はまったくこれっぽっちも通じていなかった。

 全体が様子を伺いだしたことで、いままでやっていた前進すら止まっている。


「閣下、命令があいまいすぎたようです。兵たちは困惑してます」

「むぅぅぅ、詩を解さぬとは風情のないやつらめ」

(兵に詩や風情を求めるなよ……。普通に命令すればいいだろ……)


 副官は、言いたいことをぶちまけたくて仕方がなかった。




 少し高めになっている丘から、そうした敵の様子を眺めていたカナが不思議そうにつぶやいた。


「なんで止まったまま待機しているのでしょう……」

「馬鹿のやることはわからないね。このままやっても潰せるだろうけど、戦術に変更はなしでいいんだね?」


 あきれた顔のオーリエールに確認され、カナはすぐに頷く。


「ええ、そのままに」




 命令の意図がわからず動きが止まった自らの軍に、ラルジャーレは憤り大きな声で指示を出す。


「ええい、早く進まんか。前に、んんんん突撃だ突撃! 全軍、陣形を保ったまま交戦せよ!」

(そんなに前進って言いたくないのかよ。突撃ってだいぶ意味が違うぞ……)


 怒鳴り声で命令されたことで、兵たちは焦り、そのまま敵に突進をはじめた。

 かなり離れた距離からの全力疾走で、小高い丘を駆け登っていく彼らの姿を、カナたちは呆然と観察する。


『まだ離れておるのにいきなり突撃してきよった……。何故、唐突に蛮族みたいな戦い方に?』

『定石と全然違ってて面白い相手だよねー』

『さっきの陣形崩壊しとるし、弓兵まで弓かかえて走ってきとる……、この国はアホだらけなのかのう?』


 クローゲンのあきれ声を聞きながら、カナは楽しそうに笑った。


 一方、ラルジャーレのほうは困惑しながら、震え声で副官に質問する。


「ねえねえ、なんで全員走り出してるの?」

「突撃と命令されましたので当然かと」

「格好良く前に進めって意味でしょお?」


(なんで兵士がそんな意味不明な意図をくみ取ると思ってるんだよ……)


「それにぃ、弓兵まで突撃してどうすんのさ!」

「全軍に突撃を命じたからでは?」

「全軍に突撃とまでは言ってなかったはずだよぉ!?」


(……もうだめだ。このままだと俺まで責任問題になるし、なにより)


 なにより、副官はもう我慢の限界であった。


「……申し上げにくいのですが閣下。大切なのは現場の者がどう命令を理解するかなのです。そしてその結果が間違っていた以上、次はそれをどう修正をするかです。言った言わないの話で済むことではありません」


「絶対言ってない……言ってないのに、無能どもめ……」

「閣下、現実をみてください。ご命令を」


「ぱひゅーちゅぱーちゅぱー」

「は?」


 ラルジャーレは頭がおかしくなったような表情で、奇声を発する。

 副官が驚いて聞き返すと、すぐに正気に戻ったのか取り繕うように命令を下した。


「……あ、そ、そうだね。よし! そのまま敵を包囲せよ! 弓兵はとりあえず止まって撃て!」

(どうやってだよ、包囲するためのやり方を指示しろよ……)


 それぞれの隊がどう動くべきなのか叩きこまれていなければ、あいまいな指示で動けるものではない。

 とはいえ敵は少数であり、将軍のあいまいな命令であっても自軍の優位は動かないし、数の差で自然と包囲状態になることもあるだろう。

 そう考えて副官は戦場を見守ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る