第13話 懐かしい人
目が覚めると朝だった。
あの後、部屋に入るとシャワーも浴びずベットに倒れ込んで、そのまま寝てしまったようだ。
時間を確認すると朝の5時だった。
気怠い体を起こして、ひとまずシャワーを浴びてスッキリしようと思った。
シャワーから出ると、昨日の出来事を改めて思い出している。
かなり重要な商談をまとめてこれ以上ない成果を出したはずなのに、それ以上に衝撃的な事実を知ってしまった。
澤田がアメリカで一緒に遊んでいた初恋相手のあおちゃんだったという事実だ。
この事実に気付かず、この5ヵ月間ぞんざいな扱いをしてしまったことを後悔する。
よく考えてみたら、昔と変わらず気が利く子だし、パーティーの時の姿を思い浮かべると昔と同様に可愛らしい。
最初に会った時に、どこかで会ったような気がしたのは間違いではなく本当に会っていたからたったのか。
澤田は俺に気付いている感じはないが、この後俺はどのように澤田と接するべきか悩ましい。
アメリカで一緒に遊んでいた健太だよというのも気恥ずかしくて言おうに言えそうもなかったので、このまましばらく言わずに今までの関係を壊さないでおこうと決める。
ふと時計を見ると7時になっている。
8時にはホテルを出ると伝えてあったので、澤田は既に起きているだろうと思い、スマホを手に取り連絡する。
数コール呼び出し音が鳴ると、澤田の声が聞こえた。
「おはよう。昨日はお疲れ。伝えた通り、8時には出発するから身支度をしてから、下に降りてきて。朝食は途中のSAでとろう。8時にロビーで。」
と言うと、思いがけない返事が返ってくる。
「昨日食事の後、もう1件藤井専務に誘われたのですが疲れていて断ったところ、今日の朝食を一緒にと言われて一緒に帰る約束をしてしまいました。社長と同じ時間に出発すれば、同じ時間に会社に着くかと思い、了承してしまいました。」
「何やってるんだ。藤井には俺から断っておくから、俺の車で帰るぞ。8時にロビーだ。お前から藤井には連絡するな。」
と言って、澤田の返事も聞かず電話を切る。
その勢いで藤井に電話をかける。
「おい、藤井。お前に言ったよな。俺の秘書に手を出すなって。会社には俺と一緒に帰るから、、お前は一人で帰れ。これ以上、澤田に近付くな。」
藤井が電話に出るなり、俺はまくしたてた。
「朝から元気がいいな。澤田さんはお前の所有物じゃないから、何をしようと俺の勝手だろ。しかもお前には美人な婚約者がいるだろ。俺の行動を制限するのは止めてくれ。」
「俺に婚約者はいない。昨日きっぱりと言ったし、澤田は俺の所有物だ。手を出したら、ただじゃおかないからな。」
と言って、怒りに任せて電話をきる。
切ってから藤井と澤田のことになると、何故こんなにムキになってしまうんだろうと、急に頭に上った血が引いてくる。
俺の所有物と口走ってしたが、俺の所有物にしたいのが本音なのか。
それもとも毎日一緒にいるから変な所有欲が出て生きているのか、これ以上考えるとおかしくなりそうだったので、考えるのを辞めて身支度を始めることにする。
あっという間に出発の時間が迫ってきたので、急いでロビーに向かう。
まだ澤田の姿がなかったのでコーヒーでも買おうかとホテル内の喫茶店に向かうと、あろうことか藤井と澤田がコーヒーを飲んでいる。
カっと頭に血が上るのを感じる。
「藤井、澤田何やってる。藤井、さっき電話したこと覚えているのか。」
「会社には一緒に帰らないけど、コーヒーぐらい一緒に飲んでもいいでしょ。」
と何吹く風といった表情の藤井。
「社長、すみません。出発時間は必ず守る約束で。」
うつむく澤田。
これ以上言ってもしょうがないし、俺に言う権利もないと思い、伝票と澤田の手を掴む。
「藤井、商談の件についてはまた連絡する。予定があるから、先に失礼するよ。」
強引に澤田を立たせて会計を済ませ、駐車場に向かう。
確かに二人が会おうと俺に口出しする権利はないのは分かっているが、どうも気に食わない。
