第27話 後を継ぐ者
勝悟たちは大坂の仮の宿として、大谷吉継の屋敷を選んだ。
勝悟ほど名の知れた武将に成ると、普通の旅籠では安全面の手配が行き届かない。しかも、もし勝悟の命を奪おうとする輩が現れたら、勝悟たちだけではなく他の宿泊客まで危険に晒すことに成る。だからと言って、関白のお膝元の地で、自分たちのために旅籠を貸し切るような真似は、信用してないみたいで気が進まなかった。
残った選択肢として、馴染みの深い小西隆佐の大坂屋敷もあったが、息子が秀吉の直臣に成って間もない微妙な立場に加えて、隆佐自身が既にかなりの高齢で、京屋敷から大坂に呼び寄せ、神経が消耗する警備の手配をさせたくなかった。
一方、大坂には豊臣直臣たちの屋敷と、徳川家康を始めとする豊臣の配下と成った大名の屋敷が多数有り、彼らはこぞって神の目を迎えたいと申し出ていた。
その中から勝悟が大谷吉継の屋敷を選んだのは、一度駿府で吉継に対面しており、その人となりを知っていることと、吉継自身の武将の才が並々ならぬもので、命を預けるのに相応しかったからだ。
その大谷吉継が目の前にいる。吉継はこの頃既に
「駿府からの船旅でお疲れではないか?」
「とんでもない。素晴らしい町造りを拝見させてもらいました。うちの若い者も目をキラキラさせて見ていました」
大坂来訪における勝悟の供は、健、春瑠、慎の若者三人組に丸目長恵を加えた四人だけだ。大大名に匹敵する自連の代表の供としては、異様に少ない人数と言える。
だがそれに対し吉継は、少ないですななどと不思議がったりしなかった。
見知らぬ土地において、どんなに厳重な警戒の中にいようと、その地で孤立してしまっては暗殺を防ぐことは不可能だ。最も効果的な防御手段は、その地に精通した仲間を多く作り、情報を集めることだ。
その意味では、最も警戒されない組み合わせで、大坂にやって来た勝悟はさすがだと言うほかない。吉継が意気に感じてくれているのが見て取れる。
「我らも駿府の町造りからたくさん学ばせていただきました」
吉継が駿府訪問を思い出すかのように、遠い目をした。
「駿府と大坂の一番の違いは、港から張り巡らされた水路で、大量の荷物を輸送できる点ですね」
慎が感心したように吉継に告げる。
吉継は頷きながら、若き天才の慧眼に驚きの表情を浮かべる。
「加えて、豊臣に従う全国の大名がここに屋敷を構えますから、それだけで人口が増える上に、増えた人々の生活を支えるために様々な職業の人が集まってくるから、ますます人口が増えていきます。人が増えればモノの流れも増えて、この水路が活きてくるわけですね」
豊臣が誇る石田三成や増田長盛などの奉行衆が、知恵の限りを尽くした町の秘密を、一度見ただけであっさりと説き明かす慎に、本当にこの子は十五才かと、吉継は眩しそうに才能溢れる顔を見た。
「やはり大事なのは人ですな。これほどの才が若くして見いだせる自連の制度は素晴らしい。大坂には人は集まりますが、人を見いだし育てる制度がない」
吉継は駿府を訪ねたときに、友野康三に連れられて見学した学校を思い出しながら、しみじみとした口調で駿府を褒め称えた。
「国によっていろいろ事情は異なるでしょう。一つずつ問題を解決していく根気が必要です。我らもそれなりの犠牲は払っています」
そう言って今度は勝悟が遠い目をした。
学校制度が引き金に成り、勝悟は武田の中枢を追われた。幸い今川領の民政は独立していたので、学校制度は廃止されずに済んだが、勝悟が軍部の中枢から離れている間に、武田は織田によって滅ぼされた。
若き日に共に天下を誓った勝頼は、そのまま自刃してしまい、それ以降勝悟の脳裏から天下統一の言葉は消えた。
勝悟の寂しそうな目を見て、吉継は悲しい過去を思い出したのだと察したようで、わざと明るい声で愼たちに話かけた。
「聞いたところによると、自連では電気という新しい動力源が生まれているという話だが」
「ああ、それなら見学に行きました。大井川の上流に発電所という施設を作って、電気を取り出すことに成功しています。まだ実用には至っていませんが、勝悟様の発想を元に駿府大学校の物理と建築の学生たちが、日夜研究しています。」
「それなら俺たちも見たよ。鉄をふんだんに使った馬鹿でかい建物があって、中でこれまた馬鹿でかい水車がグルグル回っていた」
慎の言葉で、健も思い出したのか嬉しそうに話した。
春瑠はそんな健をまるで母親のように優しく見つめている。
「ところで、明日は秀次様の屋敷を訪問されるということですが、本当に大丈夫なのですか?」
吉継としては、秀吉との謁見の前に、あまりこの屋敷を離れて欲しくなかった。
自連と友好が結べれば、もっと自由に人材交流が可能になる。そうなると自連の国力を支えている自由な思想に、豊臣の政権を支えている多くの者が触れる。そこで大きな刺激を受ければ、この国の政治が変わるかもしれない。
そのためには勝悟だけではなく、国の宝のようなこの若者たちも、一人として傷つけるわけにはいかない。
眉根を寄せて難しい顔になった吉継に、勝悟は笑いながら話しかける。
