前日譚3.4話

「厩舎がお似合いなのはあなたです。豚と比べるのもおこがましい程度の知性しか持ち合わせていないのでしょうけれど」

「ええ、まったくその通りです。豚にも劣る汚物がロロに話しかけないで下さい。……息が臭いですから」


 カナに合わせてロロもさらなる追撃をいれていく。

 まさに王を王とも思わぬ罵倒。

 王どころか人としてすら扱われていない。


「お、お、王に向かってなんという暴言……!」


「何が王ですか。自慢する物が権力しかない脂肪の塊に人心を惹きつける力があるとでも? 誰にも好かれないお飾りの豚もどきが王を名乗るなど滑稽ですね」

「う、う、う、う、うるさいっ、……うるさいっ! 黙れっ! 余は、余はっ!」


 カナの言葉に癇癪をおこした王が周囲の物を投げ散らかす。

 偶然にもカナの髪のあたりを通り過ぎた花瓶が宙で割れるが、それでもカナには水一滴すらかからない。


 先ほどの光景がカナの中で蘇る。

 当たらなかったとはいえ、この豚はロロを攻撃したのだ。

 そう考えると、カナの心に少しだけ怒りが芽生えた。


「これ以上、愚劣な行いをするならば――」


 ――目が。

 カナの目が、ほんの少しだけ、赤い光を帯びる。


 その目を見た瞬間に、激情にかられようとしていた王の身体が本能的な恐怖に囚われた。

 生まれてからずっとぬるま湯につかっていた王がはじめて知る、自身に向けられた鋭い殺気。

 底知れぬモノを秘めたその目、殺意のこもったカナの目に、王はガタガタと震えだす。


「――殺しますよ」


 実際のところ、これらは半分ぐらいは演技である。

 ほんの少しだけ、ロロのことを考えて殺意が混ざったのだが、うん、ほんの少しだけなのだ。


『ふぅ、あとは王が言い返してお役目終了! さあ、頑張れ王、やればできる豚!』

『……やれるのかのう、豚が』


 根本的に間違っていることに気付かず、心の中でガッツポーズをしたカナ。


 もちろん、周囲の反応はまったく違うものであった。

 王に暴言を吐くどころか脅迫のような言動をみせたことに驚き、静まり返ってしまっている。


 貴族たちの目も、使用人たちの目も、ゼナー教の聖職者たちの目も、宣伝役として呼ばれた吟遊詩人たちの目も、パーティーへの参加を許された騎士たちの目も。

 あらゆる目が、あらゆる者たちが、予想もしなかった事態に驚きを隠せない。


 これまでの緊迫感と、なによりも一瞬だけこぼれた言い知れぬナニカが、周囲で見守る人々にまとわりつく。


 当然、渦中の者はその比ではなく――。


「ひぃぃぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃー!」


 考えもしなかった死、想像すらしなかった死の予感。

 生物としての根源的な恐怖。

 恐れのままに、生存本能のままに、王は肥え太った腹を躍らせながら慌てて逃亡した。

 あたりのものに構わずぶつかり、転びながらもあわてて逃げた。


 静まり返った会場に、静かなささやきが舞い戻る。

 ざわざわと、王の逃げ出した先や、カナの下に視線が集まる。


 ……困った、どうしよう。


「……あの。悪役を演じて、それを論破してもらうことで王様が尊敬を集めるようにと計らったのですが、……この場合どうしたらいいのでしょう?」


 予想外の事態に、カナは思わず周囲に助言を求めて、指をほほにつけて首をかしげる。

 話をふられても答えようもないのだが、重すぎる空気を中和しようと周囲の貴族たちはその場を取り繕いだした。


「な、なあんだ、そうでしたか。……はは、ははは」

「せ、聖女様ったら演技派でいらっしゃるわね……?」

「悪役、というのでしょうか、あれは……」

「あれは、まさか……、悪魔?」

「あはは! あははは! ねぇ、見た見た?」

「驚きましたね、“店主”殿。このようなところで拝見できるとは」


 反応は様々に。

 それぞれの立場によって色々に。

 ――もちろん、この人も。


「お、おのれ……っ」


 歯ぎしりを立てて怒りに身体を震わせるのはパーティーの主催、宰相であるピエール・ド・ギールである。

 現王ルイシャルル8世を支持して権勢をふるっていた宰相にとって、この事態が面白いわけがない。

 当然その怒りの矛先は、向けられるべき者へと向けられる。


「……伯爵。まさか、これだけのことをしでかしてただで済むとは思っておるまいな。……あとで後悔しても遅いぞ」

「はてさて、何のことやら。こたびはお誘いいただきありがとうございます。大変楽しませていただきましたよ、宰相殿」


 怒りの表情を向ける宰相に、セタは涼しい顔で口元を歪めた。

 その対立の図は貴族たちの目にもとまり、とある決断をもたらすことになるのである。

 離れた位置で漏らされたその会話を聞き取り、カナは自身が大失敗したことを否応なしに理解したのであった。

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