第31話 秘められた思い
勝悟の口から疑わしい国の名前が明かされたことで、周囲には怒りが溢れ始めた。この場には例え国造りのためであっても、個人の自由と尊厳を傷つける行為を許す者はいなかった。
勝悟は周囲が興奮する中で、一人だけ冷静に自分を見ている者に気づいた。
「三成殿は今の事態を予想しておられたのか」
勝悟に話を振られた三成は潔く頷き、いつもの語尾が明瞭な口調で話し始めた。
「最初に断っておくが秀吉様も私も、決してこのような事件がねらいで、真野殿を大坂に招いたわけではない。むしろ真野殿が信念として進めておられる民の自立、そして殖産興業こそ、今後の日の本の目指すべき姿と信じていた。秀吉様は亡き信長様が目指した絶対王政から、民が政治の実権を握る国家へと方針転換を考えているのです」
三成から豊臣も自連のような国家を目指すと聞かされ、大谷吉継を始めとして、その場にいる者は誰もが驚きを隠せなかった。ただ一人、勝悟だけは、そのことが分かっていたかのように、自然に頷いていた。
「三成殿、東方遠征を始めた頃から、何となく秀吉殿のねらいは感じていた。だからこそ大坂へ行くことを承諾し、この国の将来を背負う人材を秀吉殿や豊臣家の方に披露しようと、健、春瑠、慎を共に選んだ」
勝悟が初めてこの旅の人選理由を話した。
健と春瑠は勝悟にこの国の将来を背負う人材と評され、みるみるうちに火を噴くような赤い顔になった。
「この国のほとんどの民が自分の力で立てる民となり、更に自立した民を次々に巻き込み、理想を実現するために自らを制御できる自律型の指導者を生み出す。そんな国を創ろうと思った」
勝悟はこの旅の中でしばしば見せた優しい目を、健と春瑠に向けた。
顔を赤くしながらも、今ここでようやく二人は、勝悟が創ろうとする国の姿を知った。
「その成果はじわじわと芽を吹き始め、国元に置いてきた太郎、その他にも大勢の明日を担う者たちが順調に育っている。それを関白に見せたくて、健、春瑠、慎をこの地に連れてきたのだ。そしてそれ自体は間違ってなかった。三人ともこの大坂の町を見て、そこに籠められた関白の意図をしっかりと感じていた」
勝悟が胸の内を明かすと、冷静な三成の表情に感動の色が浮かんだ。
それは駿府に来て学校を見学したときに、健たちの前で見せた表情と同じだった。
「分かっております。秀吉様と私は、真野殿の供回りを聞いたときに、そうではないかと推察しました。本来であれば秀吉様は、民のための学校をこの大阪の地に建てることを宣言し、三人には求める民の見本として、学校が建ったときに、再び大阪の地に逗留してもらうつもりでした」
健と春瑠は再び驚いて、今度は口が半開きになった。勝悟だけでなく秀吉まで、そんな期待を自分たちに持っているとは気づかなかったからだ。
「なるほど、予想以上の驚きを関白は仕込んでいたのか。あのお方らしいといえば、それも理解できる。だが、それは成されなかった」
「はい、予想外のことが起きてしまいました」
「慎の誘拐だな」
たちまちその場にいた者から昂揚とした雰囲気が消えた。
「予期はしていたのです」
三成が力なく呟き、きっと顔を上げて、悔しげに話し始めた。
「まだまだ戦国の気風が抜けず天下を諦めきれない者はいる。そう言った者たちは豊臣と自連が結びつくことを警戒すると、分かったいた。それでも、我々が民の目覚めを図る動きに出るとは、考えが及ぶまいと思っていた。だから狙われるとしても真野殿だけで、まさか子供たちに害が及ぶとは思ってもみなかった」
三成は自分の読みの甘さを悔いているのか、珍しくブルブルと拳を振るわせ感情の高まりを隠さなかった。
「私はこの謁見を潰しに掛かる者は、徳川殿だと思っていた。だがまだまだ石高制に囚われている徳川殿では、秀吉様の真の意図は見抜けないと髙を括っていたのだ」
徳川家康――先ほど勝悟が予想した中の一人だ。
皆の心に苛立ちが芽生え、それを抑えようとして危険な緊張感が漂う。
「徳川殿だけでは見抜けなかったはずだ。それは同じように考えていた。ただ、襲撃した一味の中にいた裏観世の男、あの重長と名乗った男を見たとき、全てが分かった。あれは心を操る者だ。裏観世がそういう集団なら、自立した民は都合が悪い。彼らが自連の様子を見てそれに気づき、徳川殿に全てを伝え手を組んだのだろう」
