第16話

 つくづく篠田蒼介は杉野小春の一挙手一投足に苛立ちにも似た感情を覚える。だからこそ芝居では打ちのめしてきた。それが彼女に対する最大の敬意であり、最大の攻撃だと思ったからだ。

 しかし、彼女の方がやはり少し異端のようだった。

「なるほど...恋ねえ、それ、あくまでも芝居でって意味?それとも言葉の通り?後者だとしたら、俺受け止めきれないけど」

 蒼介の言葉に杉野は信じられないほど真っ直ぐに答えた。

「もちろん前者です。芝居のためにあなたに恋します。変な誤解を生まないために、一応言っておいた方が良いと思いまして」

 蒼介は笑みを絶やさずに言葉を突き放す。

「わかった。了解しておくよ」

「それは良かったです。じゃあ、連絡先聞いても良いですか?」

「...いいよ。教えてあげる」

 携帯を鞄から取り出し、操作して彼女に連絡先を教えた。彼女はそれを笑顔で受け取る。

「ありがとうございます。じゃあ、また後で」

 ぺこりと頭を下げて彼女は黒木に呼ばれて舞台の方へ戻っていった。

 舞台の上に立つ彼女の姿を見る蒼介の顔には変わらず笑顔を貼り付けていた。しかしその内側で感情がざらざらと肌をなぞりうっかりその笑顔が壊れそうになった。

 杉野小春。橘八千代の最後の舞台に大抜擢された新人。その実情はやはり恐ろしいものだった。

 高い演技力はそこらの役者たちより何倍も上だと言っていいだろう。彼女のような人間がどうして今まで出てこなかったのかと問いたくなるくらいだ。それに加えて歌唱力も高いという。実際に聞いたことは墨田の曲が遅れているせいでないが、そのうち聞くことになるだろう。

 確固たる実力で選ばれた役者。それが杉野小春だった。

 だからこそ、素直に彼女に向き合うことができなかった。

(腹が立つ...)

 彼女のような存在がとても嫌いだ。だからこそ毒を吐いた。大人気ないのはわかっていたけれど、どうしても彼女のような存在を前に冷静に対応することができなかった。

 彼女は今、舞台に立っている。稽古場の仮設の舞台の上だ。けれど、紛れもなく彼女は舞台の上にいる。観客席が全て埋まった大きな劇場の舞台。そこに立つことが許されている人間が、蒼介には眩しくてたまらなかった。


「にしても、よく言ったものよねー。あんなに堂々と『あなたを好きになります』なんて、少女漫画か!」

 本日の稽古が終わり帰ろうとしたところを佐伯に止められた。駅まで一緒に行こうと言われ、断るわけがなかった。

「好きになるというか、恋をしますですけど...」

「おんなじようなもんよ。いくら芝居のためとはいえ、そんなこと嫌いな人に言えないわ」

「はは...」

 確かにそう言われてみるとその通りだ。嫌いな人間に好きと言うなんてたちの悪い罰ゲームそのものじゃないか。

 別にそんなつもりで彼に告げた訳ではない。むしろとても真っ当な理由で彼に恋をすると決意しただけである。それ以上もそれ以下の感情もないし、この舞台が終わればその感情にも終わりがくる。あくまでも小春と桜が重なる今の時期だけ限定の恋である。

 小春は隣を歩く佐伯を見上げた。彼女は寒そうに肩をすくめ、そんな彼女に小春は問いかけた。

「静香さんは篠田さんのことどう思いますか?付き合い長いんですよね?」

「んー...私もよくわかんないかな」

 佐伯は遠くを見つめそう呟いた。

「わからない?」

「うん。まあ、見た目に反して性格悪いっていうのは事実なんだけど...なんていうか、腹の底までは見せてくれないっていうのかな。それがあいつの距離感なんだろうけどね、ちょっと寂しいかなあ...みたいな」

 佐伯は20代の頃に篠田と知り合ったと聞いた。となれば付き合いはそれなりのものだろう。にも関わらず、彼女でも見えないものがあるとなれば今小春が見ている篠田蒼介はその本当に上澄みだけなのではないだろうか。

「小春ちゃん、厄介なやつを好きになったかもね?」

「前途多難、ですか?」

「そんなもんよ、なんであれ恋愛は」

 路地を抜けて表通りへ出た。目の前には駅が見えた。

「んじゃ、小春ちゃんまたねー。私はちょっと本屋寄って帰るから」

「はい。お疲れ様です、ありがとうございました」

 手を振って別れた後、小春は駅へ向かって歩き出した。比較的空いていた電車に乗り、ヘッドフォンで音楽をかけた。

 耳元で流れる音楽は最近流行っている失恋した男女を描いた楽曲。今までは流して聞いていた曲も今は少し自分の身に落とし込んで聞くことができる。

 知りたいと思う。たとえそれが純粋な恋ではなくても、小春は篠田蒼介という一人の人間のことが知りたくてたまらなかった。

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