第29話 愚者たち

 今日こそ自宅で猛勉強――

萌亜の訪問で出来なかった分を取り戻す大切な日だ。

なのに……


ピンポーン


玄関チャイムが鳴って、来客を知らせた。

一瞬萌亜の顔が浮かんだが、今日は誰とも約束していない。

回覧板かな、なんて放って置いたら――。


「はーい」


先日から我が家で暮らしている果歩が対応に向った。

直後――


「こんにちはー」


ドアが開く音とともに知った声がして、俺は弾かれた様に頭を上げた。

(何でだよ!)

本気でイラついた。


それもそのはず、この声は昨日、俺の勉強を台無しにした萌亜だったからだ。


「こんにちは。あれ? クラスメイトさんかな?」


初対面の果歩は通り一遍の応対。


「はい、優斗さんと勉強の約束をしておりまして」


うん、意外に萌亜も普通にやり過ごす――

ある意味、順調な滑り出しだ。

――いや、そうじゃないだろう。


「ちょっと呼んできますね」


果歩の階段を上がる音がする。

と、同時に俺の心臓も音を立てて鳴り始めた。


(何か言われるかな?)


そんな心配や、何も言ってなかったことに対する罪悪感や、いろいろな気持ちが混ざり合って居心地が悪い。


コンコンコン


「優くん、勉強中ごめんね。可愛い、お客さんが来たよ?」


扉を開けずに果歩が言う。

何だろう。

棘があるように聞こえるのは気のせいか?


「はーい」


カチャ


少しだけドアを開けて様子を伺うと、複雑な表情をした果歩が立っていた。

明らかに萌亜の訪問に困惑してる。


まあ、気持ちはは分かる。


でもね――

俺の方も困惑しているんだ。

約束してないし、彼女が来ると全然、勉強が進まなくなる。


いや、誤魔化すのは良そう。

果歩は『なにあの女?』感を醸し出しつつ無言で返事を待っている。

こういう時は下手な行動は取らない方が良い。


「ありがとう、果歩。迎えに出るから、お茶をお願いできる?」

「う、うん……」


果歩は俺に背を向けて階下へ向う。

俺もすぐに、身なりを整えて、後を追うように部屋の外に出た。


「すみません。すぐに降りてきますから――」


下階では、俺が出迎えることが伝えられ、果歩がキッチンへ行く――

俺はそのまま一階へ降りる。

玄関には、手土産が入っていると思われる袋を下げた萌亜がいた。


今日も私服で、柄物のスカートに、体にぴったりとした緑色のセーター、その上から同色のカーディガンをあしらった、アンサンブルだ。


「いらっしゃい。今日は何だっけ?」

「一緒にテスト勉強をしようと思って……」


萌亜は悪びれる様子も無く言って退ける。


「えっ? まあ、とにかく上がってよ」


俺の言葉で萌亜は、難なく我が家へ侵入を果たした。

しかも、勝手知ったる我が家、とばかりに案内なしに階段を上る。


(やれやれ……)


そう、思いつつもお世辞を一閃――


「今日も大人っぽい服じゃん」

「へへ…… 似合いますか?」

「うん」


微笑を浮かべて萌亜は俺の部屋へ入った。

躊躇ためらいすらしないのな……

そもそも、俺たちの年代の女子は、それなりに覚悟をして男子の家へ行くと聞く。


そして、部屋に入るなら尚更だ。


なのにどうだ。


このお嬢様は我が家の様に、俺の部屋へ入って行くではないか。


部屋に入った萌亜は昨日と同じように炬燵に入った。

勉強中だったため、炬燵の上には教科書やノートが散乱している。

彼女はそれを見渡し――


「勉強中だったんですか?」


いや、そのセリフはおかしいよ?

