第9話 最悪な提案

すっかり疲れた週末のはずだったけど、社長からの思わぬプレゼントで帰り道の足取りは思ったより軽かった。


途中のコンビニで半額シールが貼られたお弁当と缶チューハイを買って家に着く。


買ったものはテーブルに置いて、社長からもらったチョコレートを改めて開けみる。


可愛いうさぎとライオンだ。


うさぎとライオンが一つの箱に入れられていたので、まるで社長室の中にいる私と社長みたいだと思って、少しおかしかった。


ライオンを手に取って一口かじってみると、ビターチョコでスッキリとした甘さが口の中に広がった。


うさぎも一口かじってみると、こっちはミルクの香が鼻いっぱいに広がるミルクチョコレートだ。


疲れた体に甘いチョコレートが染み渡って、一気に今週社長から命じられた嫌がらせ、もとい仕事の疲れがとれていくようだった。


チョコレートをそこそこにして、勝手きたお弁当と缶チューハイをささっと平らげて、お風呂に熱めのお湯を張る。


お風呂に入ってゆっくり手足を伸ばしてお湯に浸かるとじんわりと体があったまりリラックスできた。


改めて今週の出来事が思い出され、入社してから怒涛の日々を過ごしていると思うと笑えてくる。


最初に感じた幼馴染のけんちゃんと社長が同じ人に思えていたことが遠い昔のように感じる。


リラックスするとどうしてもけんちゃんのことが思い出される。


今頃どうしているのか、一目でいいから会いたいという思いは今も変わらない。


いつか偶然出会えることを期待して、あったかいお風呂に浸かりながら目を閉じる。


こんな感じで週末の金曜日を終えて、土日はこれでもかというぐらいぐうたらして過ごした。


平日が怒涛の日々なので、お休みの日は家に籠って韓流ドラマ三昧。


私にもこんな王子様のような男性が現れたら良いのにと妄想に浸りながら2日間過ごす。


翌日とんでもないことが起こることなんか少しも想像できず、呑気に過ごしていた。


土日にリフレッシュできたおかげで、月曜日の朝はすっかり回復して今週も頑張るぞという気持ちで会社に向かうことができている。


社長に会ったら、週末に頂いたチョコレートの御礼を言わなくてはと思いながら前室に向かう。


いつも通り、社長はまだ出社していないので社長室の掃除にとりかかる。


デスク周りの掃除・整理整頓、足りないものはないか確認して一通り部屋が整うのを確認したところで、自分の机に向かった。


ちょうどタイミングよく内線電話が鳴る。


出てみると室長からだった。


「澤田さん、ちょっと来てくれるか。」


朝から呼ばれるなんて何かミスをしたのかと思い起こしてみるものの、思い当たる節はない。


急いで室長の元に向かう。


「室長、おはようございます。お呼びとのことですが、何かありましたでしょうか。」


どんなお叱りを受けるかびくびくしながら聞いてみると、室長は思いもしないことを口にした。


「今日、社長とパーティーに行ってもらう。これも秘書の仕事の内だから拒否権はない。」


拒否権はないという顔でこちらを見ている。


そんな顔をされても行ける格好でもないし、行ける身分でもないし、行ける容姿でもないのは自分でも重々分かっているので慌てて、


「社長とパーティーに行くなんて絶対に無理です。」


「服もありませんし、見た目も最悪ですから社長が恥をかくだけです。」


「どなたか他の方を選定して下さい。空いた穴は私がきちんと責任をもって埋めますので。」


と室長に一気にまくしたてる。


ところが室長も負けじと


「服とかは心配するな。とにかく時間がないから、支度している間にこれに目を通しておけ。」


と言って、今日のパーティーの資料を渡してくる。


「そうは言われましても私では分不相応ですし、そのような場には慣れておりませんので、社長に恥ずかしい思いをさせてしまうかと心配でして。」


と今度は懇願するように室長にお願いしてみる。


「ここで働き始めてからの君の仕事ぶりを見ているが、いつも通りに振舞ってくれれば恥をかくことは無いから安心しろ。準備は全て会社でするから。スケジュール的に代わりに出席できる秘書はいないから、澤田さんが出席するしかないんだ。」


「でも・・・・・」


「なんと言おうと澤田さんが出席するしかない。時間もないし社長と擦り合わせしないといけないから、早く社長室に行くよ。」


何とか回避できないか室長に掛け合ってみるものの、室長は聞く耳を持たず社長室へ向かっている。


私が言っても室長は納得しないと分かると、後は社長が私を同行者となることを却下してくれれば良いと思った。


日頃から過去の秘書は美人だの容姿端麗だったのだの、ブツブツ言っているから私が出席すると言えば顔色を変えて反対するに決まっていると思いながら、期待を込めて室長の後に続いて社長室に入る。


