第5話 伝承の語り手

 阿蘇氏は阿蘇神社の神官の出で、催事だけでなく政治にも関われる大宮司職を代々世襲してきた。

 現在も活動を続け、火口から煙を立ち上らせる阿蘇山に対し、肥後の民は噴火が引き起こす破壊力に対する恐れと、人が及ぶべくもない雄大さに対する憧憬が合わさり、潜在的な信仰と服従を持っていた。

 それに最も近いとされる阿蘇氏もまた、民から根強い支持を受けていた。


 今は亡き甲斐宗運は、こうした阿蘇氏への民の信頼に、十二分に応えることができる唯一の男だった。

 しかし、頼みの宗運が亡くなると、阿蘇氏の屋台骨がぐらつく。

 宗運が鬼籍に入ってから二ヶ月後、まず宗運と友に阿蘇家を支えた当主惟将これまさが亡くなる。

 兄の後を継いで阿蘇家の当主と成った惟種これたねは、その翌年に亡くなり、阿蘇家は二年続けて当主が病没するという不幸に見舞われる。


 ここで、惟種の子でまだ二才の惟光が、しかたなく当主の座につく。

 これに対し、今が勝機と島津の阿蘇への進行が始まり、岩尾城にいた惟光はたまらずに家臣に連れられて逃亡した。


 それでも南郷城の長野惟久や岩尾城の高森惟直は、阿蘇家に対する忠誠心を捨てずに頑強に抵抗したが、激戦の末次々に討ち死にした。

 既に死に体と化した阿蘇家であったが、惟直の子惟居や宗運の子親英がなおもしぶとい抵抗を試み、一時は島津軍を撤退させることに成功した。


 予想以上の阿蘇家の踏ん張りに驚いた島津義久は、ついに島津の切り札である義弘を、阿蘇に向かって侵攻させる指示を出した。


 鬼島津の異名をとる義弘の来襲に、さしもの阿蘇家家臣団も次々に城を落とされ、最後に高森惟居の高森城が落ちると、肥後は義弘の手によって平定された。



「あっという間に平定されたな」

 健や甚左は島津の戦が見られると期待していたが、戦らしい戦はなくて不満だった。


「大友や龍造寺を破った島津軍を、阿蘇が止めることは無理があった。むしろよく頑張った方だと思う」

 太郎はあくまでも冷静だ。


「この勢いなら九州を平定して、島津は羽柴に対抗できる大名になるかもしれないな」

 健が家久との会話を思い出して、希望的な意見を言うと、太郎は首を大きく振った。


「無理だろう。兵力差も大きいし、第一装備が違いすぎる。島津は九州を平定しても、この人口では五万も集められまい。対する羽柴の遠征軍は直轄軍だけで十万を超える。それに毛利と長宗我部の軍も加わる。装備だって、羽柴の南蛮気道兵は島津の倍はいる上、島津の南蛮気道は旧式の木製の矢だ。おそらく費用が足りなくて、合金の矢を変えないのだろう」


 太郎の言葉に愼は頷いて同意する。二人は高天原に関する資料を調べる傍らで、既に九州全体の兵力も分析済みだった。


「それに島津の九州平定は難しいかもしれない。阿蘇と違って、大友は新型の南蛮気道を多く購入している。城攻めになったら、南蛮気道の力は大きい。島津は大友の諸城を攻めきれないと思う」


 太郎に続いて愼も、島津の戦力では羽柴が来る前の九州平定は難しいと断言した。二人の分析に押されながらも、健は最後の抵抗を試みる。


「でも、一度ぐらいなら島津が羽柴に勝つことだってあるんじゃないか」

「地の利を活かした作戦を立てれば、あるいは一度なら勝てるかもしれない」


 太郎に代わって愼が健の意見に賛同した。


「だが、一度だけだろう」

 太郎は健の意見に意味を見いだしてなかった。


「一度勝てれば十分さ。時間がかかると羽柴に思わせられれば、きっと条件は悪くても講和はできるんじゃないか?」

 健が一生懸命に島津の肩を持つと、今度は太郎も頷いた。


「そうだな。うまく交渉すれば、領土を縮小されても存続できるかもしれないな」

 太郎の言葉に愼も同意する。


 最近二人は仲がいい。

 太郎が愼の優秀さを認めて、愼の意見を尊重するようになったからだ。

 仲の良い愼がその存在を大きくするのが、健は嬉しかった。

 元々声さえ大きければ、愼は軍師にだって成れると健は信じていたからだ。


「ねぇ、戦の話はいいから、私たちの本来の仕事をやろうよ」

 蚊帳の外に置かれた碧が、男たちに不満げに催促した。

 春瑠は黙ったままでうんうんと頷いて、碧の意見に賛意を示す。


 この旅で、碧と春瑠の仲も良くなった。

 仲間内で新しい交友が生まれていくのを、健は誇らしげに見ている。


「悪かった。それじゃあ私たちの仕事を始めよう。実は阿蘇家に古くから使え礼式などにも詳しい、坂梨惟永という人物が、甲佐という名の村に住んでいることが分かった。この村は、ここ御船から南に二里ばかり下ったところにある。まずはこの人物を訪ねてみようと思うが、どうだろうか?」


