第6話 意外な一面
だるい。
だるい。
だるすぎる。
昨日遅くまで酒に付き合っていたせいで体が重い。
だからと言って会社を休むわけにはいかないので、重い体をひきずってベッドからでる。
のそのそと着替える。
何か食べてコーヒーを飲みたいと思って冷蔵庫を開けるも、そんな気が利いたものが入っているわけもない。
そうこうしているうちに会社に向かわなければいけない時間も近づいてきているので会社に向かう。
いつも通りエレベーターを降りて部屋に向かおうとした時、疲れですっかり忘れていた奴の姿が目に入る。
何故か心臓がどきどきする。
気付かなかったふりをして、通り過ぎようと部屋に向かうも
「社長、おはようございます。後程、本日のスケジュールの確認のため、伺わせて頂きます。」
心地よい声が耳に入ってきて、どきどきしていた心臓がもっと早くどきどきしている。
そんなことを気付かれたくなくて、何も言わず部屋に向かう。
部屋に入りドアを閉めた瞬間、緊張していたのか体の力がふっと抜けるのを感じた。
そのまま倒れ込むように席に座ると違和感を感じた。
何が違うのかと部屋を見渡すと、補充がめんどくさかったメモ用紙が補充されていたり、ゴミ箱が空になっている。
心なしか埃っぽかったところもスッキリしているような気がする。
まさか、あの秘書が朝部屋に入って準備を整えてくれたのだろうかと思っていると、ドアをノックして澤田が部屋に入って来る。
「社長本日のスケジュールの確認です。」
と言って、淡々とスケジュールの確認をする。
俺は顔を上げられず、書類を見ているふりをしながら澤田の声を聞いていた。
「本日も約束の時間前にはご連絡致します。」
そう言い終わると、届いていた郵便物と新聞とコーヒーが目に入って来る。
その行動に驚いた俺は思わず澤田の顔を見た。
今まで色々な秘書がいたが、掃除にコーヒーまで気が利いたことをしてくれた秘書はいなかった。
素直にその気遣いが嬉しくて御礼を言おうと口を開こうとしたところ、澤田が無表情で俺に話しかけてきた。
「社長がアイスコーヒーがお好きなのは昨日知りましたが、朝は暖かいものの方が良いので我慢してホットコーヒーを飲んで下さい。」
俺は御礼を言おうと思っていたが、言うタイミングを逃したような気がして御礼の言葉を飲み込み代わりに
「今朝部屋に入ったか?」
と聞いていた。
「入りました。掃除等をさせて頂きました。本日の業務が円滑に進むように準備させて頂きました。今までもそのようにしておりましたが、お気に障りましたでしょうか。」
怒ったわけでもないし咎める気もなかったのに、頭を下げられて、今した質問を後悔した。
「いや、確認しただけだ。分かったから下がれ。」
さっさと部屋から出ろと意思表示するために、新聞を手に持ち無意識に今貰ったコーヒーに口をつけた。
澤田が部屋から出て行く気配を感じた。
俺は大きく息を吐いた。
今までこんなに気を遣ってくれた秘書いなかったので感謝を伝えようと思ったのに、俺が御礼を言おうとする度に遮られたことにイラつきを感じた。
秘書が気を遣えても実践が伴っていなかったら、使えない秘書と同じだと考え直し、貰ったコーヒーを啜った。
ムカムカしていた胃が少しスッキリした。
おもむろに電話を掴むと、澤田に内線をかけていた。
「ちょっといいか。」とだけ言って電話をきる。
慌てた様子の澤田がドアをノックして入ってくる。
「失礼します。何か御用でしょうか。」
何を言われるのか構えている様子が伺える。
「海外のお客が来るからアテンドできるか。日本語はしゃべれないから英語でのアテンドが必要になる。優秀な秘書と聞いているから、それぐらい対応できるよな。」
澤田の顔を見ながら問いかけてみる。
中々答えが返ってこないので、期待外れだなと思い
「英語もできないのか。」と鼻で笑い、部屋から出ていけの意思表示で手元の書類に目を落とした。
すると頭の上から流暢な英語が降ってきた。
『英語は得意中の得意ですので、是非アテンドさせて下さい。日時を教えて頂ければ予定を空けておきます。手土産も準備しておきますので、お客様の詳細を教えて下さい。』
