第42話 再び修羅へ
いつも怜悧な表情で隙のない三成が、口をあんぐりと開けたまま、思考が止まってしまっているので、勝悟が見かねて口を出した。
「三成殿、あまりにも予想外の事態が起き続けたので、もしかしたら我々に対しても疑いを持たれてませんか」
それを咎める風でもなく、穏やかな表情で訊く勝悟と対照的に、三成は内心の焦りを悟られまいと顔にグッと力を込めた。
それを見て勝悟は三成の言葉を待たずに続けた。
「ここにかの者を呼んだのは、あのときに関東に起きていた状況を、当事者の口から聞いて欲しいと思った次第です」
「なぜ、乱の首謀者がここにいるのですか?」
三成はそれを聞くまでは、他には話をそらさないと言わんばかりに、強い口調で要求した。それに対し、勝悟は少し思案顔で伊蔵を見た。
伊蔵は頷きながら、三成に向かい
「分かりました。少し順序が逆になりますが、ここに来た顛末からお話しさせていただきます」
と答えて、それからしばらく口を閉ざして考えた。
「徳川軍に川越城を攻められ、俺は進退に窮して、女房の加代と一緒に城外に逃げ出しました。そこで俺たちを追ってきたのが、共に旗揚げした周でした。俺は始め一緒に逃げるつもりで追って来たのだと思ったんですが、実は違いました。周は元々裏観世と名乗る一派の一人で、俺を旗揚げさせて北条を滅ぼすために近づいたんです。北条を滅ぼした後、用済みになり、俺を一揆の首謀者として処刑するために追ってきました。そこを自連の梨音さんと太郎さんが助けに来てくれて、そのままここに匿ってもらいました」
伊蔵はポツポツと詰まりながらも一気にしゃべりきった。
三成が理解できるかは二の次に、まずは自分の身に起こった真実を、間違わぬように慎重に話した。それを聞いた三成の灰色の脳が、超高速で働き始める。
しばし思案した後、すっかり落ち着いた三成が口を開いた。
「そなたが、嘘をついてないことはよく分かった。今聞いた話は全て真実として、わしから質問させて欲しいのだが、良いか」
「もちろんです」
自分が信用されたと分かり、伊蔵は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「今の話では、義国党一揆は裏観世によって蜂起を仕向けられたと理解できるが、なぜそう思うのかが知りたい。そのためには、そなたたちは、どんな思いで蜂起するに至ったのか、そこから確かめねばならぬと思った」
勝悟が思わず氏真と顔を見合わせた。
その顔は、順序は逆になったが、三成が一番理解できる形で話を始めることができたと、安心したように見えた。
「一揆の始まりは、俺の兄貴の死から始まりました」
間違えないようにと慎重に言葉を選ぶように、再び伊蔵が話し始めた。
「当時、川越を治めていた大道寺様は外交調停で国境を飛び回っていて、いつも領内を不在にしていました。代わって領内を治めていた家老が不正を働き、年貢の一部を着服していたのです。最初、兄貴は商売の関係者を頼って、氏直様に訴えようとしましたが、なんと氏直様は亡くなってしまいました」
その話を勝悟は、友野家から聞いて知っていたので、事実だと三成に軽く頷いてみせた。氏直の急死は三成もよく知るところだ。
「俺たちは途方にくれましたが、兄貴だけは冷静に考えて、手討ちされることも覚悟で大道寺様に直訴しようと旅立ちました。その途中で、兄貴は代官の手により殺されてしまったのです。それだけではありません。兄貴の死で呆然としていたところに、加代が代官の息子に手籠めにされてしまったんです。もう俺は頭に血が上って何が何だか分からぬうちに、代官所の襲撃を決意しました」
三成の胸の内に何とも言えない違和感が広がってゆく。役人の不正はあってはならないことだが、相当厳しく取り締まっても完全に消すことは難しい。つまり、ある程度民も耐性があるはずだ。また伊蔵の周りで起きたできごとは、確かに悲惨で同情に値するが、激情で蜂起して相武二国を領する北条が滅ぶほど民が集まる理由としては弱い。
かって加賀で一揆勢が勝利できたのは、守護の富樫氏の内紛が同時にあったことと、一向宗という第三勢力が組織作りや戦闘指導で、大きく貢献したことによる。
見たところ中田以蔵は正直そうな若者だが、とても国を亡ぼすほどの勢力を、糾合できる器量があるようには見えなかった。
本当にこの若者を
それを口に出そうとすると、勝悟が察したのか首を振ったので、そのまま伊蔵が話を続けるのに任せた。
「代官所の襲撃はなんとか成功しました。すると百人に満たなかった仲間がどんどん増えていって五千になり、さらに川越城を落とすと何万という大軍になり、小田原城をも落とすことができました」
