第44話 魔人出現
「待って」
屋敷に踏み込もうとした健たちを、春瑠が止めた。
「屋敷の中は危険すぎる。様々な仕掛けと大勢の敵が控えている。しかもおぞましい強さの結界に覆われているから、入ってしまったら出ることは難しい」
「なるほど。戦において、敵が罠を張った場所への突撃は愚策の最たるもの。であればどうする」
現役の将軍らしく、春瑠の言葉を聞いて梨音が作戦を考え始めた。
健たちが梨音の答えを待つ中、康三が悪い顔で梨音の思考に割り込んだ。
「あれをやったらどうだ。あの手の結界は、中に入ってからそれを破るのは難しいが、逆に外からなら斬れるんじゃないか」
康三の提案に、梨音が考え込む。その様子を見て、軽い口調であれなどと言っているが、実は結構たいへんなことをやろうとしているのかと、健は大きな期待に若干の不安を混じらせながら、梨音の動きを待った。
「私の周りから離れてください」
梨音が皆に警告して、両足を肩幅に開き、両手をだらんと身体の横に下ろして、屋敷に向かって正対した。刀は抜いてないから居合いか。梨音の身体の外に漏れ出す武気がどんどん大きくなる。健はゴクリと唾を飲んで、圧倒されそうな雰囲気を堪えて腹に力を込めた。
梨音が刀の柄に手をかけると、身体全体から漏れていた武気が左手に集中し始め、そのまま刀に向かって注ぎ込まれた。梨音の刀が鞘ごと青白く光る。輝きが眩しくて目を細めた瞬間、刀身が地面に振り下ろされていた。刀がいつ抜かれたのか、どんな軌道をとったのか、まったく捉えることができなかった。あれほど大量に込められていた武気が、振り下ろされた刀からは全て消えていた。
ズズズと地滑りのような音が周囲に響いた。観世屋敷が四つに割れて、屋敷の上半分がゆっくりと左右に滑り落ちていく。
斬ったのだ。梨音は屋敷を上下左右に両断したのだ。もちろん梨音の刀の長さで、この巨大な屋敷を斬ることは不可能だ。極限まで集められた梨音の武気が刀身から伸びて、切れ味の鋭い刃物となって結界ごと屋敷を切断した。
「健、燃やせ」
梨音が肩で息をしながら、健に向かって叫んだ。
健は梨音の言葉が終わらないうちに反応し、四つの火炎玉を続け様に放ち、四等分された屋敷に火をつけた。結界が消えた屋敷はよく燃えた。中で待ち伏せしていたはずの敵の姿はない。梨音の武気の高まりは、中にいても察知できたはずだ。あるいは斬激が来る前に脱出したのかもしれない。
黒煙を吐きながらみるみる壁が崩れ落ちていくが、煙が視界を遮って中の様子がよく見えない。
「太郎、頼む」
太郎が両手を上げて、天を睨んだ。太郎の身体から放たれた武気が天に向かって伸びると、屋敷の真上に巨大な氷が出現した。そのまま屋敷を直撃すると、大量の水蒸気を発して、猛威を振るっていた火炎がたちまち鎮火する。
半壊した屋敷から現われたのは、涼しい顔で微笑む観世黒雪だった。梨音の斬激や健の火炎に対しても、傷一つ追うことなく、黒雪の周囲だけそのままの状態を保っている。健の脳裏に、以前黒雪と対峙したときに感じた恐怖が蘇った。
「あれは何だ」
太郎が黒雪の背後の柱を指さす。二間ほどの高さの巨大な二本の柱は、頂点の間に横木が渡され、横木からは四本の鎖が垂れて、その下には両手に鎖を巻かれた人が吊されていた。四人は武気を吸い上げられて、衰弱しているように見える。
「観世の力の根源か」
このまま身体から全ての武気を吸い上げられて、三日もすれば四人は衰弱死するのだろう。力の根源が、人の命を吸う魔具だと分かり、康三が怒りを露わに奥歯を噛みしめた。
「あれ。あれは死兵を操ってた女の人だ」
健が四人の一人を指さす。
「観世黒雪、その女はお前の身内ではないのか?」
梨音が怒気を押さえて、低い声で訊く。黒雪は美しい顔に上品な笑みを浮かべたまま、梨音の問いに答える。
「その通りだ。死兵が通用せぬことが分かり、我が妹亜玖璃は兄の為に自ら進んで人柱にその身を捧げた」
身内すら野望の犠牲にする黒雪の冷淡さに、春瑠と碧の顔が青ざめていた。太郎が身体を震わせながら叫んだ。
「いったい、いったい何人がこのばかげた人柱に命を吸われたんだ」
「既に千は超えている。幸い船橋にはたくさんの人が流れ込んで来るから、吊す者には困らなかった。徳川の本拠が江戸に移ってしまったから、これからは攫ってくる手間が増えてしまうが」
いったいどれほどの武気が流れ込んでいるのだろう――黒雪の身体からは漆黒の武気が溢れ出している。冷淡な顔が勝ち誇るように美しさを増していく。