あまりに流暢な英語だったので驚いて顔を上げると、今度は澤田が馬鹿にしたような顔でこちらを見ている。
文句無しの英語だったので、これ以上嫌味を言うわけにもいかず
「予定はタブレットに入れておく。顧客データもあとで送っておくから、手土産リストをくれ。俺が最終的には決定する。」
と言うと、澤田は不服そうな顔をしたものの何も言わず一礼して部屋を出て行った。
英語もできたのか。
澤田にはとことんペースを崩される。
これ以上、意識していると昨日のように仕事が全く捗らず大変なことになると思い、一旦澤田のことを頭から追い出して仕事に集中することにした。
今日の午後はまた藤井が来る予定だったから、それまでにかんせいさせておかないといけない資料もあった。
集中し始めると、何のこともない。
澤田のことは頭から出ていって午前中はあっという間に終わった。
午前の就業時間を終えるベルが鳴ると、集中が途切れる。
少しだけ残っていた手元にあった冷たくなったコーヒーを飲み干す。
大きくため息をつくと、今朝の澤田のことが思い出された。
気が遣えるし、根性もありそうだ。
容姿がいまいちだけど、秘書としては今までの中で一番いいかもしれない。
気を抜くと澤田のことばかりを考えてしまう自分にうんざりしながらも、今日もお昼に行く気になれず、確認しなければいけない書類に目を落とす。
集中できず、時計ばかりが気になる。
昼休みがあとどれぐらいで終わるのか気になってしょうがない。
ようやく昼休みが終わる時間になり、ベルが鳴る。
同時にドアをノックする音がする。
俺は慌てて書類を見るふりをする。
「失礼します。午後の予定確認をさせて頂きます。」
そう言って澤田げ部屋に入って来る。
昨日と同じように淡々とスケジュールの確認を終えると
「それでは失礼します。前室におりますので、ご用がありましたら、お呼び付け下さい。それから、食事をとらないと血糖値が下がり仕事の効率も下がります。眠くならない程度に軽めのサンドイッチを買ってきましたので、お召し上がりください。」
昨日と全く同じ台詞を言って部屋を後にした。
待ちに待っていたはずなのに目を合わすことなく、さっさと出て行ってしまったことに一抹の寂しさを覚えながらも、昨日と同じコーヒーショップの袋に手をかけていた。
昨日と同じくサンドイッチとコーヒーが入っている。
サンドイッチの包みを開けると昨日はハムサンドだったが、今日はタマゴサンドだった。
飽きないようにと気を遣ってくれたことを感じ、頬が緩むのを感じる。
なんとも言えない温かい気持ちになり、サンドイッチとコーヒーを飲む。
今朝から何も食べていなかったので、胃に物が入ったことで一気に気力が回復されていくのを感じる。
直ぐに藤井が来るから、ゆっくり食べているわけにもいかないと思いながらも一口一口大事に食べる。
食べ終わって、コーヒーを飲もうと手を伸ばした時に内線が鳴る。
ふと時計に目をやると藤井との約束の10分前だった。
澤田から打ち合わせの10分前だから、準備をしろという連絡だった。
慌ててサンドイッチのゴミを片付けて、今から使う資料を用意する。
藤井がきたという連絡がきたので、今日は出迎えてやろうとドアに向かおうとしたところで、澤田の嬉しそうな声が耳に入る。
「ご足労ありがとうございます。こちらへどうぞ。」
「葵ちゃん、こんにちは。」
藤井が澤田のことを葵ちゃんと呼んだことも気に入らなかったが、嬉しそうに反応している澤田がもっと気に入らない。
俺はイライラしながら二人を睨んでいると、藤井と目が合った。
少し笑ったかと思うと、澤田に向き直って
「葵ちゃん、これあげる。今日貰ったんだけど、俺甘いものが苦手でさ。」
そう言いながら、小箱を渡している。
二人はいるいらないの押し問答をしていて、最終的には受けとって御礼を言っている。
いらないと言っていた割には嬉しそうにしている澤田が気に入らない。
藤井も満面の笑みで澤田と話している。
二人がこっちに向かってくるので思いっきり睨んだが、藤井は気にもしていない様子で部屋に入ってきて席に座っている。
