第9話 二人きりの夜
老夫婦と別れて二階へ上がった俺を待っていたのは、パジャマに着替え布団の上で正座する果歩だった。だが、それより気になったのは敷かれた二式の布団。隙間なくピタリとくっけられ、枕も二つ並べられている。
枕元にはリンドウを生けた一輪挿しと、箱ティッシュ――
舞台は整っていた。
「ど、どうするの?」
「な、何を?」
整然と置かれた小道具に、俺は何かを予感し胸を高鳴らせていた。
「ち、違うよ! お婆ちゃんが敷いたんだよ」
なるほど、気が利くじゃ……
もとい、余計なことをしてくれる。
これじゃまるで、行き届いた旅館のようじゃないか。
「その花は?」
「それは二階ヘ上がるとき、目についたから持って来たんだ」
「お前かよ!」
漫画で見た覚えが有る。
行為後の枕元で、花が散っている表現を。
確かに俺は童貞だけど……
てか、シないからね!
「風邪をひくから布団に入ろう?」
「俺、端っこに寝るから心配しないで……」
果歩が布団に潜り込むのを見届けて、もう一方の布団へ入った。
入った直後は冷たいが、すぐに中はホカホカだ。
天井からは、古めかしいタイプの室内灯がぶら下がっている。
そこから伸びた紐は家人によって延長され、寝たまま電気を消せるようになっていた。
電気を消そうと、紐に手を伸ばした時である。
「暗くした途端に襲う気でしょ?」
「しません!」
突然の言いがかりに、ノータイムで応える俺。
「何よ! 私に魅力がないとでも言うの? 私がこんなだから! 私の身体が小さいから!」
「そんなこと言って無いでしょ? 可愛いから! って、こんなこと言わせるなよ!」
やばい、果歩さんの様子がおかしい。
実は結構、酔っていたのだろうか。
「もう! 可愛いって、優くんまで幼児体系だって馬鹿にするのね……」
「してないって……」
今度は拗ねた。
間違いない。
果歩はめちゃくちゃ酔っている。
こういうの父さんから聞いたことが有る。
そう、絡み酒だ。
「だったら、私のパジャマ姿を見て…… 起っきした?」
「お、起っきって?」
「おちんちんが大きくなることに決まっているじゃない!」
一瞬、『は? このアマ犯してやろうか』とも思ったが、むしろ喜ばせかねない。
てか、そもそもボク童貞だし。
まじめな話すると、俺にもささやかだが夢がある。
果歩なら相手に不満はない。
でも、こんな形なんて嫌なのだ。
もうっとこう、ロマンチックな何かが欲しいというのは贅沢だろうか。
「馬鹿なこと言っていないで、早く寝よう? 明日も早いし、風邪ひいたら大変だよ?」
「じゃあ、優くんも寝てよ」
「うん」
布団を深く被って背を向ける。
こうすれば、安心するだろうという配慮だ。
「優くん……」
俺を呼ぶ声がする。
酔っぱらいは放って置こう。
そう思った時、俺の努力は無に帰した。
後ろから二本の腕が、俺の身体を包み込んだのだ
「ねえ…… 駄目?」
「ななな、何するんですか?」
「決まってるじゃない…… 駄目、かな……」
「駄目じゃないよ。俺だって男だから。でも……」
どこからからか、今は亡きお爺ちゃんの声が聞こえてきた。
『逆に考えるんだ。あげちゃってもいいさ』と、考えるんだ。
糞ジジイ! お前も俺の敵だ!
「果歩なんか変だよ? どうしたの?」
「そうよ、変だよ! 私の身体を見て! こんなに小さいのよ!」
――果歩のコンプレックスに気が付いた。
明るく振舞っているから、気にしていないと思っていた。
でも、本当はそうじゃない。
俺は果歩の手をほどいて、向き直る。
そして、俺から果歩の背中へ手を回した。
「優くん?」
「悩みがあるなら話してよ。ちゃんと聞くからさ」
沈黙が六畳一間の和室を支配する。
「優くん、君に聞いて欲しいことがあるんだ……」
そこから果歩はポツリ、ポツリと語りだした――
♦
小学校の頃、私は周りの友達と何も変わらなった。
神経質な人に言わせれば、周りよりちょっと小さいかなって言う程度の差。
友人たちと同じように学び、同じように遊び、同じように食べた――
牛乳は少し苦手だったけど。
中学生になると、明らかに友人たちと違ってきた。
どんどん女性らしくなる友人を横目に、いつまでも変わらない自分。
やがて、小さいまま、頭も心も大人になって、おまけに身体まで大人の仲間入りをした。
「おめでとう!」
お婆ちゃんがはしゃいで作ってくれたお赤飯が美味しかったな。
もちろん、自分の身体も僅かだけど成長している。
それでも、ぜんぜん足りない。
中学最後の健康診断――
去年測った身長と、今年測った身長が一緒だった時、自分の成長期が終わったんだと自覚した。
「ちょっとくらい小さくても良いじゃん。頭もいいし、顔も可愛いじゃん」
気まずそうに、友人は私を慰めてくれる。
高い視点から見降ろし、すらっと長い手で私の頭を撫ぜながら――
せんぶ私の持っていないものだ。
もちろん、悪気が無いのは分かっている。
だから堪えることができた。
悲しかったのは、私が好きな人と友人が付き合いだしたこと。
もっと背が高ければ、もっと胸が大きければ、もっと足が長ければ、もっと、もっと……
せめて、人並みだったら。
もしそうだったら、結果は違ったはすだ。
――私を抱く優くんの腕に力が入った。
「今のままで良い、と思う」
(嘘だ……)
皆、耳障りの良い事を言うけど、心の中では大人未満だと見下している。
彼に応えずに黙っていた。
すると優くんは私のパジャマへ手を入れて、その手で下着をつけていない胸を包み込んだ。
「ひぁっ!」
初めて胸に触れた異性の手――
びっくりした。
けれど彼の手は温かくて、なぜか嫌な感じがしない。
「うん、これ位が丁度良い。だから、このままが良い」
再び優くんが言う。
彼なりに一生懸命、頭を働かせた行動なのだろう。
それでも素直になれない。
なんたって、私のコンプレックスには年季がはいっている。
だから無茶振りする。
「嘘っ! だったら今、抱いてよ! 証拠を見せてよ。今晩だけで良いから!」
普通の女性のように、普通に女性が経験するように、私はそれを求めた。
でも――
「……やだね。でも、果歩が酔っていないとき、俺たちの気持ちが一つになったら、その時は、一緒にゴムを買いに行こう?」
優くんは、私の誘いをキッパリ断った。
でも、悪い気はしない。
だって、彼は私と――
私をちゃんと女性として見てくれたのだ。
「エッチ! もう、しようがないな…… だったら、今晩は一晩中そうしていてくれない?」
「それで元気になるなら…… あ、まだ自信が出ないなら、恥ずかしいけど、おっぱい吸おうか?」
「馬鹿! もう、平気だから!」
かび臭い六畳間で、私は出会ったばかりの男の子に抱かれたまま眠った。
緊張して、寝たり起きたり――
その度に、胸に彼の温もりを感じて目を閉じた。
――もう大丈夫、だって私は優くんに予約されのだから。
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