むしろ、人の家に来るお前の方が変だから……

――なんて、声に出して言える訳もなく。


「うん。やっぱり英語が心配でさ」


と、俺。


「私は数学を教わろうかと思っています」

「じゃあ、今日はどうしようか……」


思案していると――


コンコンコン


ドアをノックする音がした。


「どうぞ!」

「お話し中、ごめんね」


俺と萌亜、二人揃って息を飲んだ。

そこには学生服を着た幼馴染の唯奈が立っていたからだ。


「「えっ?」」

「来ちゃった!」


来ちゃったじゃないよ。

何なのお前は……


「ゆ、唯奈? お前どうやって家へ入ったの?」

「えっ、玄関から入って来たけど…… 普通に……」


それだけ言うと、彼女は向かい合って座る俺たちを避けて、空いている炬燵の縁へ腰を下ろした。


(なになに? なんなの?)


俺の頭は激しく混乱した。

そんな俺を脇目に、美少女二人が火花が散らし始めた。


「唯奈さん、貴女、今日学校を休んだのに何でいるのですか?」


いきなり萌亜がぶっ込んだ。


「だって……」


いつもなら威勢のいいセリフを吐く唯奈だが、なぜか今日は精彩を欠いている。

思い詰めているというか――

これまで見たことが無いような雰囲気を纏っていた。


「ここの所、いろいろあったんだよ」


寂しそうに唯奈が言う。


ふと、気付けば部屋の入り口から顔だけ出して果歩が中の様子を伺ってる。


「あ、果歩。何をしているの?」

「なんか、入り辛くって…… 入っても良い?」


俺が頷くと、恐る恐る果歩が俺の隣に腰を下ろした。

そして、持ってきた湯呑にお茶を注いで、萌亜と、唯奈の前に置いた。


「そ、粗茶ですが……」

「こ、この前は無断で家へ入って済みませんでした」


いきなり唯奈が、果歩に掌と額をしっかり畳について謝った。


「えっ? 知り合いなの?」


そう訊く俺に、果歩は首を横に振った――


「知らないけど、この子が優くんの幼馴染さんよね? 優くんには黙っていたけど、この前も上がり込んでいたんだよ?」

「「えっ?」」


俺と萌亜の声が被る。

ちょっと意味が分からない。


「優くんが気持ち悪がるかなと思って言わなかったんだけど、この子でしょ? 詳しくは知らないけど優くんに酷いことをした幼馴染って。だからね―― その時に、この子を叱り飛ばしちゃって……」


しゅんとした表情で事後報告する果歩――


だが、その対応は正しいと思う。

むしろ、よその子が我が家に自由に出入りしているのを放置している俺の両親の方が問題だ。

ただ、果歩には報告して欲しかったかな。


「じゃあ、西島さんは勝手に人の家に上がり込むような子なの? 警察に突き出しましょう?」


萌亜から過激な意見が飛んだ。

落ち着けって――


「と、とにかく相手の名前も知らずに話とかなんだから、俺から紹介するよ」


俺は膝立ちになる。


「こっちの二人が学校で同じクラスね。この不法侵入者が幼馴染の唯奈、以前、恋人だったが、俺を振って知らない土地へ放り出したした屑だ。そして、こっちのお嬢様は月島萌亜ね。彼女は因みに俺の雇い主だから……」


萌亜は雇用主と聞いて胸を張る。

一方、不法侵入者と紹介された唯奈はビクッと身体を震わせた。


「雇い主?」


果歩が不思議そうに首を傾げる。


「果歩は俺がバイトしているのを知っているよね?」

「うん」

「彼女は雇い主。細かいことは今度ね」


果歩は頷く。


「そしてこちらが、我が家に住んでいる清水果歩だ。彼女は大学二年生、俺の相談役として、この家で暮らして行くことになってる。はい、よろしくお願いします」

「「「……」」」


三人の女子が釈然としない顔で黙り込んでる。


「うん、どうかした? 質問がある子がいるのか?」

「もう、何が何だか……」


萌亜が困惑した顔で言う。

まあそうだな……


「勉強以外の用があって家に来たのは唯奈だよな?」


こくりと頷く唯奈。


「さっさと、用事を済ませろ」

「なによ! あ、ごめん…… じゃあ先に失礼しますね」


そう言って炬燵を出ると、土下座の姿勢を取った。


「まず、謝りたかった。優斗、本当にごめんなさい。貴方を裏切ったこと、約束を破ったこと、そして、京都では貴方の追放に加担したこと…… 申し訳ありませんでした」

「待って、約束って?」


果歩が訊く。


「あ、あの…… 昔付き合っていたときに、条件としてエッチはお預けって約束させていました。ついでにキスも許しませんでした、なのに私は、私は他の男子と付き合って、シて……しまいました」


俺の部屋が水を打ったように静まり返った。

が、それは少しの間――


「「許します!」」


果歩と萌亜が二人揃って謝罪を受け入れた。


(おい!)