「社長、今日のパートナーは澤田さんです。先に準備がありますので、13時に会場で待ち合わせでお願いします。」


と室長が社長に報告している。


いつも通りの感じで、澤田なんか連れて行けるかと激高して下さい!と心の中で応援しながら、期待を込めて社長を見る。


ちらっと社長がこっちを見てふんっと鼻で笑ったような気がしたので、よし室長に言って下さい、反対意見を!と再度期待を込めて強く社長を見る。


「分かった。」


社長が放った言葉は想像もしていない一言で、それを聞いた途端、断ってくれるのものと思い込んでいた私は膝から崩れ落ちるのではないかと思うほど、全身の力が抜けいていくのを感じる。


「こちらはお任せ下さい。それでは失礼します。」


遠くの方で室長が社長に挨拶しているのが聞こえるが、私はその場から動けないでいる。


そんな私を室長は、ひきずるように私を部屋から出し、駐車場まで連れて行き車に押し込んでくる。


「澤田さん、そんな悲壮な顔してもダメだよ。社長が反対すると思って期待していただろうけど、社長は澤田さんを同伴者としたからには行くしかない。大丈夫、澤田さんは素材が良いから、恥ずかしい思いは絶対にしないから。俺を信じて。」


とさっきとは打って変わって優しい口調と優しい顔で私に話けてくれる。


「分かりました。社長と会社に泥を塗るようなことをしないように十分に気を付けて行動します。」


と室長に向かって返事をすると、室長は満足そうに笑いながら


「普段通りの澤田さんで大丈夫だから。それより変身した澤田さんを社長が上手くエスコートできるかの方が俺は心配だな。」


と後半は意味不明なことを言って楽しそうに一人で笑っている。


そんな室長を見ながら、もうここまで来たら、室長を信じてやるしかないと心を決めて資料に目を通し始めた。


確認すると自動車メーカー社長就任のパーティーのようだった。


出席する前に先方の情報を頭に入れておかなきゃと思い、色々調べてみる。


会社の規模や招待客等、内容を見ていくと、ますます行きたくない気持ちになってくる。


招待客リストの中に先日お会いした藤井専務の名前も載っているのを見つけた。


もし会ったら先日貰ったチョコレートの御礼を忘れずに言わなきゃいけないなと思っていると、


「澤田さん、着いたから準備して。」


と室長が声をかけてきた。


見るとホテルの駐車場のようだった。


さっさと降りていく室長の後を慌てて付いていく。


ホテルの中にある美容室に入っていくと、個室に通される。


「澤田さん、後はこちらの方に従って。俺は準備ができる頃に迎えに来るから。」


とだけ言って、さっさと部屋から出て行ってしまった。


残された私はどうすれば良いのかもわからず、その場に立ちすくんでいると


「失礼します。」と言って一人の女性が入ってきて、私を見るなり


「初めまして、本日ご準備を手伝わせて頂きます。よろしくお願い致します。聞いていた通りの方ですね。」


と柔らかい笑顔で挨拶してくれた女性に対し


「本日はよろしくお願い致します。」と頭を下げて挨拶をする。


聞いていた通り、パッとしない女が現れたと思っているんだなと心の中で悪態をついていると、それを感じとったのか、目の前の女性が慌てて


「失礼しました。聞いていた通り、可愛らしい方だなと思って、心の声が漏れてしまいました。お気を悪くさせてしまったなら、申し訳ありませんでした。」


バツの悪そうな顔をしている女性を目の前にして余計な事考えるんじゃなかったと後悔しながら


「気を悪くしたなんて全然そんなことありません。こちらこそ、朝からバタバタして少し疲れたみたいでぼーっとしてしまってすみませんでした。」


「大変失礼致しました。こちらにホットコーヒーを用意しておりますので、お召し上がりください。準備が出来次第、お声掛けさせて頂きますので、こちらで少々お待ち下さい。」


