30.1話

「ガルフリートは国全体としてチーズ好きな印象ですね。イブの言うように色んな修道院でそれぞれ個性的なチーズを作っていたりしますし。歴史的にいえば、ガルフリート建国以前から、“鉄槌王”マルディンがチーズを作らせていた村などもあるそうですよ。そちらで売っているブリーチーズが好物だったとか」


 馬車に乗りながらとはいえ、4人の中でもっともガルフリート内を巡ってきたのはカナである。

 読書好きということもあって妙なことには詳しいのだ。

 その意見に感心したような表情で、マイが何気なく質問を口にする。


「ほほう、そうなのか。……カナたちの故郷も?」


 その質問に、カナは一瞬悩んだように眉を動かして、手を軽く振った。


「あー、アリエーナ領は例外ですね。ほら、僕らの故郷はちょっと特殊でして。でも、好み次第というか、食べる人は食べますし、うちの伯爵邸でもときどき食べてましたよ」

「どっちかってーと肉メインで食べてそうよね。もう種類問わずにぺろりんちょと」

「それも個人差がありますね。そもそも、普通の人間も結構住んでますし」


 イブが冗談気味に口にして、カナもその意を察してぼかした答えを返した。

 街中を歩きながら話しているので、鬼だの魔族だのといった特定ワードに配慮した会話になっているわけだ。


「よーし、そいじゃあチーズでも食べる? ぺろっといっちゃう?」

「いっちゃいましょー」


 イブの声にあわせて、皆が手に取ったのはブリーチーズ。

 かつては一部の村で作られていたものだが、今やあちこちで作られ商会規模での生産や販売もされているという、大人気商品だ。


 支払いを済ませ、一切れのブリーチーズを口にする。

 白カビをまとう外側を歯で突き破ると、クリーミーでトロっとしたものが広がっていき、癖の少ない、それでいて濃厚なうま味にカナたちは目を輝かせた。


「ウマーい! これ気に入ったぞ!」

「至福っすねぇー、デリシャスっすねぇー」


「良い出来ですね、カナ姉様。伯爵邸で出されていても遜色ないものです」

「うん、凄く美味しい。丸ごと一個買って、あとで食べましょうか」


 満場一致の高評価。

 もちろんカナも満足したので、円形状の切っていない状態のブリーチーズを買おうとすると――。


「私も金出すから分けてくれ。みんなで買おう」

「いいっすねぇ、アタクシものらせて頂きましょうっすねぇ!」


 マイとイブも喜んで共同購入を申し出た。


「ええ、もちろん。みんなで一緒に食べたり買ったり。なんだか、楽しいですね」


 こういう日常はカナにとってはじめての体験だ。

 これまでは伯爵邸で過ごすか、聖女として派遣されるか、ぐらいにしか変化がなく、派遣先で買い物をするときもカナひとりであったのだ。

 友人と遊びに行くこともなければ誰かと買い物を楽しむこともなかった。

 ただひとりの“同居人”を除いては。


『うーむ。こういうとき仲間に入れんのが、ちと寂しいのぅ』

『あー、そうだよね。何かいい方法があれば……。うーん、何かありそうだけどなー。あるかなー』


 ぽつりとこぼされたクロの言葉がカナに響く。

 そこで、寂しがるクロに何かできないかと、カナも考えを巡らせてみたが……。


『……どうにもならないのでは』


 結論はこうだった。

 たしかに、カナは様々な記憶を継承してはいる。

 武技だけではなく、その中には鬼道などの術もあるわけだ。

 それらを使えば、クロの望みをかなえる手段もあるのかもしれない。

 だが、それは万全に使えればの話だ。


 カナの属性は水である。

 術は武技と違い、生まれ持っての属性に縛られていて、それ以外の属性を扱うことは難しい。

 これは魔術や精霊術のみならず、鬼道においても同じことなのだ。

 だから、例え記憶の中にそうした術が埋もれていても、カナの属性と異なるものは使えない。

 水を使ってそこから変異させるという、属性の変換のような裏技もなくはないが、それはすこぶる効率が悪いもので、疑似的な日常生活を維持するには無理がありすぎる。


『よい。わかっておる』


 当然、そうした事実はクロの方でも把握しているわけで、あきらめの言葉は自然なものであった。


『現状ではちぃと難しいのぅ。……簡単に動く手頃な身体が落ちとらんかな』

『死体があっても操れないでしょ。……僕、死霊術師ネクロマンディスじゃないんだよ』

『いや死体じゃのうてな。そんな腐りゆくナマモノは遠慮したいのぅ……』


『……ごめんね、僕が不甲斐ないばかりに。何か手があればいいんだけど』

『何。こうして、当世を楽しめるだけでもありがたいというものよ。ほれ、もっと見せるがよい』


 そう言ったクロに、カナは苦笑してから意識を現実に戻した。

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