「魔人と化してしまったか。ならばわしがお前の命脈を絶ってくれる」
康三が左腕に取り付けた仕掛け矢を黒雪に向け、今まで健が見たこともない武気をそこに流し込み始めた。銀色の矢が輝きを増していく。
「終わりだ!」
放たれた矢は黒雪ではなく、人柱の横木に向かって音速を突き抜けた。
ガシーンと大きな音が周囲の空気を震わしたが、人柱は傷一つつかずにおぞましい姿のままそこにあった。矢は力なく人柱の前に落ちる。
それを見て、皆の顔色が変わる。梨音の斬激、健の火炎、康三の渾身の一矢も、人柱に傷一つつけることができない。絶対的な力の前に無力感が漂う。
「何度やっても学習しないな。お前たちの攻撃は全て無駄。千人の命を吸ったこの人柱には、ちっぽけな人の力が及ぶところではない。これから万の命を吸わせることによって、神の力さえも超えていくだろう」
「驕るな。お前の野望を阻止するまでは、我々は決してあきらめない。」
勝ち誇る黒雪に対し、康三は珍しく闘志をむき出しにした。
「お前たちはなぜ徳川の支配を拒む。この日の本を統べる者が、豊臣だろうと徳川だろうと自連にとってはさしたる違いはないだろう」
「徳川は民を支配しようとしている。豊臣は武力面での統制は行うが、商いに関しては自由だ。己の頭脳一つで大きく成ろうとする意思を詰んだりしない。観世の力を使った徳川の統治は、それを踏みにじった先にある」
徳川の統治についての是非は、自連の議員たちに康三自ら加わって、導き出した結論だ。例え命の危険があったとしても、容易に覆ることのない信念に成っている。
黙って聞いていた梨音が口を開いた。
「観世黒雪、妹までも生け贄にするとは、そんな悪魔のような業を背負ってまで、何がお前を突き動かす」
「彗星が教えてくれた」
黒雪の口から彗星という言葉が出て、健は身を固くした。健たちに不思議な力を与えた彗星。それは京の帝が呼び寄せたもの。観世黒雪も彗星によって力に目覚めた一人なのか。
健と同様に梨音の顔色も変わった。
「彗星とは、本能寺の前日に現われた巨星のことか」
「そうだ。私は浜松で夜空を見上げていた。すると彗星が流れてきて、私に囁いた。今から大きな力を与える代わりに、この世に二人といない尊いお方の為に世を正せと。お前たちもその力は彗星に与えてもらったものだろう。聞いてないのか彗星の言葉を」
梨音たちが持ってる力は確かに彗星の出現によって得た力だが、誰も彗星の囁きなど聞いていない。同じ力でありながら本当の出所は違うのかもしれない。
「彗星の囁きなど聞いてはいない。聞いたとしてもお前たちの企みには賛同しかねる」
梨音の決意を聞いて、黒雪が薄ら笑いを浮かべた。
「よかろう。だが、お前たちは大切なことを見落としてないか。この屋敷に潜んでいた裏観世五十名はどこに消えたと思う」
確かに、焼け落ちた屋敷内にはまったく死体が見当たらない。いったいどこに行ったのかと思案すると、健は嫌な予感にぶるっと震えた。
「まさか、門の外で待つ明日海たちを――」
「お前が考えるとおりだ。あの厄介な歌は今日を限りに消えてもらう」
黒雪のつぶやきは悪魔の声のように聞こえた。
どうするか迷っていると、康光の声が響く。
「梨音、太郎、碧はすぐに門まで戻ってくれ。ここはわしと健でけりをつける」
康光の顔には、自分の手で黒雪を仕留めるという断固たる決意が浮かんでいた。それを見て梨音は多くを語らず、門に向って走り出した。太郎と碧がその後に続く。
「ムダ、ムダ。戦力を分散してこの私に勝てると思っているのか」
黒雪が謡を口ずさむと、竜巻が巻き起こり康光たちを襲った。健は咄嗟に炎で壁を作り、竜巻にぶつける。炎と竜巻が激突し、互いに力を相殺して消滅した。
力をふるって肩で息する健に春瑠が叫んだ。
「健、危ない」
炎と竜巻がぶつかり合った空間を貫くように、水流が槍のように突き出された。
健はよけきれず、水流は腹を直撃した。春瑠が発した声に反応して、かろうじて腹を武気で固めたが、水流の勢いに押されて、健は後方に吹っ飛んだ。
健が致命傷を負ってないのを確認し、康光が仕掛矢を連射するが、これもまた黒雪の身体に届くことなく勢いを失って地に落ちた。
「あの人柱から、限りなく力が黒雪に注ぎ込まれてる。人柱の機能を止めない限り、黒雪を傷つけることはできない」
春瑠が、攻撃対象が違うと、康光に向って叫ぶ。健は痛む腹を抑えながら、攻撃の手段を見出せなくて呆然と立ちすくんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます