第8話 晩秋の一幕

 店で腹ごしらえを終えた俺たちは、ゆっくりと川沿いの道を歩いている。

あの後、果歩は少しだけお酒を飲んでいた。

明日出発することを考えれば早く帰るべきなのだが、今晩の月は綺麗すぎた。


「――優くん、さっきの言葉は本当?」


突然、ほろ酔いでご機嫌な果歩が聞いてきた。

何の脈絡もなく言ってくるものだから、何のことだかとんと見当がつかない。


「えっ?」

「ほら、おばさんが言っていたじゃない。ずっと、なっ、仲良くしてあげてって…… 覚えているでしょ? 優くん、『もちろん』って応えたよね?」


思い出した。

確かに果歩の言う受け応えをした記憶がある。


(えぇ~ こんな所でぶり返さなくても良いのに)


チラッと果歩を見る。

良くわからないが、嘘をついてはいけないような雰囲気だ

言葉を選びながら、彼女と過ごしてどうだったか考える。


果歩とは一緒にいて心地いいし、癒される。

それに、これっきりは嫌だ。

すると答えは簡単に出た。


「うん。家へ送って貰って、『はい、さよなら』じゃ寂しいじゃん? でも、果歩がそうしたいなら、それはそれで仕方ないかなって…… ははっ、知り合ったばかりなのに変だよな」


素直な気持ちを言うつもりが、卑屈になってしまったと思う。

だから、つい彼女を試すような言い方になった。


「そ、そんな訳ないじゃん。どうしてそんな風に考えるかな」


弱気な俺を果歩はさらっと否定した。

嬉しい。


「今日はさんざんでさ、考え方がマイナスに向いちゃって…… ごめんなさい」

「もう、忘れちゃった? 優斗くんが『良かった』って思えるような旅になるように手伝うって言ったでしょ!」


彼女の言葉は力強い。

弱気な俺を蹴散らして、いじけている俺に手を差し伸べてくれる。


「たっだね。有難う、果歩」

「う、うん。分かれば良いんだよ」


いつしか、並んで歩く俺たちの距離は近くなっていた。それは歩くたびにお互いの手の甲が触れ合うほどだ。

胸の鼓動が高鳴って、少しだけ勇気を出した。


「あ、あのさ……」

「なに?」

「あ、あの、てっ、ててててt」


夜、二人きりの帰り道――

街頭の光を反射して、果歩の瞳が輝いた。


「えっ?」

「手をちゅ、繋いでもっ!?」


思い切り噛んだ挙句、やっと言えた。


「うん、良いよ」


果歩は躊躇いなく俺の手を握った。

笑ったり、ちゃかしたりしせず、ただ黙って握ってくれた。

良い女すぎる。


「うぐぅ……」


手の柔らかさに、思わずうめき声がでた。

その声が耳に入ったのか、果歩は不思議そうに俺の顔を見た。

心なしか、その顔は火照っているかのようだ。


――が、気のせいだろう。

夜道は暗く、そんな細かい所まで見える訳がない。


「うん? 何か言った?」

「な、なにも……」

「ところで、今、私、優くんの頼みを聞いたでしょ?」


言葉を切って、果歩はクスリと鼻を鳴らす。


「――そこに私の希望も入れて良い?」

「え? ど、どうぞ」


何だろう。

そう思っていると、やおら果歩は一旦繋いだ手を緩めた。

でも直ぐに、お互いの指が絡み合うように繋ぎ直した。


いわゆる恋人繋ぎだ。


「元気出た?」

「は、ひあ!」


しっかりと掌が合わさった所で、恥ずかしそうに果歩が微笑む。

その笑顔が余りにも可愛くて、思わず目を逸らせた。


「もしかして嫌だった?」


慌てたように聞いてくる彼女に、俺は首を横に振って応じた。

そして、果歩の手を握る手にも、少しだけ力を込めた。


「ありがとう。優くん……」


そこから俺たちは土産物屋さんに帰り着くまで、ずっと無言だった。

もう言葉必要ない。

寂しくも、辛くも無い。



 鍵を開け、シャッターを少し開けたら店内の灯が漏れてきた。

身をかがめて隙間から店内へ入ると、真ん中に置かれたテーブルに着いた老夫婦が迎えてくれた。


「おかえり、長風呂だったね」


と、お婆さん。


「優くんが食事まだって言うから、おばさんの店に寄って来たんだ」


声を弾ませた果歩が応える。


「ふほほ…… 二人とも親密になったようじゃな」


お爺さんは俺たち交互に視線をやった。


「どうなんですかね?」


どう答えて良いかわからくて、適当に誤魔化した。


うん?

脇腹に二、三度感じるわずかな衝撃――


視線をやると、肘で俺の脇腹をつつく果歩の姿。

頬を膨らませて、どうやらご立腹の様だ。


「なるほど、果歩の方が優斗君を気に入っているのか…… そうかそうか」

「あらまあ。良かったね、果歩や。やっと良い人ができて」

「もう、お爺ちゃんもお婆ちゃんも知らない!」


老夫婦の言葉に拗ねる果歩。

だが、後で彼女に言っておこう。

そうやって拗ねると、子供の様だぞ――。


「ところで明日発つのだろう?」

「うん、明日の朝は早く出ようと思っているんだ。優くんのご家族も心配しているだろうし――」


俺が頷き、果歩が応じる。


「じゃあ、ワシ等は見送らないから、気にせず出発すると良い」

「この度は何から何まで有難うございます」


俺は頭を下げた。

こうして別れの挨拶を交わすと少し寂しい。

しんみりとした空気が辺りを包むかと思われたそのとき、


「大丈夫。これで、ひ孫でも生まれたら、ねぇ?」


とんでもない事をサラッと言って、老夫婦は顔を見合わせて笑い声を上げた。

また会えるとでも言いた気だ。


(しかし、参った……)


視線を果歩へ向けると、顔を紅くし俺のことをチラチラ見ているではないか。

しっかりしてください!


「じゃあ婆さん、ワシらは家に帰ろうかの……」

「えっ? お、俺たちは?」

「果歩と優斗くんは、二階の部屋を使うといい…… まあ、あとは若い二人で、な?」


そう言ってお爺さんはウィンクした。

まてまてまて、


「そんなこと言っても、な?」


助け舟を求めて彼女を頼るが、


「い、嫌…… かな?」

 

あれ、満更でもない――


「いっ、嫌じゃないけど、いけない気がする」

「ふぉっほっほ…… そんな優斗君だから安心なんじゃ。何年客商売をしていると思っている? これでも、人を見る目はあるんじゃぞ?」


お爺さんが追い打ちをかける。


「お爺ちゃん!」

「まあまあ、果歩も気に入ったんでしょ? 今晩は、優斗くんに蜘蛛の巣が張ったお股を風通し良くして貰いなさい?」


(おい、婆ぁ! 何てこと言いやがる!)


恐るべし京都人。

下品な言葉を見事な比喩ひゆで包むあたり、関心するやら参るやら……

そして歓喜した。


果歩は処女、繰り返す果歩は処女!


「嫌ああああああ!」


突然、叫び声が上がった。

お婆さんの言葉で顔色を無くした果歩さんは、両手で顔を隠してバタバタと二階へ上がってしまった。


「じゃあ、ぼちぼち行くか。優君も気をつけてな」

「有難うございました」


老夫婦は立ち上がり、シャッターの隙間から出て行った。

続いて俺も外へ出る。


「「おやすみ。明日は気を付けてな――」」

「おやすみなさい。有難うございました。またいつか、伺います」


こうして俺は、その小さな後姿が見えなくなるまで見送ったのである。

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