第30話 天下人の謁見

 秀吉は上機嫌で真野勝悟を迎えていた。自らの覇業の締めくくりが、戦国の最後の伝説であることに感慨もひとしおのようだ。


「この秀吉を信じてよく来てくれた。これからは共に手を携えて、日の本の民に安らぎを与えようではないか」

「仰せのままに」


 全国の大名が居並ぶ中で、秀吉の呼びかけに勝悟と氏直が頭を下げて応える。この構図こそ、秀吉が探し求めて見つけ出した、そして今に至るまでに何度も夢に見た、自連との決着だった。


 天下の大勢が決まりかけた今、戦の勝ち負けなどまったく重要ではない。人々が正しいと思う天下の形を描きだして、それに相手が賛同したと世間に公認されれば、自ら悪政を行い世間の信を失うようなことさえしなければ、日の本の代表者として自分は認められる。


 それを形にしたのが惣無事令で有りこの謁見だった。

 そして、もう一つや二つの国を加える必要がないほど、秀吉の治める地は膨大で、これから時間をかければかけるほど、更に大きな富を期待できる将来性に溢れている。

 それを確実に推し進める人材も十分に得た。


 石田三成を筆頭に、浅野長政、前田玄以、増田長盛、長束正家の五人は、莫大な富を管理する財政、国の発展を根底から支える産業育成に流通促進、土木や建築などの都市開発、そして諸大名、朝廷、寺院を取り締まる司法など、全てを任せられる完璧な布陣だ。


「それで勝悟殿、天下泰平を進めるために、この場で誓って欲しいことが三つある。それをしてくれさえすれば、豊臣は自由連合に干渉しない」

「お聞きしましょう」


 まるで流行らない芝居小屋の役者に成った気分だが、勝悟はよくつきあっている。

 秀吉は進んで役者ばりに調子をつけて、三つの条件を述べ始めた。


「一つ、いかなる場合においても他国に対する武力侵攻は一切しない」

「はっ」

「二つ、朝廷、畿内の寺社への支援にあたっては、豊臣に金または労務の提供を行う」

「はっ」

「三つ、石高制と豊臣が定めた金、銀の交換比率に従うこと」

「はっ」


 勝悟としては、三つとも異存はなかった。他国への侵攻禁止は自連の国是で有り、積極的に他国へ進めて欲しい方策だった。隣の北条氏直も一族の悲願を捨て、晴れ晴れとした顔で従っている。


 朝廷、畿内寺院への支援は豊臣が得意とする大土木事業への参加だが、これが諸大名の経済を圧迫していることは確かだ。多くの大名は労務の提供を選んでいるが、大勢の人工を畿内に送り出すことは、合戦並みに負担が大きかった。

 もちろん経済大国である自連にとっては、それほど苦にすることではない。


 三つ目は自連にとっては、古くさい考え方だ。勝悟は自連国内用貨幣制度として、自連通貨の発行と金本位制を導入しているから、豊臣政権にも早く金本位制を導入してもらい、貨幣価値の安定を求めたいところだ。

 石高制度にいたっては経済政策でもない。既に主要産業が商工業である自連にとって、農業も綿花、茶、花に主要生産物が移行し、石高は食料自給率の指標の一つにすぎない。


 もちろん検地が入ることも問題なかった。ただ氏直の顔色は冴えなかった。北条の主要産業は以前農業に依存している。北条が中央政策に影響されない真の独立国になるために、商工業への移行を積極的に打ち出す必要がある。


 いずれにしても、秀吉が示した三つの条件を、諸大名の前で承諾した姿を見せたことで、この謁見の主目的は果たされた。


 これでもって豊臣による天下が一統されたわけだが、その最初の施策が石田三成からは発表された。


「徳川、伊達、上杉、真田の国替えを行う。徳川は上野、下総、上総、下野の五軍を加増し、代わりに尾張を接収する。伊達は蘆名から奪い取った会津を、惣無事令施行後の行為と見なしこれを接収し、上杉は越後から会津への転封を、真田は上野国沼田への転封を命じる」


 既に知らされていたものの、公式に発表されて、若い政宗の顔色は冴えなかった。悔しさを噛みしめている様子がはっきりと見て取れる。家康、景勝、昌幸の三人は意外とサバサバしていた。いずれも先祖代々の土地から離れるわけだが、石高的には加増であり、これからが統治力の見せ所だ。


 ついで豊臣の直臣たちの新領地も次々に発表されていく。加増はされるもののほとんどが遠方に飛ばされていく。もちろん外様大名への押さえの役割であることは間違いない。


 福島正則や加藤清正など武断派と呼ばれる賤ヶ岳の英雄たちは、尾張や越後の主要地に送られた。いずれも徳川や上杉に比べれば小禄ではあるが、直臣通しで隣接するので、集まって防衛網を築く構想だ。


