第6話
第二幕。
第二幕は初舞台から5年後、20歳になった桜から始まる。
『初舞台から5年がたち、私は舞台女優としてその名を轟かせた。「劇団サクラ」では常に主演を張り、その地位を確実なものにしていった。憧れた舞台の一番輝く場所で誰かの人生を生きる。すごく嬉しかったし、充実した日々だった』
桜は階段を駆け下りる。
『でも、誰かの人生を生きるたびに自分の中から何かが剥がれ落ちていく感覚に襲われた。演じるのはすごく楽しくて、舞台の上では満たされていくのを感じるのに、舞台を降りた途端に、急に、突然、胸のあたりが空っぽになっているような気がするの』
桜は先ほどまで自分がいた舞台を見上げる。
『芝居は私の人生よ。手放す気なんて微塵もないわ。でも、ふと思うのよ。もし、芝居をなくしたら、私はどうなってしまうのかって。舞台上にいない私がとてつもなく不安なの。私を支えてるのは芝居、それをしていない自分は、自分じゃない』
舞台上にある照明、桜にあたるスポットライトのみ。
『でも、日に日に自分に向けられる喝采や賞賛が苦しくなってくるの。でも、私は芝居を世界で一番愛してる。他の何かで埋め合わせることなんてできなくて、心の中にそういう痛いものがずっしりと積み重なってる。もう、どうしたらいいかわからないの』
暗転。場面は稽古中の劇場へ。
『それじゃあこの部分通してみましょうか』
『はい、よろしくお願いします』
『それじゃあ、桜さんのセリフから』
照明再び桜に集中。
『「私の人生は私のものよ!自分で選んで、自分の足で進んでいく...だってそれが...」』
桜、セリフが詰まる。
『?桜さん?』
『...ごめんなさい、ちょっとセリフがとんでしまって』
『ああ、そうですか。いやぁ、桜さんでもそういうことあるんですね!』
『ええ...それはそうよ、私だって人間なんだから』
『いやいや、何をおっしゃいますか!「カオウ劇場」の「劇団サクラ」の絶対的な存在なんですよ桜さんは!』
『...そんなことないわ。私なんて、まだまだ未熟よ』
『いえいえ!そんなことありますって。世間からの評価を見てください、「劇場に吹き荒れた桜吹雪」、「『カオウ劇場』の一本桜」、「彼女こそが女優」!』
『やめて...やめて!私は、私はただの人よ!ただの桜よ!』
『え、ちょっと!桜さん!?』
桜は稽古場から駆け出した。
場面は桜が一人街を駆け抜けていく。走りながら桜のモノローグ。
『私は走った。行くあてなんかどこにもなかったけれど、走ることしかできなかった。今こうしている間も、きっと私は「女優の桜」。あの日、初舞台に立ったあの日から私はずっと女優のまま。等身大の私に戻れたことなんて一度もなかった。いつも芝居のことを考えて、夢でも舞台に立っていた。楽しかったはずなのに、嬉しかったはずなのに、舞台に立つのが日毎怖くなる。とちらないように、完璧に役を生きなくちゃって思えば思うほど体じゅうを棘で覆われているような気分になった。私はもう、「桜」に戻りたかった』
桜、足を止める。
『もう限界よ。舞台には立てないわ』
桜、周りを見渡す。
『ここは...どこかしら。それに私、変装道具を持たずに出てきてしまったわ。誰かに見つかりでもしたら大騒ぎになってしまう』
桜は来た方向を振り返り、駆け出そうとする。
『早く帰らないと...でも、道がわからないわ』
『「カオウ劇場」の桜?』
桜、上方よりした声に振り返る。そこには一人の青年がこちらを見下ろしていた。
『やっぱりそうだ、本物!』
『人違いです。それじゃあ私はこれで...』
『いいや間違いないよ。桜さんでしょ。あんたみたいなすごい女優さんが、どうしてこんな寂れた路地にいんの?』
『それは...ちょっと道に迷ってしまって』
『おお、やっぱり本物だ』
『あ、あなた、さっき間違いないって...』
『はったりだよ。上からじゃ顔もよく見えないしね。でも、やっぱり本物だった』
『...帰ります』
『ああちょっと待って!迷子なんだろ?案内してやる。今降りるから、ちょっと待ってて!』
青年は一度引っ込む。桜はその隙に歩き出そうとしたが、足が止まる。
『お待たせ!お、ちゃんと待ってた』