「吉継殿の心配も分かるが、彼らの成長のためには、多少の危険もやむなしと思います」
そう言った勝悟の潔い姿に、吉継は再び感動した。
「なんとしても、皆様の大坂における安全を守り抜きます」
翌日は朝から小雨が降っていた。
大谷屋敷の庭に咲き誇った紫陽花が、赤紫の花びらをしっとりと濡らして、勝悟たちを見送ってくれた。
吉継は固辞する勝悟を押し切り、十名の護衛をつけて送り出してくれた。
「雨の日も、人々の熱気が漂ってますね」
慎の指摘通り、町を行く人々の数は多い。みな商機を逃さまいと、足下が悪いにも関わらず力強い足取りで通り過ぎている。
「成長している町の特徴だな。この町の人たちは、成功するために最も必要なのは時間だとよく分かっている」
勝悟はいつでも観察を忘れない慎を頼もしそうに見つめる。
自分の死後、自連の発展に最も寄与するのは、太郎でも健でもなく、実は慎なのではないかとさえ思えてくる。
吉継のつけてくれた十人の警護兵に先導されながら、勝悟たちは秀次の屋敷に無事に到着した。ここまでは何ら異変は起きていない。勝悟たちが館に入るのを見届けても、吉継の兵たちは屋敷の周りに散らばり、警戒の姿勢を解かなかった。
秀次の屋敷は広かった。大谷屋敷の倍は余裕でありそうだ。
普段の秀次は京の聚楽第にいる。関白である秀吉は長く京を不在にできない。そんな中で秀次が大坂にいると、どんなところから謀反の疑いをかけられるかと、心配しているのだろう。
それだけをとっても、秀次が叔父である秀吉の目を、異常に気にしていることが窺える。
大事な戦で大失敗したことが、秀次の肩身を狭くしているのだろうが、これは秀次の失敗を寛大に許してしまった秀吉にも責任がある。
秀吉の弟秀長は、早くから秀次の戦の才に疑問を持ち、秀吉に対してもそのことを何度か口にしていたと言う。
秀長が気づいていたことを、人の目利きにかけては当代一流の秀吉が気づかぬわけがない。もっと早くから戦人としての秀次に見切りをつけ、民政の人として育てたならば、もしかしたら有能な官吏として花開いたかもしれない。
「おお、あなたが神の目を持つという真野勝悟殿か」
屋敷の中に作られた茶室で勝悟を待っていた秀次が、勝悟の姿を見るといそいそと立ち上がって出迎えてくれた。
その目の中にはまさしく神をみるような輝きがあり、秀次が秀吉の甥としての体裁だけでなく、自分にない才能に溢れた勝悟を心から尊敬し、会いたがっていたことを示していた。
「お初にお目に掛かります。私が自連の代表真野勝悟です。秀次殿からこんなにも心のこもった出迎えをいただき、光栄に存じます」
勝悟が型どおりの挨拶を返すと、秀次は喜びに満ちた表情で、勝悟たちを席に案内してくれた。
秀次の手前で茶が点てられる。
秀次は幼少の頃、人質として三好康長の養子に成ったことがある。康長は当代一流の教養人で茶や連歌に精通した人だった。当然秀次もこれらを習い腕を磨いた。
特に茶は豊臣の家に戻った後で千利休の弟子と成り、秘伝も授けられている。まさに一級品の茶を振る舞うわけだが、受ける勝悟たちはその点において振る舞われるほどの才がなかった。
勝悟の育った世界は、茶は特別な人が嗜むものであり、長年過ごした武田家には茶を愛でる気風はなかった。友人である今川氏真は当然一流の茶人であったが、勝悟が茶会の席の堅苦しさをあまり好まぬことから、無理強いすることはなかった。
それが影響してか、駿府の小学校ではとりたてて茶の勉強をする時間はなく、興味のある者だけが手上げで茶を学んでいた。そんな具合だから健と春瑠も勝悟同様作法に疎く、長恵と愼だけがかろうじて形だけの知識がある有様だった。
罰が悪そうな勝悟たちに対し、秀次は状況を察して、自分の茶碗を片手でぐっと掴んだ。
いかにも無作法なその仕草に、勝悟たちが驚いて目を見張ると、そのまま秀次は茶碗の中の茶をぐいっと飲み干す。
呆気にとられる勝悟たちに対し、秀次は飲み干した茶碗をそっと下に置きニカッと笑った。
「この場は公式な茶会ではございませぬ。作法など気にせずに、茶の味だけを楽しまれよ。飲み物があれば口も滑らかに回り、話に花が咲くものです。茶などそのための道具にすぎません」
健たちが一斉に茶碗を手に取り、一気に飲んで「苦い」などと感想を言い合っている。
勝悟も茶碗を手に取って、秀次を見倣いグイと飲む。
確かに苦いけれど奥深い味わいだった。
「どうですか? 私の点てた茶は思いやりがあって優しいと、利休様からも褒められます。良かったらお代わりをどうぞ」
千利休の前で点てるほどの茶を、まるで水でも振る舞うように、あっけらかんと差し出す秀次を見て、勝悟はこの男が好きになった。
次代を担う秀次の形に囚われない姿に、豊臣はきっと規制に縛られることなく、自由を愛する政権になると思った。こういう政権なら、自連もうまくつきあっていける。
勝悟は明日の謁見に早くも手応えを感じていた。
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