第7話 ムカつく女

いつも通りの毎日を送るため、今日も会社へ向かう。


いつも通りお気に入りの曲を聞きながら、鼻歌まじりに運転をする。


唯一いつも通りではないのが、最近入ってきた秘書のせいで俺の感情がおかしい。


何故こんなことになっているのか自分でも分からないが、それ以外は変わらない日常だ。


いつも通り会社について、部屋に向かう途中ムカつく奴が視界に入るが、無視して部屋に入る。


席に座ると昨日と同様部屋が整えてあり準備がされている。


昨日澤田からもらったサンドイッチの袋が入っていたゴミ箱もすっかり空になっている。


今まで始業前にしていた準備や片付けの時間がなくなったので、手元にあったタブレットでニュースを確認する。


ニュースを見ているはずなのに、澤田の朝の行動が気になる。


毎日するつもりなんだろうかとも思ったが、入ったばかりだから最初だけだろうとも思う。


ただ、ムカつく奴だが気が利く奴であるのも間違いなさそうだ。


藤井にむけるよな愛想を俺にも少しでいいから振りまいてくれれば、秘書として認めるのにとぼーっと考えていると始業時間になった。


始業時間を告げるチャイムと共に、ドアがノックされる。


澤田が今日のスケジュールの確認に来たようだ。


「入れ。」と声をかけて、手元にあるタブレットに目を落とすが澤田が部屋に入って来る気配に気を取られ、タブレットの内容は全く目に入ってこない。


頭の上から、澤田の声がふってくる。


「社長、本日のスケジュールを確認させて頂きます。」


淡々とスケジュールの確認をして何か問題があるかと聞かれ、無いと答えるとあっさりと部屋から出ていった。


藤井には愛想を振りまいていたのに、淡々と部屋を出て行く澤田に対し無性に腹がたった。


今までの秘書は俺に気に入られようと必死だったのに、ましてや藤井より俺の方がスペックが上なのに、冴えない女のくせに、本当に気に入らない。


「澤田、さっき言い忘れた用事があったからもう一度部屋に来てくれ。」


イライラに任せて、再度澤田を呼んだ。


先日、契約をした会社の社長へのお礼状をまだ送っていなかったので、澤田に書かせようと思っていた。


「先日契約締結した、株式会社同和の社長宛てにお礼状を書いてくれ。字が汚かったら、恥ずかしくて出せないから、書き上げたら俺が確認するから持ってこい。今までの秘書もひどかったから、期待はしていないが、俺は忙しいから対応してくれ。」


と言って澤田を見ると、ムッとした顔をしてこちらを見ている。


「分かりました。直ぐに書いてお持ち致します。」


と無表情で答え、くるりと後ろを振り向きさっさと部屋を出ていった。


相変わらず可愛げのないやり取りに不満を覚えたが、これ以上くだらないことで時間を潰すのもよくないと思い、やらなければいけない目の前の書類にとりかかった。


澤田が出て行ってから30分程経った頃、ドアをノックする音がした。


「入れ。」


と声を掛けると、


「お礼状を書きましたので、発送前にご確認をお願い致します。」


と言ってお礼状を持った澤田が部屋に入ってきて、お礼状を机の上に置く。


それを見て俺はびっくりして、思わず澤田の顔を見あげる。


驚くほどに綺麗な字でセンスのある内容が書かれていたことに驚いたのだ。


字が汚くて、内容も最低だから自分で書くから破棄しろと言おうと思っていたが、完璧な内容にそれを言うことができなかった。


どうだと言わんばかりの顔でこちらを見ている澤田が余計に腹立たしく、午後来る客が花が好きだったことを思い出し、部屋に花を活けてもらおうと思い指示を出してみる。


お礼状を褒められると期待していたのか、俺がお礼状に対して何も言わず次の指示を出したことが不満だったのか、また不愛想な表情をして「分かりました」とだけ言って部屋を出ていく。


