第35話 ノワイヤの戦い・前編
西側の深い森林と隣接するノワイヤ平原。
人が住んでいないこの地を、ブルタニア侯爵の軍がひそかに行軍している。
およそ700の兵を率いるのはラルジャーレという将軍であった。
「ラルジャーレ将軍、ここを抜ければド・アンデ城はすぐでしょう」
「予想通り、敵はこの方面にはいないな」
副官がそう言うと、ラルジャーレも満足げに言葉を返す。
彼らの目的はアンデ侯爵の居城、ド・アンデ城を攻撃することであった。
現在トゥロネの街を攻めているブルタニア侯爵だが、同時にその背後にあるド・アンデ城を叩くことで補給線を断ち切り、混乱させ士気をくじいて優位にことを運ぶのが狙いだ。
「しかし、何故このような形で移動しているのでしょうか」
副官が不思議そうにつぶやくと、ラルジャーレは自慢げに答えた。
「それはね、こぉの私が戦術家だからさ」
「はぁ、そうですか」
「余所の人たちは頭が悪いから、直接殴り合うことしか考えてないんだよ。陣形なんて知らないんだ。馬上試合なんて馬鹿みたいなものが流行ってるだろ、それが証拠さ」
「勉強になります、将軍閣下」
証拠と言われても、試合の流行と戦場の陣形にどのような関係があるのか理解できなかったが、副官は余計な口を挟まないことにした。
「特別に、副官の君にだけ教えてあげようかな。この形は包囲して一方的な勝利を収めるためのもの、戦術の極意さ。馬鹿にしかわからない、ね」
(馬鹿にはわからない、の間違いでは?)
副官は心の中だけで訂正をして、その声はしまいこんだ。
ラルジャーレはブルタニア侯爵家の一族であり、子爵位を所持するれっきとした貴族である。
貴族相手に平民出身の軍人風情が余計なことを言えば職を失いかねないのだから。
「うんうん、予定通りに敵さんがいらっしゃいましたね」
そのブルタニア侯爵の軍勢を、カナたちが遠くから眺めていた。
アンデ侯爵領に向かったオーリエール傭兵団は、アンデ侯爵に雇われてさっそく戦場へと投入された。
ちょうど同時期にブルタニア侯爵が攻めてきたことで、即時雇用即時出撃となったわけだ。
ブルタニア侯爵の進行ルートはふたつ。
ひとつは川沿いに街道を通り、トゥロネの街を落としてド・アンデ城を攻めるという通常のルート。
実際にブルタニア侯爵自身が率いている軍がこのルートできているらしい。
もうひとつはアンデとブルタニアの間にある無人の地、ノワイヤ平原を通るルートだ。
アンデ侯爵から下された命令は、がら空きであるノワイヤ平原の防衛であった。
その意図は、敵がこの方面からトゥロネの街を挟撃し一気に叩き潰す可能性に対処しつつ、万が一にもド・アンデ城やアンデの街を強襲させないためである。
「それでは、族滅いっちゃいましょ~。皆殺しですよ~皆殺し」
笑顔で楽しそうに酷い命令をしだしたのは、今回はじめて指揮を執るカナであった。
聖女とは思えない単語を連呼するものだから、周囲から白い目で見られているが、当の聖女様はテンションがあがっていて気づかなかった。
「どこの極悪集団なのさ……。教育に悪いし半殺しぐらいで十分だよ。半分も殺す前に逃げるだろうけどね」
呆れ顔になりながら酷さを半分程度に抑えたのは、カナのサポートについた団長のオーリエールだ。
半分でも十分酷いのだが、そこは傭兵感覚の傭兵ギャグというやつである。
「やだ、この人たちおかしい……」
「半分なら教育に良いのでしょうか……?」
その横で、イブとミルカがついていけないという表情でふたりの上官をみつめていた。
指揮官となったカナが本隊にいるので、カナの部隊のメンバーも今回は後方配置というわけだ。
「……ん? なんです、あの縦長になりつつも真ん中だけくぼんでる陣形?」
『……鶴翼の陣、が長ーくなった感じじゃな』
『ただの縦陣がふたつ並んでるだけになってるね……』
鶴翼の陣とはクローゲンの故郷で用いられていた八陣のひとつ。
三日月のような形で両翼を敵に伸ばし、包囲するための陣形だ。
とはいえ、形が完全に崩れたこの敵の陣形だけでは、大陸でも八陣が用いられているかどうかを判断することはできない。
マイがみせた方陣のように、大陸独自の別の陣形ということもありうるのだから。
「ちょっとお目にかかったことがないねぇ、あんな伸びきった変な陣形は。……真ん中に敵を挟んで包囲したがってるんだろうけど」
しかしオーリエールがそれを否定する。
そのあきれ顔からみても、クローゲンの知識からしても、敵軍の傾向は明らかであった。
「……まだ戦い始まってないですよね? なんで行軍中からもう包囲したときの形で、しかも縦長なんですか?」
「行軍するときに伸びちゃったんだろうねぇ……」
単に戦う前から崩れた陣形であり、油断して緩みきった与しやすい敵であるということだ。
「気の早い方々ですねぇ。――さてさて、そろそろですよー皆さん!」
指揮官をつとめるカナの号令によって、オーリエール傭兵団が臨戦態勢へと移行した。
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