第30話 閑話-黒鳥ユイ
車に乗せられてやってきたのは、郊外にあるしなびたビルの前だった。
建物を見上げると、カイザーミュージックと書かれた看板が掲げられている。
「いやー、手荒なことして済まなかったね。君のような逸材を見つけたのは初めてでさ。可愛いだけじゃない。若いのに妙に女の色気がある。俺は『君だ!』って思ったね!」
「……」
駅前で声を掛けて来た男性が謝罪した。
落ち着いて耳を傾ければ、乱暴するように思えなくなってきた。それより、熱のこもった口調で私に声を掛けた理由をまくしたてている。
未だに恐怖を感じさせるのはその装い。
着崩したスーツに、色付き眼鏡は反社会勢力の怖いお兄さんにしか見えない。
――あと、その色が落ちかけた金髪も。
そして現在――
恐怖は去ったが、逆に呆気に取られる状況だ。
そもそも、人を
「嘘は言ってないんだよなぁ」
困ったような目を向けて、ついて来いと身振りする。
返事をせずについて行くと、ビルの三階まで階段で登らされた。
三階には真っ直ぐな廊下があり、いくつか扉が並んでいる。
男はその中でもドン突きにあるドアの前で足を止めた。
「ちょっと待っててくれ。代表に会わせたい」
男が鉄製の扉をノックすると、中年位の女性の声で――
「どうぞ」
と、返事があった。
男がドアを開けて中へ入る。
廊下に私を残したままで、逃げようと思えばいくらでも逃げられる。
でもしなかった。
理由は分からないが、これは試されていると思ったからだ。
暫く待たされ、入れとジャスチャ―で指示を出す。
抵抗はあったが、言われるまま中へ入ることにした。
中には聴こえて来た声の印象通りの中年女性がデスクに着いていた。
「貴女が、ヒロの見つけてきた子?」
そう言われて首を傾げていると、後ろから声した。
「やあ、マム。駅前で飛びっきりの原石を見つけやしてね。思わず攫って来ちまった。その子には何も説明していないから何も知らないと思う」
ヒロなる男性は悪びれずに説明をするが――
「いい加減になさい! 全く貴方って人はチンピラだったころの癖が未だに抜けないのね!」
中年の女性は、私が見ている前で彼を叱りつけた。
そして、気が済むと今度は私の番になった、
「私は黒鳥雫、これでも昔は歌手をやっていた者よ。そして、そっちの男はヒロ。家の者が驚かせてごめんなさい。あんな成りでも、結構役に立つ男なのよ。そして腕も立つ―― それで貴方は?」
「わ、私は西島唯奈。高校二年生よ」
その女性、黒鳥さんはジロッと私の顔を見ると、いつ買ったか分からない様な缶コーヒーを一気に飲み干した。
そこで気が付いた。
お母さんが、歌番組をよく見ているから私にも分かった。
(この人は数年前に芸能界を引退した大物だ……)
「単刀直入に言って、貴女、芸能界へ入らない? 私も一目見てピンと来たわ。貴女なら絶対に世間を魅了できる」
言い切った。
しゃべり方は普通なのに、まるでお母さんが怒った時のような迫力がある。
「わ、私が?」
拉致の恐怖から一転、信じられない話が舞い込んで来た。
「――ええ。自分の可能性を試してみない? 貴女は私自ら指導しましょう。だから、貴女は精一杯、ただ付いて来れば良い」
「結局、私に何をさせたいのですか?」
「日本中の若者を貴方の虜になさい! ひいては、芸能界の救世主になって貰いたいのです!」
話しが大きすぎる。
でも、そう言い切る黒鳥さんの目は、強い光を放っていた。
ものすごい情熱だと思う。
これまで自分の歩んだ道を振り返ると、何もかも上手くいかなかった。
優斗には距離を置かれ、家族はバラバラ。
もちろん、自分のせいでもあるが……。
だったら、思い切って環境を換えれば――
「お願いします」
心は決まった。
「宜しい。では、今ここにいた西島唯奈は死にました! 今日から生まれ変わって…… そうね、『黒鳥ユイ』と名乗りなさい!」
「はい、先生――」
これでしばらく、優斗とはお別れか……
こうして私は黒鳥ユイとして、新しい人生を歩み出したのであった。
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