「では、現在、優斗は……」

「はい。ノーキス、ノーセックスでフィニッシュなので、正真正銘チェリーです」


申し訳なさそうに唯奈が応える。


「むしろグッジョブよ」

「……」


果歩が日汗ひあせを流し始めた。

そうだよね。

俺のファーストキスを奪ったのは君だ。


「で、では追放の件は?」


おずおずと唯奈が訊く。


「無問題かな?」


今度は果歩が謝罪を受け入れた。


「なんで?」


萌亜が訊く。


「だって、追放されなければ私は優くんと出会わなかったから……」


すると、萌亜も膝を叩いた。


「そうですね! 追放されなけば、私は不良に連れ去れれていたかも知れません」

「「無罪―― です」ね」

「「えっ?!」」


頭がおかしくなりそうだ。

被害者は俺なのに、なぜかほかの二人がどんどん謝罪を受け入れている。

俺と唯奈は顔を合わせた。


「じゃあ、なんで優くんが怒っているの?」

「……お、俺がっ! ふ、振られたからでしょうか?」


俺は前を見れなかった。

下を向いたまま、恥ずかしさと悔しさに身をプルプルと震わせることしかできなかった。


「それは、貴方に魅力が無かったから、ですよね?」


萌亜は俺が聞きたくないことをはっきり言い切った。

まあ、そう来るだろうな。


「それで、他に言うことは無いの?」


急かすように萌亜が訊いた。


「私の親の離婚調停が終わって。引っ越すことになったんだ」

「えっ?」


ちょっと気の毒に思った。

小さい頃から知っている家庭が崩壊した報告なんて知りたくなかった。


「私って勉強嫌いだし学校をやめて、仕事に着こうかなって…… 契約書も取り交わしたし。寮もあるんだって。近く皆と接点が無くなると思うの。だから、たまに優斗と電話で話したり、できれば会っても良いかな?」


おいおいおい……


「――駄目かな。だって優斗が嫌がるから。」

「ですね」


俺を置いて、どんどん話が決まって行く。

悪い方に転がっていないのが救いだが……

すると、ようやく唯奈は帰ると言って立ち上がった。


炬燵の上に我が家の鍵を置いて――


「優斗、本当にごめんね。貴方のピンチならいつでも駆けつける! もう、他の男なんて見ないから……」

「う、うん」


もう何が正義で何が悪なのか分からなくなって、苦し紛れに肯定した。

とにかく終わらせたかった。


「ねえ、最後のお別れにキス、良いかな?」


ずいっと唯奈が身を乗り出した。

だが、すぐに果歩と萌亜が止めに入った。


「「駄目だから」」

「――はい、すみません」


直ちに謝罪する唯奈。


「まったく、油断も隙も……」


萌亜がプツクサ言っているが放って置こう。


「じゃあ、記念に何か貰って良いかな? 大切にするから?」


転んでもただで起きないとはこのことである。

俺はベッドの枕元から孫の手を取ると放り投げた。


「俺だと思って大事にしてくれ」

「うん、大事に使うね!」


唯奈は愛おしそうに孫の手を抱く。


「ありがとう、優斗…… 大好きだよ! さようなら!」


その後、晴れ晴れとした表情で帰って行った。


「行ったか……」


俺がほっと胸を撫で下ろしている横で――

果歩と萌亜がひそひそ話をしている。


「早速、玄関のカギを換えた方が良いですよね?」

「合鍵作っていると怖いですからね」


まだまだ問題は残っているようである……

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