第10話 一路東京へ

 翌朝、夜が明けきる前に僕たち二人は出発した。

老夫婦には夜のうちに挨拶を済ませ、さらに置き手紙を認めた。


「じゃあ、行こうか」

「お願いします」


車に乗り込むと、すぐにセルモーターが回り、静かな公園に乾いたエンジン音が鳴り響いた。ゆっくりと車が走りだすと、果歩はルームミラーで小さくなっていく土産物屋さんを見ていた。


「もう少し居たかった?」


果歩の方は暫く考えた後、


「そうね。また来れるから」


ポツリと応えた果歩だったが、その横顔は少し寂しそうだった。


途中、コンビニで朝食を調達する。

手軽に食べられるように、おにぎりとウーロン茶を購入して再出発だ。

京都東インターから名神高速道路に乗って一路八王子を目指す。


休みながら走っても、六時間もあれば十分な行程だ。

とは言え、果歩は免許を取得してから一年くらいペーパードライバーだったと言う。


「ゆっくり、行くから時間かかっちゃうかも……」

「平気、平気。事故らないように安全運転で行こう。もし疲れたら気にしないで、好きに休んでよ」

「うん、そう言って貰えると気楽になるよ」


そう言う果歩の視線は、真っ直ぐ前を見据えている。

大丈夫かな……

背中に冷たい何かが流れる。


「そういや果歩って、どこに住んでいるの?」

「あっ、まだ話していなかったよね。 八王子市の清水台だよ」


知っている。

頑張れば歩いても行ける距離だ。


「ええっ! 結構近いかも。うちから自転車で十五分圏内だよ」

「すごい偶然ね。これなら、地元でもたまに会えるね」

「そっか、偶にしか会えないのか……」


ちょっと寂しそうにして見せた。

もちろん冗談だ。

だが、果歩は俺の言葉に過剰反応した。


「えっ? 違うよ? 優くん、来年受験だし忙しいかなって。私だって会いたいから?」

「ふへっ、ごめん、意地悪言った」

「もう!」


頬を膨らませたが、真に受けていなくてご機嫌だ。

会話は止まることを知らず、昨日知り合ったばかりの人だとは思えない。

俺はドリンクホルダーに差してあるペットボトルに口を付け、運転する果歩の横顔を眺めた。


 車はどんどん走り、名神高速道路を抜けて東名高速道路へ入っていた。

日は西へ傾き、間もなく夜が来ることを告げている。


「優くん、ごめん。また休憩していいかな? ちょっと目が辛くって」

「もちろん。じゃあ、適当にパーキングに入っちゃおう」

「そうする」


果歩は最初に現れたパーキングエリアへ車を止めた。

パーキングエリアとはトイレと小さな売店だけがある施設で、仮眠室や温泉などが付いたサービスエリアよりずっと規模が小さい。


「夕べあまり眠れくて……」


そりゃそうでしょ、と。

なんたって、夕べは一緒に寝たのだ。


「なんか迷惑ばかりかけて、ごめん」

「そんなこと無いよ。だって、優くんと出会って、銭湯へ行って、飲み屋で食事して、そして、そして…… すごく嬉しかったんだよ?」


恥ずかしそうにしながらも、しみじみと言った。


「そっか。まあ、俺も眠れなかったんだけどね」

「なんだ。一緒かぁ」


二人で顔を見合わせて笑った。

そうこうしているうちに日は落ちて、すっかり辺りは暗くなった。

売店で食事をしたり、お茶を買ったり――


「どう?」

「暗い時に走るのは怖いかな…… あ、でも、もう少し休めば大丈夫だよ」

「いや、やめよう。高速ガイドを見るともう近いし、明日の朝に出よう」


すると、「ありがとう」と一言。

車に乗ったまま座席を倒して目を瞑る。

夕べのこともあってか俺たちは、そのまま深い眠りについた。


どれくらい眠っただろう。

微睡まどろみの中で、果歩が俺を呼んだ。


「優くん…… 優くん…… うぅ、起きてくれない」

「うーん、よ、呼んだ?」


目を擦りながら、上半身を起こす。


「良かった。ごめんね、寝ているのに…… 言い辛いんだけど、トイレ、付き合ってくれない?」


時計を見ると草木も眠る丑三つ時――

午前二時を回っていた。


周りに車は数台止まっていたが、売店は締まっており人影も無い。

これは男でもキツイ。


「付き合うよ」


車の外へ出ると、空にはたくさんの星が見える。

二人で手を繋いでトイレの前まで来て、俺は立ち止まった。

が――、


「言い難いんだけど……」

「えっ?! ここじゃダメ?」

「う、うん。」


苦笑いして、黙って頷く。

それを合図に果歩は手を繋いだまま、どんどん中へ入っていった。


初めて入る女子便所――

怖いには怖いが、そのベクトルは超自然的なものより、俺の存在が他の女性に見られないかの方に向いている。


恥ずかしいのだろう。

果歩は俺と目を合わせないように個室へ向かった。


「そ、そこで待っていて。できれば聴かないでね」

「分かった」


『なにを?』と聞かないのは俺の配慮だ。

バタンと個室のドアが閉まると、程なくして衣擦れの音が聞こえてきた。


「良い!? 聴かないでね」

「大丈夫だよ」


…………

…………… …


ガコッ! ジャー!


自分でも気付かなかった性癖が、呼び起されたような気がする。

聞くなと言われても、こんなに静かなら耳を塞いでも聞こえてきてしまう。


――結果、最初から最後までしっかり聞き届けた。


トイレから出てきた果歩も、察したのか顔を真っ赤に染めている。

そして、俺を見据えて詰問した。


「トイレ静かなんだもん。き、聞こえちゃったよね? よね?!」


恥じらいという名のオブラートで包んだ鋭い刃物――

果歩のジト目が突き刺さる。


(どうするよ?)


こういう時、なんて答えるのが正解なんだ。


「――か、可愛かったと思う、よ?」

「馬鹿ぁ!」


人気のない女子トイレに果歩さんの声が響く。

同時に平手打ちが飛んできたが、ちょっと上体を逸らしてそれをかわした。


「きぃ~」


うん、別に叩かれても良かったんだけど……

でも、叩くならその前に手を洗って欲しかった。


只今、深夜二時過ぎ、俺たちは一体何をやっているのかと。



 日が昇るのと同時に、俺たちはサービスエリアを出発した。

休んだことで、果歩の体調も万全――

車も無事に走り切って、遠すぎた我が家に到着した。


「有難う、果歩。寄って行ってよ」

「え、疲れているでしょ? 今度にするよ」


車内で話していると、突然、家の玄関が開いた。

母さんだ。

俺は社外に出ると、帰宅を告げた。


「ただいま、母さん」

「お帰りなさい、心配したよ? って、そちらが助けてくれたお嬢さん? この度は本当にお世話になりまして、有難うございます。あの、お礼もしたいので上がって行ってください」


俺と果歩の視線が交わる。

肩を竦めて首を左右に振って見せると、果歩は苦笑いして車から降りて来た。


ずっとい運転していたんだ。

疲れていない訳がない。

なのに空気を読まない初対面のおばさんの誘いに果歩は付き合ってくれる。


「上がってください。すぐお茶を淹れますね」


先に家へ入り、パタパタと台所へ走っていく。

母さんは、いつだってマイペースだ。


「どうぞ、お構いなく。お邪魔します」


母さんが消えた方へ、張った声で果歩が挨拶をしたが返事はない。

たぶん、聞こえていないのだろう。

代わりに、靴を脱いだ果歩に俺が告げる。


「果歩、ようこそわが家へ――」

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