「そなたは、なぜそんなに民が集まったのか、理由は分かっているのか?」
「実はよく分からないのです。ただ、みんな口々に正義を為せと叫んでいました。だから周がそういう風に皆を説いたのかと思っていました」
「周とは誰だ」
三成が問いただすと、伊蔵は驚いて話すのをやめた。まじまじと三成の顔を見て、それから改めて話し始めた。
「俺の代わりに一揆の首謀者として、首を晒された者です。周こそこの一揆の陰の大将でした。俺は今では、ただ周に踊らされただけのような気がします」
「その男が裏観世の者だったのか」
「あっ、その通りです。裏観世だと言ってました」
「なるほど、裏で暗躍した勢力は裏観世か。では裏観世もしくは観世流には、昔の一向宗と同じ力があるということか」
三成はそう言って考え込んだ。伊蔵は質問が止まったので、何を話したらいいのか分からなくなって無言になった。
「三成殿、もういいでしょう。この者からから聞けることはもうない」
勝悟が伊蔵に下がるように言った。伊蔵は大役を済ませたという顔で、部屋を出て行った。
三成は伊蔵の姿が消えると、すぐに勝悟の方に向きなおした。
「観世流は、今徳川の庇護下にありましたな」
「そう。裏観世が観世流と結びついてることは、我々が船橋で確かめている」
「となれば、この乱を裏で糸引いたのは内府ということになるな」
「それはまだ分からぬ。内府殿の側近、本田正信などが独断で行っているだけかもしれない。だが三成殿に意識して欲しい重要なことが二つある」
「一つは内府の勢力の拡大でござるな。だがどんなに大きくなっても、豊臣譜代の大名を全て合わせれば、徳川の四倍近い。さらに外様の前田、毛利、上杉が豊臣に合力すれば、以下に内府とて戦にならぬであろう」
三成は家康の反乱など心配無用とばかりに、笑顔を見せた。だが一方の勝悟と氏真、そして太郎までが難しい顔をしているのを見て、笑うのをやめた。
「何を心配しておる」
「関白殿下が亡くなって、家康が健在としても同じことが言えるか?」
「何を――」
言いかけて、三成の口が閉じられた。秀長没後、三成たち官僚組と福島正則を頭とする武断派の争いは激化している。条件が変わることは確かだ。
「しかし、いくら武断派が我らを憎んだとしても、まさか内府が有利になる選択をすることはあるまい」
三成は勝悟にというより、自分に問いかけるように否定した。
「本当にそうなのかな」
勝悟があっさりと、否定を含んで問いかけると、三成は答えられずに唾を飲んだ。
「わしには、そう思いたい理由さえあれば、内府こそ真の律義者と、自分に言い聞かすのが人だと思うぞ。そして武断派の者には理由がある」
「それほど、わしが憎いのか」
三成はがっくりと肩を落とした。
確かにそれほど仲が良かったわけではないが、それでも本能寺の変以来、秀吉を天下人にするための同志と思っていた。いつの間にそれほどの距離感が生まれたのか、自分でもよく分からなかった。
「だがあと十五年、時があれば、鶴松様が元服されて戦場に建てる。そのときは秀次殿も補佐されるはず。そうなれば豊臣もまとまるであろう」
三成が最後の希望をかけて、祈るように勝悟に同意を求めた。
対して勝悟は薄く笑った。
「確かに、人の寿命とは予測できぬもの。都合よく三つが揃えば分からぬのう」
それは誰に向けて言った言葉かよく分からなかった。
「それよりも、もう一つ知っておいてもらわねばならぬことがある」
勝悟が真顔で三成に向き合った。
三成はまだ、前の会話が気になるようだが、勝悟が強引に話を切り替えたので、しかたなく耳を傾けた。
「観世流を放置しておくと、同じような一揆が他の地でも生じる危険がある。今回のように大名家が滅びるまではいかずとも、豊臣譜代の領地でこれをやられたら、間違いなく民・兵共に疲弊し、結果的に国力は衰弱する。これはまさしく徳川の思う壺と言える」
「それは剣呑。早速観世流の公演を差し止めないと」
慌てて対策を打とうとする三成に、勝悟は首を振る。
「どういう理由で?」
「……」
さすがの三成も言葉に詰まった。
「内府お抱えの猿楽士をいたずらに排除したとあっては、後々付け込まれる口実となるぞ」
「ではどうすればいい?」
「我に策あり。お任せあれ」
勝悟は冷たく笑った。
勝悟が三方ヶ原で信長軍を打ち破って以来、二十年ぶりに見せた修羅の顔だった。
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