しばらくして、センスの良い花瓶に花を活けた澤田がやってきた。


活けられた花は午後から来る客の誕生日を調べたのか、誕生花が立派に活けられている。


何か文句を言いたいがために次々に用事を言ってみるものの、ものの見事に俺の指示に対して期待以上の仕事をして現れてくる。


そんなやりとりをしているとあっという間に午前が終わってしまった。


思った以上に仕事が進んでいない現実を目の前にすると、ちょっとやりすぎたかなと反省する。


溜まった仕事に没頭しているといつの間にか午後が始まっていたようで、澤田がドアをノックする。


中に入ってきた澤田が午後のスケジュールを確認すると、机の上に昨日と同様サンドイッチの袋を置いて、昨日と同様の台詞を言って部屋を出て行った。


紙袋が置かれた瞬間驚いて顔を上げて澤田の表情を確認するも無表情で、どういう意図があってサンドイッチを買ってくるのかが分からない。


午前中、散々用事を言いつけて嫌味を言ったのにも関わらず、何故俺に気を遣うのか理解ができない。


同時にその気遣いが妙に嬉しく、顔を緩ませながらコーヒーとサンドイッチを手に取っている自分に驚いている。


今までの秘書ではしなかった行動や仕事ぶりをする澤田に興味が湧いてきた。


何が不得意なのか、何をしたらあの無表情が崩れるのか興味が出てくる。


幸いにも社長と秘書の立場から、澤田の生態系を知るには色々用事を言いつけることで知ることが出来るだろうとも思った。


この日を境に、どうしたら鉄壁女を崩せるか色々な用事や言葉をかけてみることにした。


ありとあらゆる用事をお願いしてみてもほぼ完璧にことをこなしてくるし、嫌味を言ったり褒めてみても無表情を崩すことはできない。


最近は、藤井に見せていた表情は幻だったのかとさえ思えてきた。


冴えない女が俺の要求に対して、ただ淡々とこなしているという状況が1週間続いた。


週末の金曜日を迎える。


その日のお昼過ぎに宇佐美が部屋に入ってきた。


「おい、健太。お前澤田さんを相当ひどい扱いしているようだな。あれだけ忠告したのに、何でそんなことするんだ。」


と部屋に入ってくるなり、いきなり吠え始めた宇佐美に驚いた。


澤田が宇佐美にチクったのかと思い


「澤田がそんなこと言ったのか。」と問いかけると


「澤田さんから聞いたんじゃなくて、秘書室の連中が見て、澤田さんが可哀そうだと言ってきたんだ。俺もちゃんと確認していなかったのが悪いが、いい加減にしろ。」


澤田が宇佐美にチクったのではないと思うと、何故か安堵している自分がいた。


確かに宇佐美に言われている通り、今週は少しやり過ぎたと反省する節がある。


宇佐美は更に続ける


「このままこんな扱いをしていたら、澤田さんが辞めてしまうのも時間の問題だと思うぞ。お前も分かっていると思うが、かなり優秀な秘書だから、このまま辞めてしまって苦労するのはお前だ。いじめるのもいい加減にしろ。いい加減にしないと俺にも考えがあるからな。」