『道がわからないんだから、待つしかないわ』
『そっかそっか。じゃ、行こうか...ってああこれあげるよ』
青年はポケットから出したものを桜に渡す。
『これは、眼鏡?』
『あとこの帽子も。今最も輝く女優がこのまま街に出たら大変だろ?』
『...ありがとう』
場面切り替え。桜は青年に手を引かれ街に駆け出していく。桜のモノローグ。
『青年は私を街に連れ出した。道を案内すると言っておきながら彼は喫茶店や公園、景色のいい丘に私を連れて行った。素直に案内しないことに腹が立ったのは最初だけだった。彼にあちこち連れ回されるうち、私の周りに絡みついていた棘はいつの間にか姿をなくしていた』
二人、足を止める。場面は夕焼けの鉄道の前。
『この電車に乗って劇場前で降りれば帰れるよ』
『ありがとう。助かったわ。後日改めてお礼をしたいのだけれど、名前を聞いてもいい?』
『守。君が最初にいた場所で物書きをやってる』
『そう。必ず、必ずまた会いに来るわ』
二人は静かに分かれる。
場面切り替わり、劇場へ。劇場には共演者とスタッフが桜の帰りを待っていた。
『桜さん!』
『帰ってきた...良かった』
『心配しましたよ』
『ごめんなさい。ちょっと疲れてたの、でももう大丈夫よ』
『僕たちもごめんなさい。桜さんに任せっきりでした。舞台はみんなで作り上げていかなきゃいけないのに...』
『これからはみんなで、ですね!』
『そうね。「カオウ劇場」は「劇団サクラ」のための劇場だもの。劇団のみんなが輝かなければ、劇場のためにはならないわ』
桜のモノローグ。
『結果的に私が逃走したことによって劇団の絆は強まった。それも全てはあの青年、守さんのおかげだった。彼があの時ただの「桜」の景色を見せてくれたから劇場に帰ることができた。私はその後も彼に会いに行った』
場面、路地へ。桜、舞台上方に向かって語りかける。
『この辺に物書きさんがいるって聞いたのだけれど、今日はいらっしゃらないのかしら』
桜の声に守が顔を出す。
『今日は予定があるんだ。ある女優さんと約束があってね。稽古はいいのかい?それとも、また抜け出してきた?』
『いいえ。もうそんなことはしないわ。今日はちゃんとあなたに会いにきたの』
『そりゃあ嬉しいね。上がってきなよ、いいものを見せてあげる』
『?何かしら』
桜、守のいる階へ上がる。
『ほら、目の前に見えるだろう』
『あれは...「カオウ劇場」!』
『そう。ここから劇場が見えるたびに勇気をもらってる』
桜、部屋に置かれている原稿用紙を取り上げる。
『どんなお話を書いてるの?』
『今は男女のロマンスを書いてる。ある売れない作家の男が一人の女性に恋をするんだ。でも、彼女は国を代表する女優で手が届きそうにない。それで作家は彼女が立つ舞台の脚本を書くことで彼女と会おうと決意して...っていう感じ』
『...それで、結末はどうなるの?』
『まだわからない』
守、桜を見つめる。
『君がいれば、書ける気がするんだけど』
ここで歌。他の場所は未定かつ変更の可能性あり、しかしここは既に決定、絶対に必須。
歌唱終了。守と桜は再び別れる。二階と一階へ。
『いつか君の舞台に行くよ。脚本家として』
『ええ。劇場で待っているわ』
場面暗転。桜のモノローグ。
『あれから3年が経った。私は変わらず「カオウ劇場」の中心に立ち続けた。それは一つの夢を叶えるため。そして今、その夢が叶う時がきていた』
守、舞台上へ。その手には台本が握られている。マスコミの語り。
『「カオウ劇場」、待望の新作は至上のロマンス!』
『作家と女優の身分違いの恋、その結末やいかに!』
桜、舞台上へ。
『やっと来れたよ』
『随分かかったのね』
『そうかい?君を書くには3年でも短いくらいだ』
『じゃあ、どれくらいあれば十分?』
『そうだなぁ、一生あれば書き上げられるかな』
守、桜に近寄る。
『これから死ぬまでのほんの少しの間、一緒にいてくれるかい?必ずいい作品にするよ』
『ええ、もちろんよ』
舞台、暗転。拍手と歓声が響き渡る。
第二幕前半終了。
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