 重要な役目であることは間違いないが、中央政権から外れた位置におかれることに、直臣たちの顔には陰りがさしていた。




 これらの発表をもって、長い謁見は終了した。

 自連もこれで天下に堂々とその立場を安堵されたわけだが、勝悟の心は終始晴れなかった。昨日の愼の誘拐事件が常に頭の中を支配していた。


 自身の見立ての甘さを見事につかれたような気がした。

 慢心があったのではないかと自問が繰り返される。




 石田三成に別室に呼ばれた。

 そこには、丸目長恵、健、春瑠が大谷吉継に伴われて勝悟を待っていた。


 三成は部屋に入るなり、愼の捜査状況を話し始めた。

「まず、裏観世の元重という男の存在について、観世流の当主黒雪に問い合わせした。裏観世とは観世流二世世阿弥の息子元雅から連なる一族だそうだ。現観世流とはまったく関係がなく、地方で興行活動をしているという」

「確かに駆使したのは猿楽を発展させた技だった。具体的には謡を音波弾のように発して敵を討つという技で、攻撃は見えないが武気を感じることはできる。観世流には同様の技はないのだろうか」


 勝悟が襲撃されたときの様子を思い出して、三成に意見を求めた。


「それについても問い合わせてみたが、そのような技はないと言い切られた。当家のお抱えの猿楽士である金春安照にも確認したが、答えは同じだった。ただし、猿楽の謡は相手の心に働きかけ、喜怒哀楽を引き起こすものであるから、その発展したものではないかとも言っていた」


 安照の言を聞いて、長恵がポンと膝を打った。


「確かに、あの技は修験道で使う遠当てに似ていた。遠当ても心を打って肉体を破壊する技だ。と成ると、こちらも心を鍛えるしか対処法はないな」


 長恵の話を聞いて、勝悟にはある人の存在が浮かんでいた。

 心を責めるのは帝の得意とする呪術の派生となる。となると裏観世の技の源流は、遡れば帝に行き着くことになる。そうなると、今度の一連の事件は帝から発信されてるのではないか――。


 しかし勝悟はその疑念を口にはしない。

 豊臣家の権威は関白という朝廷の官職を下地にしている。

 表向きは朝廷の臣という形を取る以上、豊臣の家臣である三成に帝への疑いを話すことは憚られた。


「じゃあ、愼の行方について手がかりはないということだね」

 健がやや怒りを交えた口調で、三成に尋ねた。


「申し訳ないが、そういうことになる」

 豊臣のお膝元である大坂で起こった事件の解決が見えないことに、三成は三成なりに悩んでいる様子が見て取れた。それは勝悟たちの大坂での身元を引き受けた吉継も同じである。万全の警備を期して送った腕利きの十人の衛兵が、まったく抑止になってなかったからだ。


「今のところ誘拐した者たちから、何の要求も来ていない。私をおびき出すための餌にするために、愼を誘拐したわけではなさそうだ」


 そのことが勝悟の心を暗くさせていた。

 自分が標的でない以上、愼が戻って来る可能性はほとんどないと言っていいい。

 最初に直感したように、敵の狙いは慎だったということになるからだ。


 話を聞きながら懸命に堪えていた春瑠の目から涙がこぼれ落ちた。

 春瑠なりに慎がもう自分たちの側に戻ってこないと感じているのだろう。


「慎を攫ってどうするつもりなんだ」

 健が吐き捨てるように怒りを口にした。


「そこは大事なところだ。それを考えればある程度、この誘拐劇の黒幕を探ることができる」

 勝悟が健の怒りの声を受けたような形で発した言葉に、全員が驚いたような表情を見せる中、三成だけが同意するかのように口元を引き締めて目を光らせた。


「慎の才能は事業創造の才だ。これからの世は戦で富を奪うのではなくて、国内の環境に適した産業を見極めて、モノの流れを盛んにして国力を養うことが必要となる。そうすればヒトも流れてくるし、大きなカネも動く。それには慎のような才能を持った者が不可欠だ」


 勝悟の説明を聞いていた健が反発するように口を開く。

「だからと言って誘拐された人間がその国のために尽くしますか?」

「それは確実ではないが、裏観世の技が心に働きかけるものならば可能なんじゃないか」

「暗示のような操りの術ですな?」

 三成が勝悟の意図を汲んで捕捉する。


「そう。自分の得意な分野で求められてるんだ。暗示に掛かりやすい状況だと思う。ただねらいがそうだったとすると、慎という大才を知りうる情報網を持ち、その才能を喫緊に必要とする国は限られてくる」


 勝悟が核心を語ろうとしていた。

 皆固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「新領地でこれから国造りを行う大名、例えば徳川、上杉、真田、そして豊臣直臣の新たに大名になった者たちだ」

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