宇佐美の言葉にはっとする。


確かに、このまま澤田に辞められたら困るのは俺だ。


「いじめていたつもりは全くないが、周りが見てそう感じるなら本人もそう感じているのかもしれないな。俺もやりすぎていたところもあったから改めるよ。」


と今までの俺では考えられないような言葉が口から出ていた。


その言葉を聞いて宇佐美も心底驚いたのか目を見開いて俺を見て


「分かったなら、それでいいんだ」


とだけ言って部屋を出て行く。


その後ろ姿を見ながら、確かに澤田が辞めてしまって困るのは俺だと改めて思った。


澤田が唯一、表情を崩したのは藤井からチョコレートを貰ったときだとふと思い出す。


慌ててスケジュールを確認すると、1時間程空き時間がある。


今までのお詫びと御礼も兼ねて、澤田にチョコレートを買ってこようと思い、席を立つ。


澤田に「1時間程、外出してくる。」と声をかけてエレベーターに向かう。


エレベータを待つ間、いそいそとスマホを取り出し女子に人気で美味しいチョコレートが買える店を検索する。


俺自身、こんな行動をしていることに驚いている。


だけど、澤田に辞められると困ると思いながら、検索していると近くに動物のチョコレートを取り扱っている店を見つけた。


この店で買おうと決めると、急いで車に乗り込みお店に向かった。


可愛らしい外観のお店で一瞬入るのを躊躇してしまったが、澤田が喜ぶ顔を見たいという一心で意を決して中に入ってみる。


ふわっとチョコレートの良い香りがして、ショーケースに可愛らしい動物のチョコレートがたくさん並んでいる。


うさぎのチョコレートが目に入る。


くりっとした目に、小さい鼻がなんとなく澤田に似ていると思った。


その隣にライオンのチョコレートがある。


うさぎが澤田で俺がライオンみたいだな。


「うさぎのチョコレートとライオンのチョコ―レートをプレゼント用に包んで下さい。」


ラッピングを待っている間、ふと時計を見ると次の来客予定まであまり時間がないことの気付いた。


商品を受け取ると、急いで会社に戻った。


なんとか打ち合わせの時間には間に合い、澤田の前を通るときに買ったチョコレートがばれないように隠しながら急いで前を通る。


「おかえりなさいませ。来客まであと少しの時間ですので、ご来社頂きましたらご連絡致します。」


とちらっと俺を見て、お決まりの文句を言って頭を下げている。


相変わらず律儀な奴だと思いながら、部屋に入る。


それからは怒涛の時間で次から次へと打ち合わせ、決済書類への承認など慌ただしく、あっという間に終業時間間際となった。


澤田は残務がない限り直ぐに帰宅する。


今日は残務がないから、早めに行ってチョコレートを渡さないと渡しそびれてしまうと思い、買ったチョコレートを手に社長室から出てみる。


案の定、澤田は身の回りの整頓を始めており帰宅準備にとりかかろうとしている。


俺の姿を確認すると、整頓の手を慌てて止めて引きつったような笑顔で


「何か御用でしょうか。」


と言っている。


終業間際にめんどくさい仕事でも言われると思っているような顔だ。


そんな澤田に近付き、無言で封筒と小箱を渡した。


受け取った澤田は何を勘違いしたのか


「どなたにお渡しすれば良いでしょうか。」と聞いてくる。


何も説明せずに渡した俺も悪かったなと思いながら、


「こっちの封筒は今までのサンドイッチ代とコーヒー代をお前に返す。」


「こっちの封筒は今月のサンドイッチ代とコーヒー代。足りなくなったら言え。」


とまずは封筒の説明をする。


その説明を聞いた澤田は相当驚いたのか、くりっとした目をさらに見開いて


「ありがとうございます。ありがたくお預かりします。」


といって説明をしなかった小箱についても問いかけてくる。


「この小箱はどうすればよろしいでしょうか。」


わざわざお前のために買ったとは言いづらく、


「たまたま貰っただけで、お前にやる。週末で疲れているだろうからよく休め。」


驚いて何も言えず固まっている澤田を見て、なんだか気恥ずかしくなって、急いで部屋に戻ろうと思い、くるりと澤田に背を向け社長室に向かった。


部屋に入る前にそっと澤田の様子を見てみると、俺のことなんかより小箱の中身が気になるのかこそこそ開けている。


俺が見ていることに気付いていないようだったので、どんな反応をするのか興味があり見ていると、中身を見た澤田の顔が一瞬で緩んでみたこともない笑顔をしている。


どくん・・・・


俺の心臓が今までに感じたこともないぐらいに大きく跳ねるのを感じる。


慌ててドアを閉めて席に座る。


まだ動悸がしている。


笑顔が見たいと思って買ったチョコレートだったが、想像以上の笑顔を見て動揺している。


終業を告げるチャイムの音にもびっくりしてしまう程だ。


一度、落ち着こうと思い机の上に置いておいた水を一気に飲み干した。


空のペットボトルを見て、ようやく気持ちが落ち着く。


笑った顔は想像以上に可愛かった。


普段不愛想な顔しか見ていないから、余計にそう感じたのかもしれないが思わぬ一面を見れて嬉しかった。


恥を忍んでチョコレートを買った意味はあったなと心の中でほくそ笑んでいた。


そっと戸を開けて前室を見てみると、整理整頓された机が残されているだけで、澤田の姿は既になかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る