と女性は頭を下げると部屋から出て行く。


置いてあるホットコーヒーに手を伸ばして、一口すする。


口にコーヒーの香りが広がる。


朝からバタバタしていたので、一息つけた。


これからうんざりする程、休憩する暇はないかと思うと、今のうちにゆっくりしておこうと心に決めた。


頭を空っぽにしてコーヒーを楽しんでいると、先程の女性が現れる。


「澤田様、お待たせいたしました。準備が出来ましたのでこちらへどうぞ。」


言われるがまま、女性の後に着いていく。


そこからはまるで着せ替え人形のように、女性の指示に従ってあれやこれや服を着せられる。


あーでもない、こーでーもないとスタッフの人達が言っているのを黙って聞きながら、なされるがままにしているとようやく服装が決まったようだ。


そのまま美容室に行き、あれよあれよという間に髪をセットしてもらい化粧も施される。


かなり時間がかかったが、体感時間としてはあっという間だった。


目の前にある鏡に映っている人物が自分とは思えない出来栄えに、心底驚いている。


流石プロにしてもらうと、馬子にも衣装だなと感心する。


これで社長の隣にいても少しは恥ずかしくないかなと、ほんの少し自信が生まれた。


「澤田様、お疲れ様でした。とてもお綺麗です。もうすぐお迎えに来られると、先程お電話頂きましたので、こちらでお待ち下さい。」


と最初に待っていた部屋に通される。


しばらく待っていると、室長が現れた。


私を見るなり、目を大きく見開いて固まっている。


やっぱりこんな格好似合わないよな、さっき少しだけ自信を持った自分が急に恥ずかしくなってきて、


「やっぱり似合わないですよね。こんな格好して。社長に恥ずかしい思いをさせてしまいますよね。今からでも他の方を手配した方が良いかと。まだ時間はありますので、間に合うと思います。」


恥ずかしさの余り、室長の方を見ることすらできず一気にまくしたてる。


「あぁ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。元々綺麗だろうと思っていたが、想像以上に綺麗になっていたから見惚れていたんだ。すまん。」


と思いもしない言葉が聞こえてきたので、顔を上げると優しい顔をしている室長が目の前にいる。


「お嬢様、社長がお待ちですので、こちらへどうぞ。」


と室長はふざけながら、ドアに向かって行く。


「室長、ほんとに大丈夫でしょうか。こんな格好したのは初めてですし、パーティーの出席も今までの会社で経験したこともありませんので、失敗しないか本当に心配です。」


容姿を褒められたのは嬉しかったが、やはり粗相をしないか心配で心の内を室長にぶつけてみる。


「大丈夫。いつもの澤田さんで大丈夫だから。それより、澤田さんを隣に置いて、社長が粗相をしないかの方が俺は心配だよ。」


と今朝から何度もいつも通りで大丈夫と室長が言うので、その言葉を信じていつも通りやればなんとかなると自分に言い聞かせる。


室長に続いて部屋から出て、車に乗るとさっきまでの空間が夢だったのかと思うほど、一気に現実に戻ってくる。


「澤田さん、時間がないから会場に向かうね。挨拶ばかりで食事をとる暇が無いと思うから、簡単に買ってきたんだど、口に合うかな。申し訳ないけど、お店に入る時間もないから、会場に着くまでの車の中で食べてくれるかな。」


と言って室長がチェーン店のコーヒーとサンドイッチを手渡してくれる。


普段から好きでよく食べているチェーン店のサンドイッチだった。


「お気遣い頂きありがとうございます。ここのサンドイッチ大好きなんです。遠慮なく頂きます。」


と言って室長からコーヒーとサンドイッチを受け取り食べ始める。


思ったよりお腹が空いていたようで、食べ始めると手が止まらず一気に食べてしまった。


そんな私を見て室長が


「そんなに美味しそうに食べてくれると、買ってきた甲斐があるな。今回、頑張ってくれる御礼にどこか御馳走しないといけないな。」


と楽しそうに言っている。


「今日、粗相のないようしっかり働きますので、上手くいったらよろしくお願いします。」


と私も笑いながら答えると、目の前に今日の会場となるホテルが目に入る。


たった今まで楽しい気分だったのに、一気に緊張してくる。


「澤田さん、悪いんだけど次の仕事まで時間がなくて社長を一緒に待てないんだ。ロビーで降ろすから、会場の前で社長を待てるか。社長には会場に着いたら、澤田さんに電話するよう言ってあるから。」


と言いながら、腕時計を確認している室長は相当急いでいるようだ。


「時間がないのに送って頂き、すみませんでした。会場の前で社長と落ち合いますので、室長は次の仕事に向かって下さい。」


「すまんな。後は頼んだぞ。澤田さんは自分が思っている以上に綺麗だから自信もっていいからね。」


と言ったところでロビーに滑り込んだので、私は慌てて車から降りる。


「ありがとうございました。パーティーが終わりましたら、連絡します。」


と言ってドアを閉めると、あっという間に室長の車はロビーを後にしてしまった。


鞄から案内を取り出し、会場を確認する。


ホテルに入り目的の会場まで向かう。


パーティーに出席するだろう人がたくさんいる。


女性も男性も煌びやかな人ばかりで、ますます自分が場違いに思えてくる。


さっきまで室長と一緒だったので感じなかったけど、急に心細くなってきた。


社長から連絡がこないか何度も携帯を確認してしまう。


今は最低最悪な社長でも良いからとにかくこの以居心地の悪い空間から、安心したかった。


受付には絶対来るだろうと思い、近くにあるソファーの隅っこに立って社長を待つことにした。


中々鳴らない携帯を手に、とにかく目立たないようにじっとしているのが精いっぱいだった。

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