健たちの心の中に、
まだ全員が苦い記憶に支配される中で、健が唐突に切り出した。
「じゃあ、まずは裏観世一座がどこにいるか、探すことから始めるんだね」
「探すと言っても健、我々は裏観世のことを完全には分かってないのだぞ」
長恵が危険だと言わんばかりに健を諭した。
「今、慎は捕まっているんだ。敵のことがよく分からなくても、待つことはできない。それにもう一度会えばなんとかなるように思える」
健は自重することを拒否した。
「それについては、ご紹介したい者がおります」
と言って、三成が隣室に向かって声をかけると、襖が開いて一人の若者が顔を見せた。
「幸村殿!」
健が現れた若者の顔を見て、懐かしそうにその名を叫んだ。
「おお、健殿はお知り合いであったか。では改めてご紹介します。こちらは真田昌幸殿の次男で幸村殿です。実は吉継が幸村殿に惚れ込んで娘を娶らせたので、今や二人は義理の親子の間柄となっています」
三成に紹介されると、幸村は勝悟に対してぴょこんと頭を下げた。
「父は軍学の話になると、いつも真野様こそ日の本一の軍師だと語っております。本日はご本人に会えて、感激で胸がいっぱいです」
「懐かしいなぁ。昌幸殿とはまだ武藤喜平という名で、信玄様の幕僚であった頃からのつきあいで、よく夜を明かして軍略の話をしていた。その頃から喜平こそ、武田流兵学の正統を受け継ぐ者だと思っておった」
勝悟は天下統一を夢見て、連日のように武田の戦略を語り明かした、若かりし日を思い出した。
一方幸村は人懐こい笑顔で、慎の誘拐で苛立つ場の空気を少しだけ和らげた。
その様子を見て、猛将として史上名高い幸村という若者が、実は兵から愛される将であることに気づいた。それは軍学や武勇以上に、戦において頼もしい力だと言える。
「昌幸殿は素晴らしい大器を得たようだ」
勝悟が思わず呟いた言葉に、幸村は恐縮して頭を下げた。
それは決して大げさな褒め言葉ではない。
一概に大将の資質と言っても、それを裏付ける特性は様々だ。
勝悟から見れば、梨音や太郎は真面目すぎるゆえに兵に緊張感を強いる。梨音は自身の強力な武勇で兵の信頼を勝ち取っているが、梨音個人の敗北で軍は大きく動揺する。
片や孫一や幸村の持つ人懐こい明るさは、兵に柔らかさと一人一人が考える意欲を与えるはずだ。だから将である孫一や幸村が傷つくことがあっても、軍は負けないための底力を発揮することができる。
今や一人の力で戦に勝てる時代ではない。その意味では幸村のような男こそ、今求められる武将なのだろう。
急に黙って思索を始めた勝悟に、幸村が現実に引き戻す。
「我ら真田は裏観世について一通りの知識があります。我が父昌幸は裏観世の脅威に早くから気づき、戸隠の忍を使って彼らの動静を秘かに探っていました」
「昌幸殿はどのようにして裏観世の存在に気づいたのか」
勝悟は昌幸の慧眼に敬服すると同時に、自分たちがまったくその存在に気づかなかった者を、どのようにして昌幸が知ったのか興味が湧いた。
幸村は決して得意な様子ではなく、穏やかな表情のままで裏観世を知るきっかけを話し始めた。
「徳川の上田侵攻を防いだ後、秀吉様の仲介で真田は徳川と和平を結びました。その際に我が兄信行は家康殿の養女となった、本多忠勝殿の娘小松殿を娶りました。家康殿はその祝いの席を設けてくれたので、私は父と共に高遠に向かいました。その席の余興で観世黒雪の猿楽が演じられました」
現観世流当主黒雪は家康お抱えの猿楽士だ。家康が開く祝いの席で、猿楽を舞っても不思議ではない。
「黒雪の舞台を見ていると、不思議な感覚に襲われました。和平を結んだとはいえ、徳川は信濃全域を支配する野望を捨てたとは思えなかった。だから油断することなくその席に臨んだのですが、だんだんと敵対心が薄くなって来るのです。何か徳川の治める地にいることが心地よいような気がしてきて、すっかり警戒を解いて隙だらけの状態に成ってしまいました」
勝悟ははっとした。
重長の帳に視界を奪われたとき、危険を感じる中で、不思議な心地よさがあったのを思い出した。
「それは全て観世流の技だったと、後で分かりました」
いよいよ幸村の口から、謎が語られる。
皆が少なからず緊張を覚えた。
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