澤田があおちゃんと分った今、尚更気分が悪い。
「澤田、藤井と会うのはお前の勝手だが仕事に影響が出るような行動は控えてくれ。公共の場でお前たちが仲良くしているのを見て、勘違いする奴もいるだとう。社長秘書ということは守秘義務があるから、勘違いを招くような行動は控えてくれ。」
「申し訳ありません。軽率な行動は慎みます。運転しますので、鍵を貸して下さい。」
と言って手を差し出している。
「確認する資料も仕事もないから、帰りは俺が運転する。」
と言ってトランクに荷物を詰めると運転席に座る。
慌てた様子で澤田もトランクに荷物を入れて、助手席に座る。
「出発するぞ。」
と言って車を動かすも、特に話すこともなく車内は静まり返っている。
最近は後部席に座って仕事をすることばかりだったので、改めて澤田と仕事以外で話したことがほとんど無いということに気付く。
気まずさを緩和するために、まずラジオを付けて心を落ち着かせる。
「さっき藤井と朝食は食べたのか。」
「いえ、社長と朝食をとる約束をしていると伝えたのでコーヒーだけです。」
その回答が嬉しくて、俺の頬が緩むのを感じた。
「そうか。腹減ったろ。次のSAで朝食をとろうか。何が食べたい?」
「昨日のお酒が残っているので、軽めにサンドイッチとかでしょうか。社長は何が良いですか。」
「俺もサンドイッチとコーヒーかなと思ってたからそうしよう。」
「社長はサンドイッチお好きですか。」
と気まずい空気をなんとかしようとしてくれているのか澤田が会話を続けてくれる。
「アメリカにいた時によく食べていたから、習慣でよく食べるかな。」
アメリカにいた時の話を自分からふってしまい、ドキドキしてしまう。
「私もそうなんです。あの頃はご飯が恋しかったのに、ご飯が食べられる環境になても習慣って抜けなくてサンドイッチをよく食べちゃうんですよね。」
くすくす笑う澤田がこの上なく可愛いと思ってしまう。
つい見惚れてしまっていたのか、
「社長、前見て下さい。何かありましたか。」
澤田の声でハッとする。
あおちゃんと分かってから、澤田を見る目が明らかに変わってしまったことを自覚している。
「いや、特になんでもない。もうすぐSAに着くから寄っていくぞ。」
SAに入ってサンドイッチとコーヒーを買って二人で朝食をとる。
アメリカにいた頃も、こうして二人でご飯を食べたり、お菓子を食べたりしていたことが懐かしく思い出される。
帰り道は他愛もない話をしながら帰ることが出来た。
会社に着いてから、いつも通りの日常だった。
いつも通りではなかったのは俺の感情だけだ。
澤田が気になって気になってしょうがない。
ちょっとした表情の変化に気を取られるし、近付きたいと思ってしまう。
この日を境に俺の澤田に対する感情を認めざるを得なかった。
藤井と一緒にいるところを見てイライラするのも、俺にも笑顔を向けて欲しいと思うのも、全て澤田が気になっているからだと。
この感情に気付いたからと言って急に態度を変えるのも可笑しな話だし、澤田も変に思うだろうと思い、悶々としながらもいつも通りの日常を過ごしていた。
笑顔が見たい一心で時々、客先からの差し入れと言っては喜びそうなものを渡しては、澤田の表情を楽しんでいた。
社長と秘書という立場上、これ以上距離を縮めることができなかったし、澤田が俺のことを気にしている素振りがないのも悲しい。
告白なんかして振られて会社を辞められるぐらいならば、社長と秘書の関係で今まで通りでいたいと思ってしまう。
相変わらず藤井は会社に来る度に澤田を誘っているが、よく見てみると澤田にはその気がないようでことある理由を付けて断っている。
そんなやりとりに安心しつつも進展がないまま、あっという間に澤田が来てから半年の月日が経った。
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