何事もなかったように「昨日の続きだよな。早く始めようか。」と話しかけてくる藤井に
「会社で葵ちゃんはないだろ。俺の秘書なんだから、気安く名前を呼ぶな。」
「そうだったね。あんまりにも葵ちゃんが可愛いから、会社なことも忘れて話しかけちゃったよ。」
「あいつが可愛いわけないだろ。お前どうかしてるぞ。とにかく葵ちゃんと呼ぶのもダメだし、物を渡すのもダメだ。俺の秘書だから、場をわきまえ行動しろ。」
「お前の秘書なのはよく分かってるけど、俺が何と呼ぼうと物を渡そうと俺の勝手だ。健太に指示される筋合いはないよ。」
と笑いながら俺を見ている。
その態度が頭にきて、思わず大きな声を出しそうになったときドアのノックして澤田がコーヒーを持ってきた。
「失礼します。コーヒーをお持ちしました。」
「葵ちゃんありがとう。さっきのはチョコレートだから疲れた時に食べるといいよ。」
さっきあれだけ葵ちゃんと言うなと言ったのに、藤井は全く聞く気がないようだ。
澤田は俺の存在なんか気にも留めていないのが気に食わなくて、俺にコーヒーを出そうとしている手を止めて
「さっき買ってもらったのがあるから、俺はいらない。お前が飲め。」
と言っていた。
藤井ばかり気にせず、俺の存在も気にして欲しかった。
その言葉に藤井が反応して
「武、葵ちゃんにコーヒー買ってもらったのか?!」
藤井が驚いた顔で俺を見ている。
藤井の顔を見て、今言った言葉を後悔した。
何故こんなことを言ってしまったのか、後悔しても言葉を引っ込めることはできない。
言ってしまったのはどうしよもなく、引っ込みもつかなくて
「そうだ。悪いか。ここは会社だから葵ちゃんはやめろ。コーヒーはもういいから下がれ。」
開き直って、澤田を部屋から追い出す言葉で締めくくった。
澤田は状況を理解したのか、慌てて部屋から出て行く。
「健太、面白い顔してるよ。」
と俺をからかうような顔をしている藤井に腹が立ったが、更に次の言葉を聞くともっと腹がたった。
「葵ちゃん、本当に可愛いね。さ、昨日の打ち合わせの続きしようか。」
「澤田が可愛いわけないだろ、あんな地味女。手を出すのはやめとけよ。」
と言うも藤井はこの話について、これ以上話すつもりもないようで
「さ、昨日の続きだけど、この図面について社内で打ち合わせして・・・」
と何事もなかったかのように、仕事を始める。
男の俺が見てもかっこいいし、仕事もできるし、俺と違って気遣いもできる。
澤田もこういう男に惹かれるのかな、、とぼーっと考えていると
「おい、健太聞いてるか。」
という藤井の声で現実に戻る。
慌てて「ごめん、なんだっけ?」と聞きなおし、そこからは仕事に集中した。
あっという間に時間は過ぎ、昨日やり残したことをほぼ終えたところで藤井が席を立つ。
俺も後に続いて部屋から出ると、満面の笑みで澤田が立っている。
「お疲れ様でした。宝石のようなチョコレートありがとうございます。大切に食べますね。」
「葵ちゃん、宝石みたいって可愛いこと言うね。女の子は甘いものが好きだよね。また貰ったら持ってくるね。」
エレベーターに向かって歩く藤井の後をちょこちょこ追いかけている。
何もかも気に入らない。
藤井が乗ったエレベーターの戸が閉まった途端、笑顔だった澤田が一瞬で真顔に戻る。
これも毎回気に入らない。
何故藤井には愛想よく振舞うのか。
「チョコレートをもらったぐらいでへらへらせず仕事しろ。」
感情に任せて澤田に言葉を投げかけると、これ以上同じ場にいるもの嫌で部屋へ向かった。
部屋に戻って、あの態度の差を思い出すと余計腹が立ってきたが、今日はこんなことばかり考えてるわけにもいかないほど仕事が山積みだった。
とにかく仕事をこなして気付いた頃には定時をとっくに過ぎていて、部屋から出るともちろん澤田の姿はなかった。
男に愛想ふりまくような奴は秘書として最低だなと思いながら、誰もいない澤田の席を睨みつけて家に帰った。
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