30.2話

「いやー、戦場手当がありがたいねぃ。お賃金さまさまだねぃ」

「いいときに祭りがあったものだな。グッドタイミングというやつだ」


 チーズを共同購入したイブとマイが商人に代金を手渡す。

 カナの分は財布を預かるロロがあわせて支払った。


 全団員にはオーリエールから戦場手当として賃金が渡されている。

 与えられた額はミルド金貨1枚とソリード銀貨50枚、これは庶民ならば一ヶ月分の生活費に相当する額である。

 心身の疲労と危険な任務に報いる報酬なので本来はもっと多額なのだが、教育上の配慮として貯蓄に回されているのだ。

 無駄に持っていれば無駄に使いやすくなるのは人の性である。


 団長からすれば金に目がくらんで団員同士で争われても困るし、金に溺れれば手柄欲しさに連携を乱すことにもなりかねない。

 逆に、これは団員にとっても利があることで、貨幣もかさ張れば重くなるし、預けておけば、無くしたり、窃盗の騒ぎも回避できる。

 信頼できる者がいるなら、預かってもらって必要なときに出してもらう方が管理が楽なのだ。


「ひとくちにチーズと言っても、色々なものがあるなー。羊乳のチーズもあるようだけど、味が違うのか?」


 周囲で売られている様々なチーズを眺めてから、マイがカナの方を向く。

 カナは頷いて、そこに解説を付け加えた。


山羊乳シェーブルチーズは結構癖が強いですね。人によって好みがわかれるところと聞きます。その中ではあの小さなリンゴみたいな形のものはマイルドで食べやすいです。このあたり限定のチーズですよ」


「つまり特産品ですかねー? 売れちゃう? 交易品になっちゃう?」

「熟成の短いフレッシュなものなので難しいですね。持ち運ぶ間にダメになると思います。持ち運ぶならしっかり熟成させたハードタイプがいいと、交易の本に書いてありました」


「凄いねカナちゃん、交易の本まで読んでるんだー?」


 思わぬ回答に驚いたのか、イブがまともな口調でカナを見る。


「カナ姉様は船や交易などの御本がお好みなのです」

「お好みなのですよー」


 そういってカナはロロと目をあわせ、ニコリと微笑み合う。

 共に読んだ本の思い出を頭に浮かべながら。



 のんびりした散策を続け、次はどの店に行こうかと辺りを探しているとき。


「ん、なんだあのおっさん? 空をみつめたまま歩いてるぞ」


 ふと、マイの視界が不思議な人物をとらえた。

 知識人らしい恰好をした髭の男性だ。


「第一の詩が時を告げる。はじまりが始まりを告げる。――これなるは制約と自由の物語」


 なにやらぶつぶつとよくわからないことを言いながら、その髭の男性が向かってくる。

 誰に言うでもなく、空をみつめながら。


「酔っ払ってるんですかのー。ってなんかこっち来てる来てる」


 イブがそういって指さした男性は、カナの知る者であった。


「おや、あれはノートル先生じゃないですか」

「カナちゃんのお知り合い?」


「一方的にお告げみたいなことを叫んでいただけでしたので。知り合いかというと、どうなんでしょう? 話しかけたことは無視されましたし」

「ははっ、なんじゃそら」


 マイが短く笑う。


「占星術師で詩人らしいですよ。良く知りませんけど有名だとか聞きました」

「へー、じゃあ占いとか詩を考えているから空をみつめてるとかかにゃ?」


 カナとイブがそんなことを話していると――。


「セ・ボン!」


 突然、視線をカナたちの方へ動かし、短く叫ぶ。


「うわ、こっち見たっすよ」

「目力強いな……」


 当人を前にして、とくに隠すことなくイブとマイが口にした。

 わりと失礼な言い草な気がする。


「おおお! おおお!」


「なんか叫び出したっすよ。ありがたそうなお告げでもくるのか……!? 何かが滅亡しちゃうかっ!?」


 おちょくってるのか楽しんでいるのか、変なノリでノートルの反応を伺うイブ。

 少しの間をあけて、ノートルの口から宣託が下った。


「果実に砂糖が蕩けしとき、美味なるジャムが降臨するであろう!」


 思いもよらなすぎる宣託に、一同の動きが止まる。


「……果実、ジャム?」

「ええと、どういうお告げなんでしょう……?」


 イブとカナが顔を合わせて不思議がっていると、ノートルが懐から紙を取り出してサラサラと何かを書き、それをカナに手渡した。


「私に、ですか? えーとこれは……」

「レシピじゃん!」


 その内容を一目見て、イブが叫んだ。


「これ、ジャムのレシピじゃん!」


 繰り返されたイブの言葉の通り、そこに書かれていた内容は、まったくもってジャムのレシピであった。


「やたら分量が細かいな、大雑把な言い方だったくせに」

「何故、ここでジャムのレシピを……? ロロにはさっぱりわかりません」

「そういえば、料理研究家でもあるんでしたっけ……」


 カナはノートルの肩書を思い出す。

 占星術師にして詩人、そして料理研究家――。

 確かにそう紹介された覚えがある。

 つまり裏になにかないのであれば、ただレシピを渡してくれただけ、なのかもしれない。


「イブに匹敵する変人っぷりでは?」

「いや、ロロさんや。さすがの私もホンモノと一緒にされると困るっすねぇ……」


 本人の目の前でロロとイブが失礼なことを言い合っている。


「……えと、ありがとうございます。美味しいジャムを作って食べてみますね」


 とりあえず予期せぬプレゼントに、お礼を言うカナ。

 せっかくだから作ってロロと食べるのも悪くない。

 その言葉に反応するように、ノートルは満面の笑みを浮かべる。


「セ・シ・ボン!」


 そして、ノートルは再び歩き出し、カナたちの横を過ぎ去っていく。

 彼の中に浮かぶものを言い残して。


「おおお! おおお!」


 叫ぶ。


「第一の詩は史へと変わり、第二の詩が待ち受けるであろう。――これなるは盟約と白き血の物語」


 叫ぶ、叫ぶ。

 詩を叫ぶ。


 内なる天命に導かれ、外なる天啓に導かれ。


「詩が史へと変わるとき、人の世もまた――」


 やがて、小さきつぶやきとなって、声とともに消え去るように。

 異質な予言者は世俗へと溶け込んでいった。


「……なんだったんすか、あの人?」

「……さぁ?」


 イブとカナは首を傾げ、そのまま日常へと帰っていく。

 とりあえずジャムを作ってみようと、レシピの材料を買うことにして。

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