第36話 愚かな選択
時計の針が深夜十二時を回って、やっと俺は帰って来た。
玄関の鍵は外れており、ドアは難なく開く。
戸締りをして、リビングへ行くとテーブルに伏して果歩と、萌亜が眠っていた。
すでに風呂に入ったらしく、寝巻の上から暖かそうなダウンを羽織っている。
「萌亜? 果歩?」
二人の肩に手をかけて、そっと揺り起こす。
寝足りなさそうな表情を見せる二人に俺はそっと――
「ただいま」
と、一言だけ伝えた。
瞬間、萌亜が弾かれた様に立ち上がって、俺に抱き着いた。
「優斗ぉ!」
鼻孔をくすぐるシャンプーの香り――
「ごめん、心配かけた」
彼女の勢いに倒れそうになったが、ぐっと踏ん張った。
その甲斐あって彼女を支え切る。
目を擦る果歩にも手招きをすると、果歩も俺に身を預けた。
両手に花の状態で――
「ただいま!」
「「おかえりなさい」」
「父さんと、母さんは寝た?」
「うん。一時間ほど前に寝室へ行ったよ」
尋ねる俺に、果歩が応えた。
「じゃあ、俺たちは二階へ行こうか」
「「うん」」
同じように頷く二人。
現在、我が家の二階は、果歩、萌亜、亜夢の寝室になっている。部屋に入ると、すでに亜夢は床に就いているらしく、俺たちは音を立てないように静かに席に着く。
――とは言っても、床に敷かれた布団の上だ。
先に床に就いている亜夢は俺のベッドの中で静かに寝息を立てていた。
果歩と萌亜は俺に向かう合うように陣取る。
待っていてくれた二人を前に、俺は正座をして頭を下げた。
「まず、心配かけてごめん」
「それは私が……」
割って入ろうとした萌亜を身振りで静止する。
彼女は何も悪くない。
「はっきりしなかった俺が原因だから」
「……」
きっぱりと告げると萌亜は黙った。
「それで、何の話なの?」
果歩が先を急かす。
たぶん二人とも、俺がどんな話をするのか見当がついているのだろう。
でも、態度や表情は至って普通で、俺が話しやすい環境を作ってくれていた。
最初に果歩へ向き直る。
「果歩、遅くなってごめん。大好きだよ」
「もう、何度も聞いたよ。また、優くんの気持ちを聞けて嬉しいよ」
次に、萌亜の番だ。
優しく抱き寄せて、ゆっくり話す。
「待たせてごめん。ずっと伝えたかった。萌亜の気持ちはパーティが終わったあたりから気付いていた。でも、果歩もいるし、身分差だってある。こんな中途半端な気持ちで、俺が自分の気持ちを伝えて良い筈がないって思っていたんだ。ずっと気持ちを抑えていた。これ以上、好意を寄せられないために雑に扱ったこともあった。少し距離を取った方が良いと思った時もある――でも、ごめん」
「そんなこと…… ぜんぜん、です」
萌亜の目が真っ直ぐ俺を射抜く。
「待たせてごめん。萌亜、大好きだ。立場もあるだろうし、振ってくれて構わない」
「優斗、馬鹿なことを言っていると再教育施設へ送りますよ? でも、やっと聞けた…… 私も大好きです」
抱き着く力が強くなった。
それに応えるように俺も、彼女を抱く腕の力を強めた。
「ごめん、気付いたら俺は二人を同時に好きになっていた。どっちが上とかしたとか区別できない。二人とも男性にとって夢のような女性なのに、クズな俺でごめんなさい」
抱き着いている萌亜から身を離して、額を床にこすりつけた。
だが――
「駄目だよ、優くん。私達はそんな言葉が聞きたいんじゃない。どうしたいのか、それだけ言って!」
「私も、優斗がどうしたいか知りたいです」
二人の言葉が胸に刺さる。
普通、今案事を言えば誰だって感情的になるだろう。
なのに二人は俺を責めようとしない。
「うん…… むにゃむにゃ……」
ベッドで寝ている亜夢が寝返りを打つ。
俺はベッドを一瞥し、亜夢が起きていないのを確認した。
「俺の気持ちは…… 別れたくない。
人として、何かが終わったような気がした。
結局、俺がしたことは唯奈が俺にしたことと変わりない。
どうしようもない行動だ。
――と、果歩が口を開く。
