第12話 不治の病

「月島さん、週末、修学旅行の打ち上げを家でするんだけど来ない?」

「いいえ、用事があるの。またの機会に誘って下さいね」


 修学旅行で同じ班だったメンバーが教室に入ったばかりの私に話しかけて来た。

彼らは選ばれた友人達。

いつだって私は彼らと行動してきた。


お父様は、いずれ彼らの中から婿を選ぶことになるかもしれないと言う。

本気で言っているのかしら。

こっちは願い下げだというのに。


席まで移動し、荷物を置いたついでに隣の席を見た。


(やっぱり来ていないようね)


「ふう……」


残酷な事実を知って、私は力なく自分の席へ腰かけた。

次の授業で使う教材をカバンから机の中へ移しているときだった。


主がいないはずの席に一人の男子が座った。


(嘘、三島君!)


驚きのあまり立ち上がりそうになったが、なんとか堪えた。

その代りに――


「おはよう。三島君」


勇気を出していってみた。

これでも、人前に出て話をしたり、ピアノの発表会にも出たこともある。

なのに口から心臓が飛び出るほど緊張した。


「え? お、おはよう。月島さん」


(ひっ!)


溶けるかと思った。

彼の言葉を聞いたとき、私の血液が沸騰した。


そう――

彼こそが私を京都で救ってくれた男子、三島優斗君だ。

私の価値観を変えた男子。


あれ以来、これまで付き合っていた友人たちが嫌悪の対象になった。

思い出しても身体が震える、修学旅行での出来事――


「へへッ! 可愛いじゃんか。俺達と気持ち良いことしようや!」

「や、やめてください!」


そう、一流だと父が選んだ友人たちは、

私が危機に陥ったあの時、あっさり私を見捨てたのだ。


(何が一流よ!)


はじめて、父の方針に違和感を覚えた。


その直後、彼がやって来たのだ。

恐怖に震えるしかなかった私を救ったのは、役立たずどもが平民と呼ぶクラスメイトだった。


「必殺…… フィストクラッシュ!」


『フィストクラッシュ』それが敵をほうむった技の名前らしい。

あの日から、夢に見る後姿。

振り返った時に見せた悲しげな瞳――


この時から、私は彼を忘れられなくなっていた。


 三島君が席について授業の準備を始めた。

途中で先生がやって来て、連絡事項を話し始めたのは僥倖――

私は慌ててメモ用紙を取り出して、手紙をしたためた。


『放課後、校舎裏で』


って。

彼は受け取ってくれるでしょうか。

恥ずかしさから、


「後で読んで――」


ぶっきら棒にしか言えない私に、


「なにこれ?」


訝しむ彼。


「良いから……」


思わず凄んでしまったけど、無事に受け取ってくれた。

だが、その直後から、また違った緊張に襲われた。


(もし待ち合わせ場所に来なかったら……)


人事を尽くして天命を待つ――

やるべきことはやった。

後は彼が来るのを祈るだけ。


授業の内容なんて頭に入らない。

かわりに昨日、お母さまとした会話が頭をよぎった。


「お母さま、また私、あのお方の夢を見ました」

「確かクラスメイトの三島さんでしたっけ? 貴女を助けた人よね?」

「はい、お母さま。夢だけではありません。想像するだけで、身体が熱くなって胸が苦しくなるんです」


話している今でも熱っぽくなる。

ティーカップを口へ運び、紅茶で乾ききった喉を潤した。


「彼は貴女にとって良い影響を与えてくれたようね。貴女がそうした夢を見るのは、貴方の心に小さな感情が芽生えたということよ?」


嬉しそうにお母さまは言う。


「これは病気でしょうか?」

「病気かと聞かれたら、そうかもしれないとしか答えようがないわ。でも、それは萌亜さんが大人になるために必要な病気なの。どんな名医でも、どんなに効くと言われている薬でも、そればっかりは直らない。でも、恐れる必要もないわ」


恐れる必要のない不治の病とは――


私の考える不治の病のイメージは、死ぬまで付き合う病気。

そして、いつか患者の命を奪うもの。


(恐ろしい……)


でも、お母さまは恐れる必要はないという。


「ですが! 苦しくて、彼の後姿を思い出すだけで苦しくなって息が止まりそうなんです」

「まあ、もうそんなに重症なのかしら?」


お母さまは嬉しそうに私の顔を覗き込んだ。

でも、その目は至って真剣で、私の心を不安で満たした。


「お母さま! 重症って……」

「では、こうしましょう。今度の土曜日、私の前にその彼を連れて来れない?」

「ですが……」

「誘うのが恥ずかしいのかしら?」


私は下を向いた。


「はい……」


まだお母さまは知らない。

三島君が、こちらへ帰っていないかもしれないことを――

そして恩人に失礼なことをした挙句、謝ってすらいないことを。


これも相談すべきでしょうか……


思案していると、お母さまの話は進んでいく。


「お礼も言ってないのでしょう? だったら、それを口実に声をかければ良いのでなくて?」

「そ、そうですね」


そうか、そうだった。

声をかけるきかっけは、お礼でも謝ることでも構わないんだ。

問題は彼がぬ時に帰り、学校へ来るかどうかだ。

でもお母さまは――


「ふふ、いつまで経っても子供なんだから……」


楽しそうに湯気の立っていないカップを口へ運んだ。


(そうとなれば早く調査結果が欲しい)


立ち上がってお母さまに感謝のお辞儀をした。

居てもたってもいられなくて、急いで自分の部屋へ帰った。


部屋に戻り、机上の呼び鈴を鳴らした。


コンコンコン!


「はい」

「早坂でございます」

「どうぞ」


カチャリ


静かにドアが開き、執事の早坂が書類を片手に立っていた。

これは――


「早坂、例のものは?」

「お持ちしようと思っていたところでした。先日、ご依頼頂きました調査の方、完了しました」

「ありがとう。仕事が早くて助かります」

「恐れ入ります」


早坂は慇懃いんぎんに頭を下げる。

今でこそ彼は執事をしているが、かつてはどこかの古流派の剣術指南役をしていたという。

だが、私にとっては信用できる優しいお爺さんだ。


「早坂、あと紅茶を一杯淹れて貰えるかしら?」

かしこまりました」


受け取った書類をざっと確認し、私がほくそ笑んだのは言うまでもない。

今、私の手中には、三島君の全てがある。

――そして、何があったかも。


それにしても――

もう一度書類に目を戻し、ため息をついた。


『現地で知り合った者の手引きで、東京へ向かって移動中――』


まさか、ね。

信じられない。

自分の目で三島君の元気な姿を見るまでは――



――そして今日、彼は私の目の前にいる。

普段と変わらぬその姿で。

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