序章

第1話 追放の旅は夢と共に

 聖女カナは追放となった。

 追放処分を下したのは、カナの兄でありアリエーナ伯爵でもある、セタ・ラルウァ・クラブ。

 なぜならば、妹のカナとロロが危険な立場にあったからだ。


 ガルフリート王国で宰相のパーティーに参加したカナであったが、その結果として王に狙われることになってしまう。

 王の不興を買ったと言うべきか、王に喧嘩を売ったと言うべきか、あるいは王を脅したと言うべきか――。

 とにかく、そのままアリエーナ伯爵領に置いておくことができなくなったのだ。


 銀髪の美少女カナ・レギナ・クラブ。

 聖女と呼ばれし者の旅立ちのときであった。



 追放を命じられたカナは、すぐに出立の準備を終わらせて暮らしていた館をあとにした。

 旅装束に身を包みリュックを背負いつつ、聖女として持ち歩いていた杖を携えて。


 執事のジェロに兄のことを頼んで別れを告げたときに、兄からの餞別として金貨を渡された。

 袋の中の金貨は新しい生活をはじめるまでのあいだ、十分にしのげる程度には入っている。


 カナは思い出深きクラブ本家の館――アリエーナ伯爵邸を振りかえり、別れの挨拶として頭を下げた。

 何年も過ごしたアリエーナ伯爵邸での思い出が頭にあふれるが、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 朝の日差しはあいにくと曇り空に遮られ、まるでカナの心を表しているかのようであった。

 ……よくみれば伯爵邸からは狼煙のような煙が立ち昇っているが、カナに心当たりはない。

 兄なりの別れのあいさつなのか、あるいは――。


「さ、行こうか、ロロ」

「はい、カナ姉様」


 ほんの少しだけ笑みを浮かべ、ロロは返事をした。


 ロロ・レギナ・クラブは儚げで繊細な金髪をした小さな女の子である。

 いつも静かで気だるそうな目をしており、少々面倒臭がりだがその能力は高く、才にうるさい兄のもとでも会計を任されていたほどだ。

 数字に強いので、カナも先程貰った資金を預けてある。


 一方で、人見知りが激しく、兄妹以外とはほとんど事務的な会話のみであった。

 それは優しい親戚であっても同じで、若くして伯爵を引き継いだ兄をサポートしているエドワール叔父さんにも懐かなかった。

 普段から生活を共にしている執事やメイドでも必要最低限にしか接していないほどだ。

 唯一、友人のように話せていたのはアイリンに対してだけであった。


(セタ兄様とのお別れは寂しい。けれど、ロロのためにもクヨクヨしてられない。これからは僕しかいないんだ)


 と意識をチェンジしたカナは明るく振る舞おうと、ロロににっこり微笑んで、ポジティブな話題に切り替える。


「自由な旅かぁ~、楽しみだね」

「姉様は何がしたいですか?」


「ロロが楽しめるようにしたい」

「……それ以外では?」


「ロロが幸せに暮らせるようにしたい」

「いえ、ロロのことではなく」


「ロロがだらけず立派になれるように、とか?」

「姉様、うざいです」


「がーん!」


 何かを間違えたらしく、妹にうざいと言われたカナはしょんぼりと落ち込んだ。


「ロロのことではなく姉様のやりたいことです。姉様は夢も希望もロロに支配された子なんですか」

「僕のやりたいこと、か。うーん、そうだなぁ。変化、かな」

「変化、ですか?」


「うん。色々な体験っていうか、色々なものを見たいんだ。同じもの、同じこと、同じ内容じゃつまらない。楽しいことでも飽きちゃうからね」

「……たしかに、私たちはずっとこの地におりましたからね。――ええ。立派な目的だと、ロロは感心致します」


「できることなら船が欲しい。航海をして色々な所に行ってみたいな。ロロと一緒に、色んな所を見てみたい」

「そういえば、昔から船や海の話がお好きでしたね」


「僕らの住んでいた所が山地だからかな。移動も制限されていたしね」

「良いですね、私も賛成ですよ。船、最高じゃないですか。歩かなくていいというのが特に」


「ロロはもうちょっと運動しようよ」

「姉様、うざいです」


「うう……」


 悲しみに暮れ、うなだれるカナ。

 日に二度うざいと言われてしまったショックで、カナはその場にしゃがみこんだ。


「……うざくないです。姉様、うざくないです」


 うざくない、とはロロがかまってほしいときの合図だが、今回の場合は言い過ぎたと思ってカナをなぐさめている言葉だ。

 独特の妙な言い回しは照れ隠しを超えて、もはや日常単語となっている。



 そしてもうひとり。

 旅の仲間には、カナの“中”に宿るモノもいる。


『いつまで馬鹿なことをやっておるんじゃ』

『クロ、どうしたの? 一緒にロロを可愛がる?』


 頭の中の“同居人”、クローゲン。

 金銀黒の髪色がそれぞれに分かれた幻想的な姿の少女。

 古びた言葉を操り、カナの中の暮らしを楽しむモノ。

 カナが継承者である証であり、聖女として活動することになったきっかけの存在でもある。


『たわけ。お主も本当は気付いておるじゃろ。――敵じゃ』


 そうクローゲンに指摘された通り、カナはすでに東の方角から複数の気配を察知していた。

 せっかくの妹との安らぎのひとときを邪魔されて、ため息をつく。


 小さく、やがて大きく。

 馬蹄が地面を叩きつける音が重ね重なり、響き渡る。

 整然と鳴らされる軍の音、ただならぬ舞台へと変わった異変の音。

 山林の陰からカナの視界へと、次々に鎧姿の騎兵隊が姿を現した。

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