「優くん、児童養護施設育ちの私はちょっと変なんだよ? 皆で、家族でわちゃわちゃしているのが好き。だから、今の生活がとても幸せだよ? 優くんがいて、萌亜ちゃんがいて―― もう、私は優くんと家族のつもりだよ」
果歩は待っていたかのように抱き着き唇を重ねてきた。
「あ……」
瞬間、萌亜が小さく声を上げた。
そして、一拍置くと萌亜が口を開いた。
「優斗、私の家はあれだから…… そもそも恋愛なんて諦めていました。苦しくて、悔しくて、もどかしくて、果歩お姉さまのような素敵な人も近くにいるし、頑張っていたけど、いだって敗北感いっぱいで…… でもそれが恋愛なんですよね? 私にも、恋愛できたのです。」
萌亜頬を一筋の涙が伝う。
「今日ね、一年生の教室で占いを聞かされた時、はじめはインチキだって思って笑っちゃいました。でも、優斗と上手く行かないって言われてパニックになっちゃって…… うぅ……」
「……怖かったんだな?」
言葉を切った萌亜に声を掛けた。
それに押されたのか、再び彼女は話し始めた。
「うん。宝物だった優斗からの手紙も、貰ったハンカチも捨てさせられた時、私と優斗を繋いでいる物が無くなった気がしたのです」
ちょっと待って――
知らなかったぞ。
そのハンカチは、汚れた奴だよね?
てっきり捨てたものだと思ってた。
「逃げ出した後、女子トイレで冷静に考えたんです。優斗の物が欲しければ、優斗ごと手に入れちゃえって。優斗も、果歩お姉さまも、皆まとめて……」
女子トイレにいたんじゃ見つかる訳がないか……
「うぇ?」
てか、ちょっと引いた。
『ここでそういうこと言っちゃうの?』とも思った。
怖いけどもう少し聞いてみよう……
「だって、私の家なら…… それが可能なんですもの。法律も常識も関係ない。私は上級国民ですから…… 優斗も好き、果歩お姉さまも好き…… 一緒に言いたいのです。もっと教えて欲しいのです。だから優斗を許します。」
彼女たちの気持ちに俺は泣きそうになった。
もったいない位の人たちだ。
「――とはいえ、一番は決めねばなりません」
「萌亜ちゃん、一番って?」
「いわゆる、本妻です。いざと言う時、妻たちは本妻の元へ集まって夫を盛り立てるのです」
順調に進んだ話が変な方向へ動き出した。
さすがは、上級国民――
一般庶民より少しでも高い位置に立ちたいという本能だろうか。
「それなら、萌亜ちゃんで良いよ?」
「では、婚姻届けは優斗と私が提出するという事で……」
「待って! 書類が絡むなら話は別かな」
果歩はパジャマの中に手を突っ込むと、一枚の紙を取り出した。
(おい、何をどこに入れている?)
それは俺の両親によって署名、捺印された婚姻届けだった。
「ここに私と優斗さんが署名捺印して、来年の誕生日に提出すればゲームセット?」
「くっ!―― でしたら、尚更一番を決めないといけません」
強引に話を
さすがの果歩も、このパワープレイには苦笑した。
(良いのか?)
ここは主として意見を言おう。
「もう勝負ついていない?」
「明日、学校へ行けばお休みです。早速、皆でお母さまに相談しに行きしょう?」
意見がスルーされた。
もう、俺には頷く以外の選択肢が残されていないのか。
でもありがとう、果歩、萌亜――
「あ、大変。待って!」
話が纏まりかけた時、果歩が口を開いた。
「だったら、彼女にも連絡しない?」
「「彼女?」」
俺と萌亜の言葉が重なる。
直後、嫌な予感が襲ってきて、俺は身体を震わせた。
「うん、唯奈ちゃんも!」
「……!」
無邪気で良いな……
ただ、最低野郎の俺に反論する余地はない。
果歩はスマホに指を滑らせると――
「メッセージ送っておいたよ」
そう言って微笑んだ。
(おい、なんで果歩が連絡先を知っている?)
本音を言えば、唯奈のことはずっと奥歯に挟まった小骨の様に引っ掛かっていたんだよな。
皆にはクズだの汚物だの中古だの言われるから黙っていたけど……
――でもそうか、果歩にはお見通しだったんだな。
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