 太郎の決めたことに意義などあろうはずがない。

 皆、太郎の顔を見て、頷いて承諾の意を表した。




 甲佐村は九州を背骨のように走る、山並みと平野の接点になる場所にあった。村の大部分は山で、僅かな平野部分には海まで続く大きな川が流れていた。


 狭い平野部に固まって、三十戸弱の家族が住んでいた。

 この村では、惟永はちょっとした有名人で、すぐに住んでいるところが分かった。

 緑川の上流に向かって山間に入り、甲佐神社を抜けた辺りに、一人で住んでいるらしい。


 甲佐村は、緑川の氾濫と戦う歴史を有しており、惟永は阿蘇氏に仕えていた頃は、その度に村の復旧に向けて尽力していたらしい。

 村人はそんな惟永の恩義を覚えていて、一人暮らしの惟永のために、定期的に食料を届けていると言うことだった。


 ちょうど今日も、その食料を届ける日だということなので、太郎たちも同行させてもらった。駿府の平野生まれの碧や愼に比べて、高遠や甲府のような山に囲まれた土地で育った太郎と健は、山道を歩くと生まれた場所を思い出して懐かしい気分になった。


 惟永の庵は、この辺りに住む六、七戸の民家とも離れた場所に有り、あまり近所との交流はないとのことだった。

 庵を訪ねると、惟永は不在だった。

 案内をしてくれた村人は、惟永は日中、家の近くの猫の額のような狭い畑で、野菜を作っていると教えてくれたので、庵で別れを告げて、教えてもらった畑に行ってみた。


 畑に着くと、惟永と思われる老人が畑の側に座って、畝の上の野菜を見ていた。


「坂梨惟永殿ですか?」

 太郎が皆を代表して声をかけた。

 老人は畝から目を離して、ゆっくりと首を回して太郎たちを見た。

 大人二人と子供六人の一行は、どう見ても奇異だ。

 惟永もなぜこの一行が自分を訪ねて来たのか分からず、目を細めてじっと見た。


「お初にお目に掛かります。私たちは駿河国からやって来ました。今日は惟永殿にお聞きしたいことがあってやって来ました」

 駿河と聞いて惟永は驚きを素直に表情に出した。


「駿河国、それはずいぶんと遠くからおいでになったな。今川殿のご家中か?」

 惟永は日本の地理について、国の所在位置が分かるほどには教養があったが、各国の情勢についてはさほど詳しくはないようだった。


「駿河は今や今川家の領国ではありません。自由連合と名を変えて、民の国となっています」

「民の国? はて、一向宗ん国となったんか?」

 民の国と聞いて、加賀のような一揆の国となったと思ったようだ。


「一向宗ではありません。民が自ら政治を考え、自分たちの代表にその運営を任す国に生まれ変わったのです」


 それだけ聞いても、惟永はまだピンとこないようで、怪訝な顔のままだ。

 年端のいかない子供が言うことだから、惟永が理解できないのも仕方がない。

 太郎は最初に自己紹介を兼ねて、自連について話すことにした。


 惟永は太郎の説明を、表情を変えることなくじっと聞いていた。

 時折相づちを打ってはくれるのだが、表情が変わらないので、どのぐらい理解しているのか測りようがない。

 太郎が全て説明し終わって、沈黙が訪れても無表情で黙っていた。


「あの、私の話は以上ですが」

 太郎が説明が終わったと告げても、感想一つ述べようとしない。

 目の焦点も太郎たちに向いてはなかった。

 しかたがないので太郎は黙る。

 他の者も太郎にならって、沈黙を続けた。


 およそ、千も数えるほどの時間がたっただろうか。

 惟永は、黙って惟永の反応を待っている太郎たちに、今気づいたとでも言わんばかりの驚きの表情を見せた。


「ああ、申し訳なか。年ばとるとすぐに自分の世界に入ってしまう」

 何だか惟永の様子がおかしいと、健は思った。

 太郎がこれまで話した説明を、惟永は確かに聞いていた。聞きながらも頭の中では別の思いが浮かび、惟永の心はその世界を漂っていたように見える。


 惟永は天を仰ぎながらしばらく考え、やがて徐に視線を太郎に据え、ゆっくりとした口調で語り始めた。


「阿蘇氏が代々大宮司ば務むる阿蘇神社には、先祖である健磐龍命たけいわたつのみことが祭られとる。健磐龍命は東征した神武帝ん孫にあたり、発祥ん地である九州ば治むるために西海鎮撫ん命ば受け、山城国宇治からここ阿蘇に下向した」


「阿蘇の伝承ですね。その健磐龍命を祭ったのが阿蘇神社ですね」

 愼が阿蘇の伝承については、一通りの知識があることを示すと、惟永は頷きながらも眉間に深い縦皺を寄せ、なおも言葉を続けた。


「阿蘇家には、正当な伝承ん他に裏伝承がある。こらわしん爺様から聞いた話じゃ。その話の中でお主らの来訪も予言されておるから、よく聞け」


 自分たちがここに来ることを、予言した話があると聞いて健は身構えた。

 太郎は早くもこの地に来た収穫があるのかと期待して目を輝かせ、愼はその大きな知識欲に駆られて身を乗り出した。


 甚左は老いた惟永が疲れないかその身を心配していたが、三人の雰囲気が変わったことに気づき、話を聞くことに集中した。


 春瑠は裏の伝承と言う言葉の厳かな響きに軽く恐れを抱き、健の右袖をぎゅっと握り締め、碧は何でも聞いてやるわよと、言わんばかりの強気の顔で臨む。


 そんな子供たちの様子を、源五郎と隆重はまるで学校の先生のように、優しい目で見守っていた。


「健磐龍命が村々に水ば引くために、阿蘇山にかってあった湖に来たときん話じゃ――」

 惟永の口から裏伝承の語りが始まった。

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